コロナ禍への対応で財政金融政策が総動員されている。大きな負のショックに対して、立ち行かなくなる企業や失われる雇用を最小限に抑えるのは、経済政策として当然である。一方で、「ウイズコロナ」からの脱却にかなり長い時間を要することが明らかになりつつある以上、従来の産業や雇用をそのままの形で維持することは難しい。
さらに、従来から必要とされていた変化がコロナ禍によって加速される。例えばデジタル・トランスフォーメーションである。コロナ禍で突然テレワークを要する状態に置かれて、多くの企業が必ずしもうまく対応できたわけではない。教育のリモート化は、さらに大きな壁に直面した。給付金の支給を巡る大混乱は、行政デジタル化の遅れを改めて痛感させた。
政府は今年の「骨太の方針」にデジタル・ニューディールを掲げ、今後1年で集中的に改革を加速・強化する方針を打ち出した。民間の取り組みも進むと予想される。デジタル化はもともと時代の流れであり、ウイズコロナを契機にこれを加速させるのは当然だ。それにより生活が便利になり、ビジネスモデルの多様性や柔軟性が高まることは望ましい。
しかし、デジタル化の加速がそれ自体として経済成長を高めるかどうかはわからない。日銀は展望レポートで、コロナ化を契機とした情報通信技術の活用等が、イノベーションを促し、中長期的な成長期待を高める、という可能性に言及している。その可能性がないとは言わないが、楽観はしない方がよい。
デジタル化やイノベーションによって、利益成長を高める企業が出てくることは間違いない。しかしその一方で、それまでの経済価値が破壊されるビジネスモデルも出てくる。Eコマースの急成長の陰で、既存の小売業が厳しさに直面しているのは、その典型例である。常識的にはプラスの効果の方が大きいと考えられるが、経済的利益が一部の企業や人々に偏る場合、経済全体への効果は、経済成長率に現れるほど大きくはならないかもしれない。
むしろ、技術革新が一因となって平均賃金が上がりにくくなっている、というのが多くの経済学者の基本認識だ。持続的な経済成長とは、所得と支出の好循環のことである。賃金が上がらないなら、経済は成長しない。
アベノミクスの下で日本の経済成長率が高まらなかったのも、デジタル化の遅れが主因ではないだろう。IT先進国の米国でも、経済の潜在成長率は低下傾向をたどっているのである。GAFAの躍進、多数のユニコーン企業の出現、株価の大幅上昇、などの華々しい面はあっても、平均賃金の上昇率が上がりにくい、という点では米国も日本とあまり違わない。
デジタル化が経済成長の必要条件であるというのは、ある程度正しいかもしれない。しかし、それが十分条件でないことはほぼ明らかである。デジタル化に限らず、産業構造に強い変化の圧力がかかる時、既存のスキルの陳腐化という必ず起こる問題に、国全体としてなかなかうまく対応できないのである。
経営の側にしてみれば、デジタル化で生じた余剰労働力を削減、ないしその賃金を抑制して、コストカットを実現するのは合理的な判断である。働く側にしてみれば、転職するにしても新たなスキルを獲得する時間や資力には限りがあり、賃金面で強い交渉力が持てない。
これが、技術革新により賃金が抑制される基本メカニズムである。「スキルの再獲得」が不十分にしか行われないことが、経済の成長を止めてしまうのである。このスキルギャップは、市場経済に任せておく限り解消することはない。
よく、「賃金を上げるには企業の生産性上昇が重要だ」と言われる。念頭に置かれているメカニズムは、企業が付加価値の高い財やサービスを開発し、同時にそうした企業活動を支える高いスキルを従業員に身につけさせて、高収益と高賃金を両立させる拡大均衡である。確かにそれなら経済は成長する。
しかし、そんな面倒くさいことをするくらいなら、低賃金でも働かざるをえない人々をそのまま利用して、低コスト型ビジネスモデルを追求する方が、企業にとって簡単でありリスクも小さい。再教育にお金と時間をかけても、その果実を将来にわたって自社で囲い込める保証もない。こうして、個々の企業すなわちミクロの行動原理に任せておく限り、人々のスキルアップのための投資は、経済成長を最大にするマクロ的な最適レベルより、低いものにとどまってしまう。
人材教育には外部性、すなわち公共財としての性格が、かなりの程度存在する。したがって、政府が財政資金を使って人々のスキルアップを強力にサポートすることなく、デジタル化の推進だけで経済成長を実現できると考えるのは、幻想と言ってもよい。
再就職やリカレント教育の支援強化は当然として、失業給付の水準や期間を拡充することにもそれなりのメリットがある。それによって、個人が新たなスキルを獲得するための時間的、金銭的なゆとりが生まれるからである。
いずれにせよ、「人」への投資という視点が希薄なままデジタル化を推進しても、賃金が上がらず消費が伸びないコロナ前のアベノミクスと、同じ轍を踏むだけである。
デジタル化だけで経済成長達成は”幻想” |
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【門間前日銀理事の経済診断(33)】賃金抑制する側面 人への投資が必要
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門間 一夫( みずほリサーチ&テクノロジーズ エグゼクティブエコノミスト)
1957年生。1981年東大経卒、日銀入行。調査統計局経済調査課長、調査統計局長、企画局長を経て、2012年から理事。2016年6月からみずほ総合研究所(現みずほリサーチ&テクノロジーズ)エグゼクティブ・エコノミスト。著書に『日本経済の見えない真実』(日経BP社)
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