ロシア軍によるウクライナへの全面侵攻が続いている。エネルギー価格、非鉄金属、食糧といったロシア、ウクライナの生産ウエイトが高い品目が急騰している。米英がロシア産原油の輸入禁止を発表したが、禁輸の検討が報道された段階で北海ブレントが一時、バーレル当たり139ドルと2008年のロシアによるジョージア侵攻以来の高値を付けた。
欧州の天然ガス価格も昨年のボトムからほぼ20倍の高値を付けて、一時は史上最高値を更新して1メガワット時(1MWh)あたり345ユーロを付けた。ロシアからのパイプライン輸送が天然ガス消費全体の4割近くを占めるうえ、ドイツがノルドストリームⅡの認可停止を発表したことも加わったためだ。
2005~2008年にかけて石油ならびにガス価格が急騰した際には、ロシアの財政が潤い、さらにはプーチン大統領と親しい新興財閥も巨万の富を得た。さらに高水準の資源価格からロシアのSWF(ソブリン・ウエルス・ファンド)の総資産も2008年の320億ドルから先月には1,750億ドルとGDPの10%を占めるまで増大した。
米国は、ガスプロム銀行など石油決済に絡む金融機関はSWIFTの除外対象から外すなど欧州に配慮していた。しかし、その米国では議会や一般国民の声に押されてロシア産の全面禁輸に踏み切った。欧米の企業ではイメージ悪化を恐れてロシア産の取引を見送る動きがでている。
ロシアの石油輸出は原油が日量500万バーレルと世界全体の4%、石油製品が日量270万バーレルと世界輸出の10%を占めている。現地からは石油取引の7割の引き取り先が宙に浮き、多くのタンカーが行き先を失って港に係留されたままになっているとの報もある。
石油専門家はロシア産の石油を全面禁輸というのは、上記のような圧倒的なシェアからその穴埋めはできないと懐疑的である。
石油、天然ガス価格は、ウクライナとの戦争が起きる前から高騰を続けていた。その背景には、①コロナ感染から次第に世界経済が正常化して石油、天然ガス需要が急速に拡大してきたこと、②気候変動防止の観点から、石炭、石油、天然ガスなど化石燃料の新規開発が抑制されてきて供給量が制約されてきたこと、などが挙げられる。そこに③ウクライナ危機によって天然ガスが世界1位、石油が世界2位の輸出量を誇るロシアの輸出が滞る恐れが強まったことが影響した、と言える。
コロナ対策としての各国政府による巨額の財政支出が石油、ガスの需要増に強い追い風となった。米国の石油需要は日量2,300万バーレルと記録的な高さとなり、世界需要の1/4を占めるに至った。国際エネルギー機関(IEA)では今年の世界石油需要は日量1億バーレルと史上最高となる見通しである、と推測している。
石油ならびに天然ガスの供給は需要増加に全く追いついていかない。2016年からの3年間、世界経済の拡大の下で、世界の石油需要は増加をたどった。高値原油に誘われて米国のシェールオイル業者が一斉に新規開発、増産に走ってこの需要増を吸収した。
しかし、コロナ感染の拡大にともなって2020年春から石油価格は急落した。シェールオイルの投資熱も冷めた。シェールオイルへの投資を勧誘するために経営者はシェールオイルの新規掘削よりも収益の配分を優先することを約束するしかなかった。
つまり傷ついたバランスシートからの回復を生産増大よりも優先することにあった。米国の生産は少しずつ上がってきたものの、それでもなおコロナ前の水準を一割以上下回っており、世界の需要増には追い付かない。
石油メジャーであるエクソンモービルやBPでは2050年までに温暖化ガスの排出量をゼロにするゼロエミッションというIEAの目標に沿って新規油田の掘削などの資本支出を抑制されたままである。いま掘削作業に入っても20~30年先に実現するような油田開発に株主のゴーサインが出るかと言えば答えはノーであるのは確実だ。
一部には、OPECであれば増産余力があるため供給増加に踏み込める、との見方もある。しかし、OPECはバイデン大統領からの執拗な増産要請に対しても拒み続けてきた。OPECは月間40万バーレルずつしか増産しないという保守的な姿勢を変えていない。
この理由はロシア、イラクでさえ大きな増産余力に欠いているという事情があるからだ。OPECはこれまで価格急騰の非常事態に備えて10%程度の余剰能力を抱えてきたが、現在では4%ほどしかない。
