闇の勢力が介在した戦後最大の経済犯罪「イトマン事件」。メーンバンクだった住友銀行の混乱ぶりを書き留めた「住友銀行秘史」(講談社=2016年10月出版)は、さまざまな読み方ができるドキュメンタリーである。
著者の国重惇史は当時40代前半。危機を前に決断できないでトップや役員に苛立ち、取った行動が「内部告発」だった。大蔵省、日銀、メディアに情報を送り、銀行を外から動かしたのである。
「この本は住友銀行を書いているが住友銀行だけの問題ではない」と国重さんはいう。
「大企業とはどんなところか。そこで働くサラリーマンは、どんな生き様を選べばいいかを問いたかった」と執筆の動機を語る。
国重さんのインタビュー(前編)はユーチューブのタイムス・デモクラで公開している。
内部告発というと片隅に居る不満分子を想像しがちだが、国重さんは当時、業務渉外部の部長として大蔵省・日銀と折衝する銀行中枢にいた。MOF坦(大蔵省との連絡役)を長く務め「住銀の将来を背負うやり手」と役所から見られていた人物だ。
ど真ん中にいたエリート行員がマル秘情報を役所や新聞社に漏らしていたのだ。情報管理が厳しいはずの銀行では考えられないことだ。
「職務上知りえた秘密は墓場まで持って行け、と教えらえてきた。しかし、それでいいか、ことの顛末を明らかにし、多くの人が考えてほしかった」という。
事件から四半世紀が経過し、実名で登場する人たちの多くが他界したことが背中を押した。事実を風化させず、銀行で何が起きたのか、記録にとどめたいという。
私はイトマン事件を、過去の話とは思えない。
事件の背景に日銀の低金利政策があった。じゃぶじゃぶに出回るマネーの中で銀行は貸出競争に走り、地上げ屋や株の仕手筋にまでカネを貸しまくった。
金融自由化が叫ばれ「自己責任でリスクを取る」が新しい行動原理になった時代。銀行員は「危険な輩」にまでカネを貸すことがリスクをとること、と考え暴走した。
貸出は増加し、銀行の金利収入は増えたがやがて融資は焦げ付き、大損害となる。
「支店長も役員もトップも、自分の任期中の業績を上げることに必死で、銀行の将来や健全な経営を考えようとしなかった」
こうした企業風土は今の企業経営にも当てはまるのではないか。東芝や三菱自動車でも明らかになったが、氷山の一角ではないのか。
異常な低金利は今も続いている。カネはあり余るほど発行されると怪しげなところに流れ込むのが習性だ。
海外でドイツ銀行の経営危機が話題になっている。イタリアでも銀行は問題になっている。イトマンのような事件が世界的規模で起きているのではないだろうか。
イトマンへの不良融資は国重の告発で1990年に表面化した。バブルが崩壊した年だ。同じことは他の銀行でも起きていたのである。告発者がいない銀行で不良融資は表に出ず、1998年の金融危機で噴き出したのである。銀行が潰れ、生き残った銀行には公的資金が注入された。バブル崩壊から8年が経っていた。金融ビジネスは損が出ても融資し続ければ表面化しない。損失が雪だるまのように膨らみ、やがて隠せなくなり燃え上がる。
リーマンショックから10年。より大きな津波が世界の銀行を襲うかもしれない。