昨年末のFRB(米連邦準備理事会)の9年半ぶりの利上げは、米国経済が日本や欧州に先駆けて立ち直った証しでもある。
折しも2008年秋のリーマン危機当時のFRB議長ベン・バーナンキの回顧録の邦訳が出た。ポールソン財務長官、ガイトナー・ニューヨーク連銀総裁(後に財務長官)に続き、当時の米当局3トップの回顧録が出そろった。
読んでみて、世界が1930年代型「大恐慌」を避けられたのはラッキーだった、と思わざるを得ない。
ポールソン回顧録の原題は「ON THE BRINK」(崖っぷち)。バーナンキは、公的には「大恐慌以来最悪の金融危機」と説明していたが、「ほぼ確実に人類史上で最悪の事態だと個人的には思っていた」。ガイトナーは、処理すべき「5つの大きな爆弾」―ファニーメイ、フレディマック、AIG、シティ・バンク、バンク・オブ・アメリカ―を抱えていたと振り返る。
タイミングも悪かった。大統領選挙投票日まで2カ月を切ってリーマンが破綻し、金融危機と8年ぶりの政権交代期が重なる。大恐慌を免れたのは、3人の「絶妙の組み合わせ」に負うところが少なくない。
ポールソンがブッシュ政権3代目の財務長官に就いたのは06年7月。「サブプライム問題」に火がつく1年前だ。投資銀行ゴールドマン・サックスで30年余働き、同社CEOから転身した。危機対応に奔走したが、もし、ウォール街の表裏に通じた彼でなかったら。前任のスノー長官は鉄道会社のCEOだった。
バーナンキのFRB議長就任は06年2月。大学教授出身で、大恐慌の研究で知られていた。FRBの平理事の時、「大恐慌はFRBの失策」が持論のミルトン・フリードマン教授の90歳の誕生祝賀会で「あなたは正しかった。FRBは2度と過ちはしません」とスピーチした。もし、ほかの学者だったら。
ガイトナーは、財務省の職業公務員だった。クリントン政権で、ローレンス・サマーズ財務次官(後の長官)の補佐官から国際担当財務次官にまで昇進、メキシコやアジア危機を手がけ、金融危機に慣れしていた。FRBの実戦部隊NY連銀の総裁就任(03年)は、サマーズやルービン元長官の強い押しがあった。
ハンク(ポールソン)、ベン(バーナンキ)、ティム(ガイトナー)と呼び合う3人の信頼の絆は、互いの記述で明らかだ。ハンクはベンと「完全に腹を割ることができた」し、ベンもハンクと「経歴や性格がまったく違うにもかかわらず、うまがあった」。
ハンクのティム評は「分析的な視点と並外れた冷静さで危機と向き合い…驚異的なスタミナを発揮」。ベンも「感情を顔に出さないポーカーのプレーヤーのようなティムの泰然としたクールさ」を称える。
ティムは、ハンクの補佐官らが、しじゅうティムと電話している長官に不平をこぼしたことや、オバマ大統領に「危機と闘うのにすばらしい仕事をやってきた」ベンのFRB議長再任を進言した挿話を明かす。
金融危機を予期して任命されたわけでもない3人は、「奇跡のトリオ」と呼ぶべきかもしれない。
リーマン危機、大恐慌を食い止めた「奇跡のトリオ」 |
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【けいざい温故知新】米当局3トップの回顧録を読む(上)
リーマン・ブラザーズ=CC BY /Helge V. Keitel
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土谷 英夫(ジャーナリスト、元日経新聞論説副主幹)
1948年和歌山市生まれ。上智大学経済学部卒業。日本経済新聞社で編集委員、論説委員、論説副主幹、コラムニストなどを歴任。
著書に『1971年 市場化とネット化の紀元』(2014年/NTT出版) |
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