この余剰能力の縮小こそ石油市場をこれまで見ないほどタイトにしている原因ではないかとの指摘が多い。ちなみに先物価格をみても先高感が顕著であり、2008年にロシアのジョージア(旧グルジア)侵攻で付けた147ドルの高値を抜いて200ドルを越えても不思議ではない。
ただ、イランの核合意が成立すればイラン産原油が市場に出回り需給のひっ迫を緩めるかもしれない。OPECはこのイラン増産の可能性もあって増産に慎重だ、との見方もある。
天然ガスも石油と同じような状況である。欧州諸国はロシア産天然ガスの輸入に大きく依存している。欧州諸国における天然ガス消費量の30%強はロシア産である。すでに天然ガス価格はMWh(メガワット時)あたり昨年の底値である16ユーロからウクライナ侵攻時には同142ユーロへと急騰、3月に入って一時345ユーロへと高騰して既往最高値を更新した。
ドイツが、完成して認可を待つばかりになっていたノルドストリームⅡの認可を停止、すでに市場ではこのパイプラインの引き当て償却まで噂に上っている。ロシアのメドベージェフ前大統領は「欧州諸国は天然ガスの急騰に見舞われるであろう」とツイートしたが確かにそのような事態になっている。
ロシアからのガス供給が大きく滞ることになれば、事態の解決は容易ではない。ロシア依存度の高い欧州諸国は米国、豪州、カタールなど友邦国から欧州へのLNG(液化天然ガス)輸入に切り替えればよいと言われている。しかし、もともとロシアからのパイプラインに依存してきたため、欧州におけるLNGの貯蔵能力には限界がある。
米国から欧州向けの積み出しが今後本格化するとみられるものの、グリーンエネルギーに拘った石油と同じ事情で新規の液化天然ガスの処理施設への投資が滞っているので受け入れ能力には一定の限度がある。
石油と天然ガスの価格上昇は世界経済にとって困難な事態をもたらす。欧州、北米、アジアでは政府の思い切った財政支出とワクチン接種の広範化によって、コロナ感染拡大の最悪時に比べて各国経済は予想外に拡大している。
2021年には先進国を中心に高成長によって消費が増える一方、中国のように石炭消費を抑えて石油、天然ガスへのシフトを行ってきた。そのために先進国ではエネルギー価格を中心にインフレ率が30~40年ぶりの高さにまで達している。
IMFでは1月に世界経済見通しを改定、2022年における先進国の成長率は4.4%から3.5%に下方修正した。しかし、この前提は石油価格が80ドル弱となっており、110ドルを越える今日、とくに石油と天然ガスの純輸入国である欧州諸国にとっては経済成長にとっての大きな負荷となってこよう。
現実的に石油価格の上昇が120~140ドルで止まったと仮定しても、インフレ率は現在の見通しから2%ほど高まり、多くの国で年率10%を越える恐れも出てくる。バイデン大統領は支持率が40%にまで落ちる中で11月の中間選挙を控えてサウジアラビアに増産の要請をしている。
さらに米国はすでに戦略備蓄の放出を行い、さらに連邦ガソリン税の削減を検討するなど、石油価格の安定に向けて必死である。
英国でもガソリン価格のみならず暖房代、電力料金が記録的な高さとなっている。ジョンソン政権はグリーン革命をうるさいほど訴えてきたが、いまや石油・ガスの新規掘削を要請している。
フランス、スペインでもガソリン補助金などの形で化石燃料消費を助長している。COP26サミットでわずか3か月前に声高に迫ってきたのは何であったのであろう。EUも原子力と天然ガスを一定の条件の下であるとはいえクリーンエネルギーとしての利用を許容する方針を示している。
クリーンエネルギー革命をうたって電気自動車の開発促進や風力発電など再生エネルギーへのシフトを誓った熱気はどこに行ったのか。しかし、背に腹は代えられない、というのが各国首脳の本音であろう。
石油、天然ガスなどのエネルギー価格が落ち着く兆しはない。ウクライナ危機も加わって、先進国でも、最悪の場合にはインフレ高進と景気後退が併存するスタグフレーションの危機すら想定されよう。とくにもともと景気回復が緩慢であったうえ、ウクライナ、ロシアと近接する欧州諸国の景気の先行きが気がかりである。