大都市圏ではない長崎県佐世保市にあるテーマパーク、ハウステンボス。開業以来18年間赤字だった同社を引き受けて、たちまち黒字にした澤田秀雄ハウステンボス社長(HIS会長)にハウステンボスの潜在力を聞いてみた。(聞き手はソクラ編集長、土屋直也)
―― かねてハウステンボスには数千億円の潜在力を感じると言っておられますね。そこまでの可能性がありますか。
「ハウステンボスの良いところは、都市国家のモナコと同じ大きさがあるのです。レストランが20くらい、商店が20くらいあって、アトラクションが何十もあって、小さな工場、発電所もあるのです。全て整った都市機能を持っています。そこで、どんな実験でもできるのです」
「ほかにはない実験場の機能を使って、ハウステンボスでは今、エネルギー開発の研究をしています。ハウステンボスは物凄くエネルギーを使いますから。また、少し安くできますから、売電も始めています。工場に電気を供給しました。2016年4月からは電力自由化になります。我々も自由化に参加します」
―― 発電所を作るのですか?
「新しいエネルギー事業に参加していきますので、最新の発電所も計画しています。出来るかどうかわからないのですが、フィルムの太陽光発電の研究をしています。日光のあたるところならどこにでも貼れるのですよ。太陽光は補助金が無いと採算取れないと言われているのですが、フィルム太陽光発電なら、土地代もかからないし、設備費が画期的に下げられる可能性があります。例えば車の上にフィルムを張るとか」
―― それは、エイチ・アイ・エスでやっているのですか? ハウステンボスですか?
「ハウステンボスではHTBエナジ―という子会社があって、そこで発電から売電までやっています。戦争は、食べられないから戦うか、エネルギーの取り合いか、あとは権力争いではないですか。エネルギーの問題を解決すれば紛争は減ります。イラク戦争もそうじゃないですか、石油が無ければイラクを攻める必要はなかったのではないですか。紛争を減らしたい、そんな思いも込めて、エネルギーの開発・研究をしているのです」
―― ハウステンボスを「大きな実験場」と捉えるのは気がつきませんでした。
「ハウステンボスは都市であり、小さな国家のようなものです。モナコ位の大きさがある私有地です。私有地ってどういうことか、わかります? ほとんど規制がないのですよ。僕は自動車免許を返上してしまったのに、ハウステンボスでは電気自動車に乗っています。私有地ですから許可はいらないのです。広いからクレームも来ません。音を出そうが、光を出そうが、車を走らそうが構わないのです」
―― エネルギー開発以外にも使えますね。
「もう間もなく電気自動車の自動運行の実験が始まります」
―― どこの企業と組むのですか?
「ちょっと秘密ですが、半年から1年後には実験が始まります。都市の機能が全部そろっていて、(規制のない)私有地での実用的な実験は、実験所でする実験とは違うのです。問題点がすぐわかり、早く改善ができるため、開発の速度があがります」
―― ハウステンボスはいろんな事業に使えそうですね。
「今、農業開発もしています。世界一生産性の高い植物工場をめざし、建設の準備を始めています。いずれ世界は食料事情が悪くなってくるでしょう。その時のために自分のところで食料は作ろうということです」
「大きなドームを作ってその中に全自動で植物が出てくる工場を作ります。農業は人の手間がかかりますから、自動化の余地もそれだけあります。種を自動で撒いて、育て、後はロボットが刈り取るだけです。そういう研究開発をしています。これは2~3年かけて建設しようと考えています」
―― テーマパークとしてのハウステンボスの次の一手は?
「良いイベントを継続していきます。例えば、世界最大1300万球のイルミネーション。全国イルミネーションランキングで3年連続1位です。そういうイベントをどんどんやっていきます」
―― 変なホテルで開発したロボットは、ほかでも使えますか。
「開発したロボットは販売もしようと思います。変なホテルで実験できていますから、ホテルの部屋に置いているチェリーロボットは家庭でも使われると思いますよ。ロボット事業に乗り出そうと来年にはロボットの会社も作ります」
「ハウステンボスは単なるテーマパークではないのです。ロボット事業ばかりか、自動運転車の実験、農業、エネルギー開発といろいろなことができます。ハウステンボスはビジネスとして無限に近い潜在可能性を秘めているのです。私が来る前は長年にわたって赤字でしたが、とんでもない宝の山だったのです」
(構成・角田裕育)
ハウステンボスは巨大な実験場 |
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(ビジネス)
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土屋 直也:ネットメディアの視点(ニュースソクラ編集長)
日本経済新聞社でロンドンとニューヨークの特派員を経験。NY時代には2001年9月11日の同時多発テロに遭遇。日本では主にバブル後の金融システム問題を日銀クラブキャップとして担当。バブル崩壊の起点となった1991年の損失補てん問題で「損失補てん先リスト」をスクープし、新聞協会賞を受賞。2014年、日本経済新聞社を退職、ニュースソクラを創設
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