英国のトラス政権の大幅減税を骨子とする経済政策がマーケットの反乱にあったほか、IMFやEUなどの国際機関などが主権国家の政策をあからさまに批判するという異例の対応を見せた。
ただ、英国保守党内の右派には「トラスノミックス」と呼ばれる「大幅減税と規制緩和による成長率引き上げ」に賛同する向きもいたのは事実である。しかし、この米国のレーガン政権を嚆矢とする「レーガノミックス」と呼ばれたサプライサイド重視の経済政策は、トラス政権の場合は最初から市場の激しい攻撃にさらされた。
通常、新政権と国民、マスコミの間には百日程度のハネムーン期間があると言われてきたが、トラス政権は英国政治史上、最短の蜜月で終わりそうだ。各種世論調査では保守党支持率が20%台、野党の労働党支持率が50%を上回るという新政権発足直後としてはみたことのない低支持率となっている。トラス政権がクリスマスまで持つか、というのが英国人の好きな賭けの対象となりそうだ。
ただ英国内の一般国民の批判は「財源なき減税が財政破綻をもたらす」ということよりも「金持ち優遇策」に集中していた。内容的には課税所得15万ポンド以上の最高税率45%を40%に引き下げる、シティーの投資銀行役員、トレーダーらに対する高額ボーナスの規制を撤廃する、といった項目が集中攻撃を受けた。結局、トラス政権は10月3日(月)に45%の最高税率を引き下げる政策を撤廃した。
海外諸国や英国内外の金融界は、クワーテング財務相が、インフレ高進の著しい英国にあって全く財源を示さずに450億ポンドに及ぶ大型減税を発表したことに危機感を持った。そうした中で、英ポンドが史上最安値を記録するとともに国債市場では英国債が暴落する羽目になった。
折からイングランド銀行(BOE)では、インフレ抑制のために利上げ、量的緩和の縮小を打ち出していた。しかし、9月23日(金)には金融引き締めの真っ只中で、クワ―テング財務相は大幅減税を発表したわけだ。翌週26日(月)~27(火)の英国債市場では全く買いが入らないという事態におそわれて長期国債の利回りが一時、20年物国債で5%を越える大暴落をみた。
BOEは8,000億ポンドに達する英国債の市場売却という量的引き締め(QT)の方針を打ち出していたにもかかわらず、ここで逆に国債市場の市況暴落を防ぐために買い支えに回ることになった。
とくに年金ファンドが保有する英国債は650億ポンドに及ぶ。年金ファンドでは、英国債の金利が下がるリスクに備えてデリバティブ取引でヘッジを行っていた。ところが、このヘッジ取引が、金利急騰に伴って追加証拠金がかかり、投げ売りに追い込まれる危機におそわれた。
BOEでは市場の安定と国民の老後生活を保証する年金の崩壊を防ぐために緊急買い入れ措置を発表した。BOEは最高350億ポンドの資金を投入する用意をして実際には9月26日週の一週間で38億ポンドの買い入れによって、何とか市場を安定させた。
BOEも「もし、BOEが介入しなければ年金ファンドの行き詰まり、かつ債券市場の機能不全といった金融のメルトダウンを招いていたであろう」と胸をなでおろしているようだ。しかし、まだ勝負が終わったわけではない。20年物国債は5%のピークに迫る4.7%とBOE介入前の3.6% を依然として大きく上回っている。
政界や年金ファンドからはBOEの国債買取理の継続を要望する声が強いが、BOEのベイリー総裁は「今週末で(異例の)市場介入は止める」「年金ファンドにはあと3日残っている(その間に損失処理をしろ、の意)」と強硬な姿勢を示している。
いつまでも本来、市場取引で価格を決定する場の国債市場に介入することは資源配分をゆがめる、インフレ抑制の見地からの量的引き締め(QT)に戻りたい、というセントラルバンカーらしい意向が透けて見える。ベイリー総裁としては国債市場の安定を期すにはトラス政権による財源なき大幅減税を撤回するしかない、というのが言葉には出さないとはいえ本音であろう。
トラス政権は危機の最中にあっても音なしの構えであった。トラス首相が集中攻撃にさらされたクワーテング財務相と距離を置きだしたとも噂された。それも当然で、世論調査では2019年の総選挙で保守党に投票した人ですらトラス政権の経済政策が正しく公平だと答えた人は19%、不公平と訴えた人が47%に達している。
レーガノミックス、サッチャーリズムと称されたサプライサイド重視の自由主義は、所得格差が広がり多くの人が生活苦を訴える現在の英国人の心境にはフィットしていない。トラス政権が大上段に構えて英国経済を再生して、リーマンショック後には記録したことがない実質成長率2.5%を達成しよう、という掛け声もむなしく響く。世論調査では50%以上の人がトラスノミックスでは経済がかえって悪化すると答えている。まずは二ケタ台に達したインフレを防止することが先決だと考えているわけだ。
大きな社会的潮流としては、英国人のうち三人に二人が「普通の生き方をしている勤労者階級が本来得ている筈の国富の公正なシェアを得ることができずにいる」という不公平社会に直面していると感じている。ブレグジットもこうした不満を持つ階層のはけ口であった面もある。しかし、ブレグジットによるEUとの貿易量の大幅な減少が、EU離脱反対派が懸念していた通りに英国のトレンド成長率の低下をもたらしているのも皮肉である。
トラス政権はアイルランド議定書の見直しなどEUとの対決姿勢を強めるとみられるほか、経済政策面でもトラスノミックスの一部を撤回したにすぎない。インフレ高進の中で大幅減税を核とする新自由主義を採る一方、エネルギー料金の凍結という国家介入による財政負担増大策という矛盾した政策を同時進行させていくようだ。市場の反乱はまだまだ続くことになろう。