タイでは、コロナ禍で経済困窮にあえぐ民衆や政治的不満を溜める進歩的学生などによるプラユット政権に対する抗議デモ、さらにはタブー視されていた王室批判まで飛び出す混乱が続いている。
前国王であった故プミポン国王は16年10月に崩御するまで多くの国民から敬慕されていた。これに対してワチラロンコン現国王は、一年の多くを海外で過ごし、30機以上の王室機を保有していることなどが一部で批判されてきた。
伝統的に民主主義と言論の自由を重んじてきた名門タマサート大学の学生らは王室に対する不敬罪(刑法112条で3年から15年の禁固刑と規定されている)の廃止や王権制限、王室予算の削減などタブー視されてきた王室改革を要求している。
ワチラロンコン国王はドイツから帰国して故プミポン国王の命日である10月13日の式典に出席、10月末までタイに滞在するものとみられている。学生らは国王の滞在に合わせて、10月14日にもゼネストを敢行するように呼び掛けている。なおタイ政府は、フェースブックに対して王制批判に関する投稿の削除を求めるなど、事態は報道規制にまで及んでいる。
タイではクーデターを決起したプラユット陸軍司令官が19年7月に民政移管後の首相に就任した。しかし、プラユット政権に対する支持率は、もともと軍政が継続しているイメージが強いうえ、与党内の内紛や野党第二党の新未来党の解党などの政争に明け暮れて低下の一途をたどってきた。
新型コロナウィルス感染拡大を防ぐという名目で3月26日から何度も延長されている非常事態宣言も国民の不満を募らせている。
タイ経済は元々、自動車や電子部品など主力の製造業の輸出不振から景気停滞色を濃くしていた。世界中で新型コロナの感染が拡大した本年4~6月の実質GDP(前期比)は-9.7%と過去最大の下げ幅となった。ちなみに昨年10~12月が-0.3%、本年1~3月が-2.5%であるので三期連続のマイナス成長となった。国家経済社会開発委員会では20年の成長率見通しを-7.3~-7.8%とみている。
タイにおける新型コロナ感染はプラユット政権による非常事態制限下における徹底した外出制限や入国規制もあって累積感染者数が3,585人、死者数もわずか59人(いずれも10月5日現在)と僅少の部類に属する。景気の急速な悪化は専ら世界的なコロナ禍で輸出が激減したこと、入国規制から欧米からの観光客がゼロとなったことの影響である。
輸出主力の自動車産業はもともと自動車ローン審査の厳格化等の影響から19年半ばころから低迷を続けていた。自動車生産は本年上半期で前年比-43%、コロナ禍の真っただ中の5月には同-69%を記録した。タイ工業連盟(FTI)は2020年通算で100万台と半減する見通しを出していたが、上記のように国内感染が抑えられていることから「第二波が到来しなければ140万台は達成可能」と上方修正した。
電気・電子部品も自動車と同じ輸出シェア―15%をほこる有力産業であり、とくにハードディスクドライブ(HDD)の生産で知られている。世界中のコロナ禍の影響とHDDにくらべて小型、軽量の記憶装置への転換が進むという構造的要因が相まって停滞を続けている。
深刻なのは観光産業である。タイの観光産業はGDP比13%とアジアでも最大のウエィトを持ち、観光収入も650億ドルとマレーシア(217億ドル)、インドネシア(156億ドル)を大きく上回っている。外国人旅行者の誘致再開のめどが立たないまま、国内旅行者の旅行費用補助(宿泊料金、交通費の40%を補助)骨子とする「We travel together」のような支援策を打ち出している。
しかし、年間4千万人におよぶ外国人観光客の再開は容易ではない。このため、タイ観光庁は20年の観光収入を前年比-75%に減少すると予測、観光施設の経営悪化が深刻化しそうである。
政府、中央銀行もタイの景気回復に懸命となっている。政府は総額2兆4千億バーツにおよぶ経済対策を打ち出した。中銀も今年に入り三回の利下げに踏み切り、5月20日には政策金利を0.75%から0.5%へと史上最低水準に引き下げた。
もっとも、海外投資家は、輸出や観光業のウエイトが高く、外的要因の影響を受けやすいタイ経済に嫌気したことと、王室批判まで出た政情の悪化も加わってタイからの資本流出を図っている。8月までの1年間で株式が78億ドルの処分超、債券も23億ドルの処分超となっており、タイの株価は前年比20%程度の下落をみている。
また、タイバーツも外貨準備が豊富で、観光という現金収入もある、感染者数が近隣国に比べて少ない、といった点を評価されて買い上げられていたが、ここへきて外資の流出圧力などで減価している。
タイ経済の発展を促してきたのは、過去に何度かクーデターなどの争乱を起こしてきたものの、国民が王制を敬慕するところ大きく、それが政治的対立を一定のところで抑えてきた。今回の王制改革を求める抗議デモに対しても適用基準の不透明な不敬罪の見直しなどを通じて、コロナ禍で不満を強めている民心の慰撫(いぶ)につとめねばならない。
このようにタイ経済はコロナ禍の影響を大きく受けているが、たとえコロナ禍を克服したとしても、先行きも厳しい状況だ。中長期的にみると、周辺のアセアン諸国の中でも最も早く高齢化社会を迎えるうえ、産業構造も労働集約産業にかたより、半導体などのハイテク産業が脆弱である。このため、いわゆる「中所得国のワナ」に陥る危険があると懸念されている。
現在のタイの一人当たりGDPは7,500ドルあたりに位置する。これを12,000ドルのラインを突破する「高所得国」に脱皮させるには相当の突破力が必要となる。成長著しいアジアでも「中所得国のワナ」を抜け出すのに成功したのは日本のほか、韓国、台湾
、シンガポールなどに限られる。
タイ政府もこうした点を踏まえて「タイランド4.0」とい名付けて次世代自動車(EV)の開発、5Gなどの通信新規格の普及、ロボット産業、デジタル産業の振興を打ち出してはいるが、実現はそう容易ではないとみられる。