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独裁の岩崎弥太郎、人材集めた渋沢栄一

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【新1万円札の顔、渋沢が愛した資本主義(5)】二人の資本主義観は正反対

公開日: 2023/02/05 (ビジネス)

渋沢栄一氏=PD 渋沢栄一氏=PD

三橋 規宏 (経済・環境ジャーナリスト、千葉商科大学名誉教授)

 ここで渋沢の経営哲学を理解するために、渋沢と同時代に生きたもう一人の実業家、岩崎弥太郎と渋沢との資本主義観の違いについて見ておこう。

 岩崎弥太郎(1835年~1885年)は四国・土佐藩の地下浪人、岩崎弥次郎夫妻の長男として生まれる。元々は下級武士(郷士)の出身だが、弥太郎の曽祖父の代に郷士の資格を売り、地下浪人となり、農業で生計を立てていた。地下浪人とは、下級武士(郷士)の身分を失った家のこと。

 岩崎は渋沢より5歳上だが、幕末から明治維新、その後の経済発展期を共に支えてきたが、両者の経営哲学は水と油のように大きく異なった。渋沢は多くの優秀な人材を集め、合本主義によって、企業を大きくすることが、「国利民福」(国家の利益と国民の幸福)に貢献する最善の方法と説いた。

このイラストは蔣海倫が描きました

 これに対し、岩崎は三菱の社則に「三菱商会は会社の形態をとるが、実際は岩崎家の事業であり、多数から資本を募って結社するのとは異なる。だから会社のことはすべて社長の裁可をあおげ」と記し、トップ独裁を経営の基本に置いた。

 実業家として岩崎の才能が大きく開花するきっかけとなったのは、土佐藩がイギリスやオランダなどの欧州商人から軍艦や武器を輸入するため長崎に設置した土佐商会(開成館長崎商会)に派遣されてからである。土佐商会は土佐藩の重役、後藤象二郎が長崎に出向き、基礎をつくったが、後を任せられる人物として、岩崎を抜擢した。

 土佐商会は船舶や武器の輸入に見合う輸出商品として木材、強心剤、防腐剤として使われる樟脳、鰹節など土佐物産を扱っていたが、輸出は伸びず貿易収支の赤字は拡大する一方だった。このため欧州商人への支払いが嵩み、物品の引き渡し、お金の工面や支払い条件に苦労する。この苦労が実業家としての岩崎を大きく成長させた。

 実はこの時期、長崎で、岩崎は坂本竜馬と出会っている。竜馬は、岩崎が生まれた翌年(1836年)、高知城下で、郷士で御用商人でもある裕福な家に生まれている。26歳で脱藩、曲折を経て、薩摩藩の西郷隆盛の支援を受け、長崎に亀山社中を設立した。

 亀山社中は薩摩藩、長州藩などの貨物輸送に当たった。1867年、後藤象二郎らの働きかけで坂本の脱藩罪が解かれると、亀山社中は「海援隊」と名前を変える。海援隊は海から土佐藩を援護する役割を担う。海援隊は坂本のリーダーシップの下で、物資の運搬や貿易の仲介など商社に近い事業を展開した。

 さらに利益追求(射利)を組織の重要な目標の一つに掲げた。当時としては営利を目的にした経営を堂々と掲げる画期的な組織だった。長崎にいた岩崎は海援隊の活動を積極的に支援し坂本と親しくなり、酒を酌み交わす仲になっている。その坂本は京都で暗殺されてしまう。明治に入り、岩崎が海運に本格的に取り組んだのは坂本の影響が大きかったと筆者はみている。

▽海運事業で成功、三菱商会を設立

 明治に入ると、新政府は藩営事業を禁止した。明治2年(1869年)、土佐商会の海運事業部門の中核メンバーが九十九(つくも)商会を設立した。明治4年の廃藩置県を機に岩崎は九十九商会のトップに就任する。九十九商会は藩船3隻の払い下げを受け、貨客運航を開始する。

 幕末から明治へ移行する当時の日本では、外国船が日本の国内航路にまで進出し、暴利をむさぼっていた。これを是正したい明治政府は、「廻漕会社」を設立し、幕府の蒸気船を供与したり、運航助成金を支給したりしたが外国船との競争は劣勢だった。その中で九十九商会だけは高知―神戸航路、東京―大阪航路で実績を上げていた。

 明治6年(1873年)九十九商会は三菱商会へ社名変更し、翌年本社を東京日本橋南茅場町に移した際、社名をさらに三菱蒸気船会社に変更した。

 話は前後するが、岩崎が巨利を得るきっかけとなったのが明治4年(1871年)5月に制定された新貨条例だ。旧幕府時代の金、銀、銭という通貨制度を改め、10進法の円、銭、厘を単位とする新硬貨をつくることを定めた。同時に廃藩置県の実施で多くの藩が、財政難から藩札を発行していたが、それを回収し、政府紙幣と交換しなければならなかった。

 政府が藩札を買い上げることを事前に知った岩崎は、約10万両の資金を調達し、各藩が発行した藩札を大量に買い占め、それを政府に買い取らせ、莫大な利益を得た。この情報を岩崎に流したのは新政府の高官になっていた後藤象二郎だった。

 今でいうインサイダー取引であり、当然後藤にも利益の一部が流れたと見られている。政商としての岩崎の本領はこれを機にさらにエスカレートしていく。特に新政府の重鎮、大久保利通、大隈重信への接近が三菱の海運事業の成功に大きく貢献する。

 明治7年(1874年)、政府は台湾出兵にあたり、軍事輸送を英米船会社に依頼したが、局外中立を理由に断られた。代わって名乗りを上げたのが三菱だった。政府は外国船13隻を購入、運航を三菱に委託した。

 政府は日本の内外航路を独占している欧米の汽船会社に対抗するため、勢いに乗った三菱を積極的に支援、さらに香港、上海、釜山、ウラジオストクなどの外国航路の開設を認めた。このため欧米汽船会社との間で激しい価格競争が展開された。

 政府は有事の際の徴用を条件に三菱に特別助成金供与、さらに競争に敗れ日本を去ることになった欧米船の一部や施設を購入し、三菱に引き渡すなど手厚い保護を加えた。三菱自身も廻船貨物を担保に荷主にお金を貸し出す荷為替金融を実施するなど当時としては最新のサービスで顧客を拡大した。官民一体の海運事業強化策が功を奏し、外国船は日本から撤退し、三菱の一人勝ちとなった。

(注)この連載は毎週日曜日午後に掲載予定。次回は2月12日(日曜日)になります。
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三橋 規宏(経済・環境ジャーナリスト、千葉商科大学名誉教授)
1940年生まれ。64年慶応義塾大学経済学部卒業、日本経済新聞社入社。ロンドン支局長、日経ビジネス編集長、科学技術部長、論説副主幹、千葉商科大学政策情報学部教授、中央環境審議会委員、環境を考える経済人の会21(B-LIFE21)事務局長等を歴任。現在千葉商大学名誉教授、環境・経済ジャーナリスト。主著は「新・日本経済入門」(日本経済新聞出版社)、「ゼミナール日本経済入門」(同)、「環境経済入門4版」(日経文庫)、「環境再生と日本経済」(岩波新書)、「日本経済復活、最後のチャンス」(朝日新書)、「サステナビリティ経営」(講談社)など多数。
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