米労働省が7月2日に発表した6月分雇用統計では、非農業部門雇用者数(季節調整済み)が前月比85万人増加し、事前予想の70.6万人を大きく上回った。注目されるのは、この雇用統計がFRB(米連邦準備制度理事会)の金融政策に与える影響だ。
しかし、FRBが単月の数字で政策姿勢を大きく決めることはない。統計の精度の問題にも注意を払う必要がある。6月分雇用統計では、統計の技術的な歪みによって非農業部門雇用者数が上振れる可能性が、公表前から指摘されていた。
コロナショックによって、雇用の季節的なパターンが従来から変化し、その結果、季節調整値の振れが大きくなっている。
それは、例えば教育分野の雇用だ。例年は学校が夏休みに入る6月に雇用は大きく減少し、秋になって学校が再開されると雇用は増える。季節調整はこうした季節的な要因による変化を調整するものであることから、6月の季節調整値は実際の数字(原計数)よりも小さく、秋になると季節調整値は実際の数字よりも大きくなる。
ただ、コロナ下では6月の時点ですでに教育分野の雇用が例年よりも減少する一方、夏期補習プログラムの拡大によって、6月には学校側が多くの雇用維持に動いた。このため、従来の季節パターンを用いて季節調整すると、6月分の雇用の季節調整値は実勢よりもかなり大きく上振れるのである。
これは一例であるが、単月の数字は振れが大きいことに加えて、コロナショックによって雇用統計の季節調整値の精度が低下している点を踏まえれば、FRBが6月分の雇用統計のみで政策の方向性を決めることはないだろう。
人手不足の緩和を確認するにはなお数か月必要
一方、従来から指摘されている労働供給の制約、人手不足の問題もまだ続いているだろう。6月分雇用統計では、コロナショックの打撃を最も受けたレストランや小売店などサービス業の雇用増加が目立った。
ここだけみると、人手不足は解消され、需要回復が素直に雇用増加に繋がり始めたようにも見える。しかし、雇用の需要が最も高まっているのはむしろ川上の産業であり、そこでは深刻な人手不足がまだ続いているのではないか。
労働供給が伸びない背景には、やはりコロナショックの影響がある。失業手当の上乗せ措置によって、失業手当の受給者が職探しをする意欲が減退していることや、保育施設の利用が困難な状況や学校がオンライン授業であることから、子供を持つ女性が復職をためらっていることが指摘されている。
6月分雇用統計では、働く女性の数は7,140万人と、前月から約13万人減少した。また成人女性の労働参加率は56.2%と横ばいで、コロナ問題が始まった際の57.8%を依然大きく下回っていること等は、それを裏付けている。
それ以外でも、感染リスクを警戒して、失業者が仕事を再開することをためらう傾向やコロナ疲れをした失業者が、夏のバカンス時期を楽しんだ後まで再就職を先送りする傾向があることも労働供給を制約しているだろう。
しかし既に学校での対面授業は再開されてきており、また9月には失業給付の上乗せが終了し、夏休みシーズンも終わりを迎えることから、秋までには深刻な人手不足は解消に向かう可能性が考えられる。それをメインシナリオと考えて良いだろう。
それでも確実とは言えないことから、市場もFRBも労働市場の状況、そこから生じるインフレリスクを見極めるまでに、まだ数か月程度の時間が必要となる。
FRBは「インフレを懸念する市場を懸念」
仮に、深刻な人手不足が緩和され、賃金の加速が落ち着いてくれば、足もとでの物価上昇率の大きな上振れも一時的で終わるだろう。しかし、人手不足のもとで賃金の加速傾向が仮に長引けば、物価上昇傾向はより範囲を広げ、定着してしまう可能性も完全には否定できない。
物価上昇率の上振れは一時的との見方がFRB内では主流と考えられるが、物価上昇率の上振れを示す物価指標の発表が今後も続けば、市場の持続的なインフレへの懸念がより高まる可能性がある。
その場合には、長期金利が上振れて米国の金融市場全体が混乱し、また新興国からの資金流出を招くなど、その影響はグローバルに広がる可能性もあるだろう。
そうした事態を回避するには、市場のインフレ懸念が顕著に高まった場合、FRBはすかさず金融政策の正常化を急ぐ姿勢を市場にアピールし、物価安定に向けたFRBへの信認を高める必要が生じるのである。
この点から、FRBの金融政策姿勢に最も影響を与えるのは、雇用、物価指標の上振れよりも、市場のインフレ懸念の高まりなのではないか。FRBは「インフレを懸念する市場を最も懸念」しているのである。
FRBが恐れる市場のインフレ懸念 |
あとで読む |
【木内前日銀政策委員の経済コラム(98)】早めの引き締めに追い込まれる不安も
公開日:
(マーケット)
FRB議長=Reuters
![]() |
木内 登英(前日銀政策委員、野村総研エグゼクティブ・エコノミスト)
1987年野村総研入社、ドイツ、米国勤務を経て、野村證券経済調査部長兼チーフエコノミスト。2012年日銀政策委員会審議委員。2017年7月現職。
|
![]() |
木内 登英(前日銀政策委員、野村総研エグゼクティブ・エコノミスト) の 最新の記事(全て見る)
|