オーストラリア経済が激震に揺れている。オーストラリアといえば、豊富な鉱物資源や農産物の輸出増大を背景にほぼ30年にわたって景気拡大を続けてきた「幸福な国(Lucky country)」として知られていた。
しかし、1~3月の実質GDPは大規模な山林火災に続いてコロナショックにも見舞われて前期比-0.3%とマイナス成長となった。さらに4~6月については「新型コロナウィルスの感染拡大に伴う都市封鎖(ロックダウン)の影響が全面的に出てくるため、実質成長率は10%程度のマイナス成長」(フライデンバーグ財務相)となる見通しである。景気後退の定義を二期連続のマイナス成長(テクニカルリセッションとも呼ぶ)とすると、オーストラリアは1991年第三四半期以来ほぼ30年ぶりの景気後退に陥るものとみられる。
オーストラリアは2008年のグローバル金融危機、SARSの蔓延、9.11といった世界的な危機の際にも景気後退を経験することはなかった。長期に亘る安定成長の一因は、コンスタントな移民の流入である。移民流入に伴う労働人口の増加が各年のGDP成長率のうち1%相当の説明要因となってきた。
さらにスーパーパワー中国の台頭によってもたらされた空前の資源輸出ブームと開発投資の持続があげられよう。中国は過去10年間にわたって主要な輸出マーケットであり、輸入元であった。輸出入シェアをみると、輸出で34%、輸入で25%とともに最大の貿易相手国である。鉄鉱石(輸出全体の8割が中国向け)石炭、天然ガスなどの鉱物資源や農産物などの中国向け輸出が増大した。
今回の新型コロナウィルス感染の拡大は各分野に甚大な被害をもたらした。典型的な事例は、年間売上げが600億豪ドル(400億ドル)に及ぶ観光業界である。宿泊業、飲食業界が政府の休業要請を受け入れたため、就業者のおよそ1/3が失業に追い込まれた。その後、政府が一日の感染者数を数名に抑え込むのに成功してロックダウンを段階的に解除したあとも観光客の戻りは感じられてない。観光業界の本格的な回復には数年かかるものとみられている。
雇用面をみると、過去6週間で100万人以上の失業者が出て、政府の予測では失業率が近々10%の大台を超えることは確実だ。また同国は「移民の国」として知られ学生や技術者、労働者などの移民流入が30年にわたる景気拡大を支えてきた大きなファクターであった。
オーストラリアは長年の好景気が続く中で住宅ブームに沸いてきた。しかし、コロナショックで2020年の住宅投資は前年比10%近いマイナスとなるとみられ、また住宅ローンの焦げ付き急増も避けられないとみられる。住宅ローン残高が急増したのを反映して、家計債務残高が家計総所得に占める比率は200%を超える先進国中第一位の高水準となっている。皮肉なことではあるが、もっと早く景気後退が来ていればこれほどまでに債務が積みあがることはなかったであろう。最も債務負担の重い家計部門がもっとも危険なセクターであることは明らかだ。
今年1月以降、オーストラリアは大規模な山林火災に見舞われて少なくとも50億豪ドルの経済的な被害が出ている。さらに60年ぶりの規模という記録的な大干ばつが3年にわたって続いた。そこに3月にはコロナウィルス感染が広がり始めたわけだ。連邦政府、州政府は国境を封鎖したうえ、観光、飲食など経済の多くの部門を封鎖した。この疫病拡大の阻止策が感染者を7千人、死者数が100名を少し超える程度に抑えるほど効率的であったのは称賛に値しよう。
しかし、決断力に富む感染拡大の阻止に向けた政府の介入は、一方で大きな経済的なコストをもたらした。政府は企業支援と雇用維持に2,000億豪ドルにおよぶ財政支出を行った。それでも、これまで大規模な失業の経験がなかった同国にとってはショッキングな多くの失業がもたらされた。とくに20歳以下の成人は5人に1人が失業するに至った。もし政府による雇用維持スキームがなければ経済危機はもっと深まっていたであろう。政府は700億豪ドルを費やして全労働者の1/4に相当する350万人の雇用維持を支援した。
