家電量販店業界大手のノジマは今3月期に最高益を更新する勢いである。新型コロナウイルス流行による巣ごもり需要増加の影響もあるが、「デジタル一番星」を目指す企業理念に基づくユニークな経営が功を奏している。スルガ銀行の筆頭株主になり金融業とのシナジーも模索する野島廣司社長(69)は独自路線を貫き、「量販店」という言葉を嫌う。そのノジマならではの経営を語ってもらった。(聞き手は経済ジャーナリスト、森一夫)
――デジタル関連の商品やサービスの提供で一番を目指す「デジタル一番星」という理念は、いつから掲げてきたのですか。
1994年12月に株式を店頭公開する前でしたね(現在、東証1部上場)。その年の4月に私が社長になると決まって、正式には7月でしたが、経営に対する志として決めたのです。最初は「デジタルの星」と言ったのですけど、それでは「たいしたことないよ」とある人に言われて2、3年して、「デジタル一番星」に改めて今に至っています。
当社が率先してデジタルGS4を普及させて、日本の発展に貢献するという理念です。Gはグッズでデジタル関連商品、S4はソリューション、ソフト、サポート、サービスです。デジタルに関するお客様の全てのニーズにいち早く応えることをビジネスの機軸にしようと考えたわけです。
0と1の数字で情報を処理するコンピューターのデジタル技術が、インターネットも含めて世の中全てを変えていくと思っていました。ですが菅義偉首相が登場して、政府がデジタル庁を創設して社会全体のデジタルトランスフォーメーション(DX)を本格的に推進するようになるとは思っていませんでした。
――野島さんは1973年に大学を卒業して、家業の電器店、野島電気商会(ノジマの前身)に入ったのに、「電器店」は嫌いだったとか。
就職前から手伝わされて、悠々と学生生活を送れなかったものですから、好きではなかったのです。ところが従業員が社長の母親と合わなくて辞めていくし、経営環境も悪くて、私がやらざるを得ませんでした。経営を立て直す使命を背負わされ、逃げられなかったんです。結果的に良かったのですけどね。
当時、私どもは神奈川県相模原市で事業を営んでいました。父は母と意見が合わないため家を出て、近くに会社を設けましたが、結局、うまくいきませんでした。私どもはどんどん伸びて、当初4000万円くらいだった年商が5年から7、8年で数億円になったんです。入って3年目には支店を初めて出しました。
――町の電器店では終わりたくないと考えていたそうですね。
それが途中で嫌になったんです。働き過ぎて、25、6歳で体がボロボロになりましてね。このままの状態ではまずい。会社は無理やり成長させるものではない。企業として持続的に成長するようにしないと、そこで働く従業員も経営者も幸せになれない。そう感じてから、新たにいい意味で成長意欲がわいてきました。
母親は、利益が出たら家族で仲良くやれれば、十分だという考えでした。しかし、それでは従業員のためになりません。ある程度の成長は必要で、従業員を経営者に育てようともしました。しかしごたごたがあって、91年に私は実権を失うことになったのです。
――何があったのですか。
当時、私は課長でした。入って5年目に取締役になっていましたが、小企業では名目的なものです。私は課長でも社長のつもりで働いていました。実際、最初の支店は、私の個人的な借金によるものです。組織は、母親が社長で、次に課長の私がいて、その下に係長がずらっといる形でした。私はずっと課長のままでいいと思っていました。
ところが母と弟が周りの人から、そんな組織はおかしいと吹き込まれて、組織を変えたのです。社長の母がいて、私は専務になり、その下に弟が常務として全部門を統括する組織に変わりました。私は専務になったものの、ていよく権限の無い中2階に棚上げされたのです。それから1年から1年半はふてくされて、経営には関わりませんでした。
――会社はうまくいったのですか。
母と弟が人気取りでポストやお金をまいたので、従業員は向こうにつきました。しかし業績がすぐに落ちたため、従業員が私を呼び戻しに来ました。そこでひと悶着起きましたが、オープンな会社にしようと入れておいた社外取締役の働きで、私を中心とする体制に変わりました。母は会長になり、私が社長に就き、弟は独立しました。
その時、思いました。従業員は私にハイハイと従っていましたが、心の中では会社より自分のことしか考えていなかったんだなと。経営者と同じ意識を持たせようとしたのですが、そうはいきませんでした。しかし私はふてくされていた間に、自分を見つめ直して、私にも問題があったなと反省しました。うまくいっていたので、この先も逆境なんか無いだろうと自信過剰になっていたのです。
そこで「デジタル一番星」とともに「全員経営」という理念をつくり、全員が経営者の感覚をもって仕事に取り組むようになるには、どうしたらいいのかと今日まで努力してきたのです。
<次回に続く。原則毎週木曜日に掲載します>
1年半、実権を失い「全員経営」に取り組む |
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「わが経営」を語る 野島廣司ノジマ社長①
公開日:
(ビジネス)
撮影・中村豊
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森 一夫(経済ジャーナリスト、元日経新聞論説副主幹)
1950年東京都生まれ。72年早稲田大学政経学部卒。日本経済新聞社入社、産業部、日経BP社日経ビジネス副編集長、編集委員兼論説委員、コロンビア大学東アジア研究所、日本経済経営研究所客員研究員、特別編集委員兼論説委員を歴任。著書に「日本の経営」(日経文庫)、「中村邦夫『幸之助神話』を壊した男」(日経ビジネス人文庫)など。
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