政府は7日午後の臨時閣議で、「骨太の方針(経済財政運営と改革の基本方針)」と「新しい資本主義」の実行計画を決めた。
ここに至るまで、自民党内では、財政拡張路線と財政健全化路線の対立軸が際立った。「政低党高」の岸田政権を特徴づけるように、政府は両者の調整役を担わされた感がある。
「骨太の方針」と「新しい資本主義」の実行計画では、従来の政府の経済政策の修正が顕著にみられた。
岸田政権は発足当初から「所得と成長の好循環」を掲げたが、実際には税制変更を通じて賃上げを促し、企業と労働者の労働分配を変えることを目指す所得再配分に比重がかけられた政策姿勢だった。
また、岸田政権は、企業に対する賃上げ要請に加えて、短期的に収益拡大を目指す企業の姿勢に否定的であるなど、「企業に厳しい政権」と印象づけられた。
さらに、所得格差是正の観点から、株式市場の逆風となりえる金融所得課税制度の見直しも掲げていた。この点から、「株式市場に厳しい政権」との評価も固まっていたのである。
ところが、「骨太の方針」と「新しい資本主義」の実行計画では、より成長重視の姿勢が目立つ一方、「株式市場に厳しい政権」から「株式市場を味方につける政権」へと一気に方針転換した印象を与える。政策姿勢は大きく修正されたのである。
▽「人への投資」、「脱炭素」など重要な政策項目が並ぶ
「骨太の方針」では、新しい資本主義を実現するために重点4項目を掲げる。その一つが、人への投資の拡大である。日本は海外と比較しても人への投資が不十分であることが長らく課題であった。
政府は、転職やキャリアアップ支援のため2024年度までの3年間で4,000億円規模の予算を投じる。教育訓練や転職、再就職などの支援で非正規雇用者を含む「100万人程度」が利益を受けられるようにする方針も示された。
これらは、労働者が産業構造の変化、技術革新にキャッチアップすることで、労働のミスマッチ緩和や労働生産性向上に資するものとなるだろう。
また、企業に男女の賃金差の開示を求め、人的資本に関する非財務情報については今夏に開示指針を策定すると書き込んだ。
脱炭素の実現に政府は10年間で20兆円規模の投資を行う方針であり、その財源としてGX経済移行債(仮称)の発行を検討する。また、再生可能エネルギーや原子力に関しては、「最大限活用する」との考えが記された。
「骨太の方針」にはスタートアップ支援も盛り込まれた。創業時の融資を巡って、個人保証を不要にする案が検討されている。科学技術分野では量子や人工知能(AI)、バイオなどの分野への投資を手厚くする。
これらの施策は、岸田政権の経済政策が、所得再配分重視から成長戦略重視へと比重を移したことを印象付けるものだ。日本経済の活性化により貢献する方向での修正であり、基本的には歓迎したい。
さらに、「株式市場を味方につける政権」に方針転換した岸田政権は、新たに「資産所得倍増計画」を掲げた。
幅広い世代の個人の資産を株式市場に向かわせるために、少額投資非課税制度(NISA)や個人型確定拠出年金(iDeCo、イデコ)の拡充を検討している。年末までに策定する資産所得倍増プランに盛り込まれる方向だ。
個人の資金を株式市場に向かわせることは簡単ではなく、それを通じて資産所得の倍増させることは近い将来であれば現実味を欠く。
しかし、個人の資金をリスクマネーとして企業に提供し、それを通じて企業の成長、経済の活性化を図ること、またそれが配当増加、株価上昇を通じて個人消費を刺激するなど好循環を目指す姿勢は正しいだろう。
ただし、制度変更だけでは個人マネーを株式市場に向かわせるには十分でなく、企業をより成長させる成長戦略の後押しが欠かせないのではないか。
▽財政健全化路線後退の懸念
気がかりであるのは、財政拡張路線と財政健全化路線の対立である。「骨太の方針」は両者のバランスをとって記述されたとはいえ、実際には従来よりも財政拡張路線の意見に寄った記述となったように思われる。
それを最も象徴しているのは、「2025年度プライマリーバランス(基礎的財政収支)黒字化目標」という記述がないことだ。
骨太方針では、財政健全派が強くこだわった「骨太方針2021に基づき経済・財政一体改革を着実に推進する」との文言が入る。
だが、他方で、「ただし、重要な政策の選択肢をせばめることがあってはならない」と、柔軟な対応を可能とする前提を入れるべきとする財政拡張派の主張も取り入れた記述となった。
財政拡張派は、骨太の方針での財政健全化に関する記述が、参院選後の大型経済対策や防衛費増大の制約になることを強く嫌っているのである。
そこで、「2025年度プライマリーバランス(基礎的財政収支)黒字化目標」に代表される財政健全化については、将来修正しうる目標に位置付けたいのだ。
▽財政悪化は成長戦略の効果を損ねてしまう
実際、骨太の方針を巡る自民党内での議論では、防衛費増額を求める意見が相次いだ。
ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、安倍元首相らからは「防衛力を5年以内に抜本的に強化する」ことや、NATO(北大西洋条約機構)諸国の国防予算を念頭に「防衛予算の対GDP(国内総生産)比2%」といった言葉を盛り込むよう要求が相次いだのである。
「新しい資本主義」の実現に向けた各種施策は、歳出と歳入の一体改革を進めることで、しっかりとその財源を確保してから実施することが重要である。
安易に、新規国債発行でそれらの施策を賄えば、成長戦略としての効果を自ら損ねてしまうことになりかねない。新規国債発行の増加は、将来世代の需要を前借りし、奪ってしまうものだからだ。
それは将来にわたる成長期待を低下させ、企業の投資、雇用、賃上げをより慎重にさせることで、日本経済の潜在力を押し下げてしまうのである。
財政健全化路線を堅持できるかどうか、岸田首相のリーダーシップと政治手腕に期待したい。
国債頼みの財政拡張は危険 実は成長力を削ぐ |
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【木内前日銀政策委員の経済コラム(122)】市場に「厳しい」から「味方に」にがらり転換
岸田首相=Reuters
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木内 登英(前日銀政策委員、野村総研エグゼクティブ・エコノミスト)
1987年野村総研入社、ドイツ、米国勤務を経て、野村證券経済調査部長兼チーフエコノミスト。2012年日銀政策委員会審議委員。2017年7月現職。
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