商工組合中央金庫(関根正裕社長)の完全民営化がようやく実現へと動き出す。政府は46.46%を保有する同社株を全て売却する方針を固めた。今通常国会に商工中金法の改正案を提出する方針だ。
法案の概要は次のようなものだ。①政府保有株は公布から2年以内に「できる限り速やかに」全株を売却する。②代表取締役を選ぶ際の国の認可を4年以内に廃止し、届出制とする。③災害時などの「危機対応融資業務」は残す。④株式会社化する際に政府出資を振り替えた「特別準備金」は維持するーという内容だ。
さらに、法案の付則として、政府関与の縮小に向けて、公布から4年以内に事業の見直しを検討すること、政府株売却後のガバナンスや地域金融機関との連携の状況を検証し、「危機対応業務」について「所要の措置を講じる」と、将来的な廃止の可能性も否定してはいない。
商工中金の民営化方針が打ち出されたのは小泉純一郎政権下の06年で、行政改革推進法で「08年に株式会社化し、5~7年後に政府出資株をすべて売却処分する」と謳われた。しかし株式会社化された直後にリーマンショックに直面し、さらに11年には東日本大震災が起こり完全民営化は先送りされてきた。日本経済の危機に政府系金融機関による中小企業支援は不可欠というのが理由だった。
そうした中、16年に露呈したのが商工中金の支店社員による融資書類の改竄だった。リーマンショックや東日本大震災の危機対応融資で、業績を伸ばすために貸出書類を改ざん融資したのだ。その後、同様の改ざんはほぼ全国の支店で行われていたことが発覚。経産省出身の安達健祐社長が辞任に追い込まれた。その立て直しを託されたのが西武ホールディングス(HD)傘下のプリンスホテル常務だった関根正裕氏だった。
旧第一勧業銀行(現みずほ銀行)出身の関根氏は、同行が総会屋への不正融資で揺れた1997年に危機対応に奔走した伝説上の広報担当者。高杉良氏の小説「金融腐蝕列島」のモデルとなった改革「四人組」に連なるエリート行員だ。
とくに「後に江上剛のペンネームで作家となる小畠晴喜氏とは広報部で師弟関係だった」(みずほ銀関係者)という。その後、「四人組」の筆頭格で、西武HD社長に転じていた後藤高志氏に請われて西武HD入りし、「事実上のナンバー2」(関係者)として同社の再上場やプリンスホテルの再建に力を尽くした。
関根氏の商工中金入りの背景には岸田文雄氏を筆頭とする政界人脈があったとされる。「開成高校出身の関根氏は、自民党の岸田文雄政調会長(当時)と高校同期で、ともに野球部で汗を流した級友だ。岸田氏は日本長期信用銀行に、関根氏は第一勧業銀行とともに大手銀行に就職したのも同じ。
また、現自民党参院幹事長の世耕弘成氏との関係も深い。「世耕氏が政界入りする前、NTTの広報に在籍していた時からの知り合い」(メガバンク幹部)とされる。
関根氏が商工中金の社長に就いた18年から5年近くが経過し、商工中金は経営の落ち着きを取り戻し、コロナ禍対応では存在感を示した。中小企業庁の商工中金のあり方を検討する有識者会議も「新たなビジネスモデルは概ね確立され、地域金融機関との連携・協業も進捗している」として改革の成果を評価した。
完全民営化への素地は整っている。
しかし、民間金融機関の懸念は完全には払拭されてはいない。「完全民営化といいながら官の関与は残る。競争のイコールフィッティングが確保されるか疑問の余地がある」(メガバンク幹部)というのだ。
焦点は2つある。ひとつは、総額5300億円にのぼる「特別準備金」や「危機対応準備金」などの政府資金が当面維持されることだ。同資金とセットで危機対応融資も継続される。かつ、根拠法である商工中金法も残り、非上場で完全民営化は進められる。「名ばかりの完全民営化となりかねない」(同)という意見も聞かれる。
もうひとつの焦点は、完全民営化後の業務範囲を巡る民間金融機関との競合だ。
商工中金の業務範囲規制は完全民営化と引き換えに大きく緩和される見通しとなっている。「業務範囲の緩和では民間金融機関との連携・協業規定を設けること等が検討されているが、具体的な業務範囲の緩和に際しては、民間金融機関の意見を聞く場を設けてほしい」と地銀幹部は指摘する。
ただ、商工中金の完全民営化はすでに走り出しており、もはや帰らざる河となった感が強い。
「岸田政権が進める防衛費倍増や少子化対策の財源に商工中金の株式売却益が充当されることになろう」と岸田政権が民営化を進める理由に永田町関係者は財源面があると推測する。
商工中金の完全民営化は、同じくリーマンショック、東日本大震災、そしてコロナ禍で宙に浮く日本政策投資銀行の完全民営化議論にも波及しかねない。理由はいわずもがなだ。
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森岡 英樹(経済ジャーナリスト)
1957年生まれ、 早稲田大学卒業後、 経済記者となる。
1997年米国 コンサルタント会社「グリニッチ・ アソシエイト」のシニア・リサーチ ・アソシエイト。並びに「パラゲイト ・コンサルタンツ」シニア・アドバイザーを兼任。2004年 4月 ジャーナリストとして独立。一方で、「財団法人 埼玉県芸術 文化振興財団」(埼玉県100%出資)の常務理事として財団改革に取り組み、新芸術監督として蜷川幸雄氏を招聘した。 |
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