オーストラリア準備銀行(中央銀行)は19年10月、山林火災やコロナショックが来る前に歴史的低水準である0.75%まで政策金利を引き下げた。20年3月には雇用の伸びが急速に落ち始め、インフレ率が目標下限(2%)を下回る状況下でさらに2回の利下げを行い、政府債の購入という量的緩和にも踏み切った。この間、オーストラリアドルは一時、年初来の下落率が対米ドルで9%近いマイナスとなったが、その後の世界的なドル安で若干戻している。
すでにオーストラリアの商業銀行は住宅ローンの元利払い猶予令(最長6か月)を受けて43万件もの住宅ローンの元利払いが遅延することとなった。企業向け貸し付けの延滞と合わせて2,000億豪ドルものローンが延滞債権となっており、このままでいくと向こう3年間で350億豪ドルのローンが引当償却を余儀なくされる、と推計されている。
観光業界は大規模な山林火災によって6,500億豪ドルの損害にあったが、新型コロナウィルスの影響は損失額ならびに影響を受ける期間ともに、遥かにそれをしのぎ、仮に営業を再開したとしても利益を生み出すのは難しいと思われる。しかもこれから南半球にあるオーストラリアには冬が近づきコロナウィルスの第二波が襲ってくる恐れがある。
オーストラリア政府は7月までに85万人の労働者を職場に復帰させるという大胆な目標を掲げている。ソーシャルディスタンスを守るとともに100人以上の集会や海外渡航を禁止することを条件にしている。なお経済の稼ぎ手である鉱山業や建設業はロックダウンの最中でも稼働を許されていた。
オーストラリア経済にとって中国への過度の依存の是正も足枷となる。2008年に勃発したグローバル金融危機の際には中国が4兆元の景気対策を速やかに実行した。これが鉄鉱石、石炭の対中輸出を劇的に増大させて10年以上に亘る資源開発ブームを引き起こした。これにより中豪関係は経済、政治的にも緊密さを増して2015年には自由貿易協定(FTA)を締結するに至った。
しかし、軍事・政治面で中国が南シナ海での人工島建設などの攻撃的な行動を増やし、かつ貿易面のみならず資源開発投資、不動産投資などマネーの世界でも中国の台頭が目立ち始めた。このため中国に対する警戒が高まっていった。そこに今回の新型コロナウィルスの感染拡大が加わった。モリソン首相は米国などと歩調を合わせて中国に対して武漢でのコロナウィルス感染の拡大について特別調査をするように迫った。ただ中国とのビジネスが膨らんできた中で、経済界の首脳は、中国のファーウェイがオーストラリアでの5Gネットワーク構築に加わることを禁止するなど、反中姿勢の強まりが両国経済関係の急速な悪化につながることを懸念している。
ちなみにオーストラリアにおける中国の直接投資承認額は2018/19 年度(2018年6月~2019年6月)で131億豪ドルと前年の半分になっている。中国による農地など土地の買い占めや戦略的なインフラ投資の拡大に関する懸念の高まりを表したものだ。こうした反中姿勢の高まりに対して、中国はオーストラリアの食肉処理業者4社からの牛肉製品輸入を禁止したほか、大麦輸入に80%の懲罰的関税を賦課した。中国は他の輸入品にも禁止措置や高関税を課すなど対抗手段に訴えてくるものとみられる。
このように資源に恵まれて30年近い成長を続けて「幸福な国」と呼ばれたオーストラリア経済もコロナショックの克服に加えて、貿易、開発投資の増加をリードしてきた中国との政治・経済関係の見直し、住宅ローンなどの不良債権処理など、いまや多くの課題を背負っているといえよう。