スリランカにおける大統領追放劇は「ベルベット革命」と呼ばれる。7月8日(土)に数万人のデモ隊が首都コロンボで大統領公邸になだれ込んだ。
その前にゴタバヤ・ラジャパクサ大統領は公邸を脱出していたが、デモ隊は「ゴタ、帰れ!」と叫びながら人気のない豪華絢爛な公邸に突入した。群衆は、大統領の椅子に座り、プールで泳ぐなど、国民の生活苦を知りながら、ぜいたくな生活を送っていた大統領に対する憤懣をぶつけた。
ラジャパクサ大統領は軍用機でモルディブまで逃げ、さらにシンガポールまで飛んで辞表を提出して受理された。
デフォルトに陥ったスリランカの政治経済は、引き続き危機的な状況にある。国債金利は40%まで高騰し、新政府はIMFとの合意による融資発動、大胆なインフレ抑制策の導入、GDP比10%を越える財政赤字の削減などの早急に取り組まねばならない。
スリランカは新興国における債務危機の勃発の前兆となる「鉱山のカナリヤ」とみてよい。
JPモルガンでは、今年、新興国への債券投資は流出に転じてその資金流出額は520億ドル(約7兆円)に達すると推計している。97~98年のアジア危機、ロシア危機に匹敵する規模である。
ウクライナでの戦争前から始まっていたサプライチェーンの混乱はなお続いている。エネルギー価格はロシアのプーチン大統領による石油、天然ガスなどの輸出制限も加わって高値圏で推移している。
さらに「欧州のパンかご」とも呼ばれたウクライナからの穀物輸出は滞り食糧価格が高騰した。新興国にとってはむしろ食糧価格の高騰が経済的にはダメージかもしれない。2008年の「アラブの春」を巻き起こした経済的な要因は食糧危機であったことを覚えておられる方も多いと思う。
米国のFRBは9%を越えるインフレ率を背景に金融引き締めをさらに強めるとみられ、ドル金利が上昇しているほか、記録的なドル高にも見舞われている。
いずれも新興国にとっては大きなアゲンストの風となる。20%を越えるドル金利の下で起きたメキシコ危機など、高金利とドル高は過去の新興国における債務危機を引き起こす引き金となった。
この一年間における10年物ドル建て債金利の上昇幅が10%を越えた国が6か国ある。この6か国の最新の利回りは、ウクライナの40%、スリランカが37%、エルサドルバドルが33%、次いでアルゼンチンが25%、ガーナが21%、パキスタンが21%となっている。
もっともウクライナについては戦争勃発後、市場ベースでの借り入れはなく、今後もEUによる90億ドルの無償供与など公的支援ベースの調達が続く。このためIMFでは、目下のところ、デフォルトの危険性はない、と見ている。またパキスタンはIMFと融資の合意をみて取り敢えずデフォルトの危機を回避した。
国際金融市場ではスリランカに次ぐデフォルト候補はアルゼンチンとみられている。アルゼンチンの10年物国債の利回りは今年に入って10%以上上昇して、債券価格は20セントまで下落している。アルゼンチン政府による機能不全のマクロ経済政策と中央銀行による相対的な低金利政策(注)に伴う持続不可能な金融抑圧を市場が見限っているといえそうだ。
(注)6月の消費者物価指数は前年比+64%と30年5か月ぶりの高水準となった。一方でアルゼンチン中銀は景気・雇用の回復を長年にわたって優先、さすがにインフレ高進が目立ってきた最近では政策金利を6か月連続で引き上げて52%としたものの、実質金利のマイナスが続いている。
新興国の債務問題を考えるうえで第一の問題は高い債務水準である。ワシントンの国際金融協会(IIF)によると、世界の総債務残高は2021年末で初の300兆ドル台に乗せた。うち新興国では20年から8兆ドル増えて95兆ドル、GDP比250%程度となっている。
債務累増をもたらした最大の要因はパンデミックの長引く悪影響である。たんに人道上の苦痛のみならず、コロナ対策に必要な財政資金を調達するための対外借り入れ、その返済原資となる鉱産物や農産品輸出の停滞などの悪影響が見られた。
新興国、とりわけ貧困国では先進国がワクチン接種や所得補償にと潤沢に使っていた財政的資源が足りないため、それを対外借り入れに頼った。IMFによると、借り入れ過多によって新興国全体の30%、低所得国の60%が債務の再編を要する高いリスクがあるとのことだ。
グローバルインフレとよばれる世界的なインフレも新興国の債務状況にとってダメージとなる。国際商品市況の高騰は、とりわけ食料とエネルギーを輸入に頼る新興国を直撃することになる。
国連食糧農業機関(FAO)によると、食料品価格はロシアのウクライナ侵攻後、概ねコロナ前の平均を50%上回る水準まで高騰した。石油価格は同じ期間で約2倍となった。
最近でこそ食料品も石油価格も低下してきたものの、いまやインフレは燎原の火のように広がり、新興国の一般国民の生活苦をもたらし、政権に対する怨嗟の声を生んでいる。スリランカでゴタバヤ・ラジャパクサ大統領が追放されたのもこのためだ。
世界最大の小麦輸入国というとエジプトが浮かぶ。世界有数の小麦輸出国であるウクライナでの戦争によって価格が高騰、それでもエジプト政府は7千万人が対象となっているパン価格に対する補助金を継続している。
もっとも、湾岸産油国から130億ドルの巨額ローンを受けているほか、世銀ローンも供与されているので今すぐデフォルトといった話にはならない。
輸入国が苦境に陥っているということは輸出国には莫大な収入がもたらされるということだ。サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)などは財政事情の好転により財政支出の拡大を計画している。
一方で大産油国であるナイジェリアでは製油所のメンテナンスが行き届かず、外国から石油精製品を高いコストで勝ってこざるを得ない。さらにナイジェリア政府は国民に対して多額のガソリン補助金支出で財政が圧迫されている。
米国の金利上昇も新興国の債務問題にとっては大きな悪影響をもたらす。さらにドル金利の上昇がドル高をもたらし、外貨建て債務の返済負担を増やす。この1年の間に貿易量加重平均で見たドルレートは1割方の上昇となっている。
過去にはこのようなドル高は、ドル決済で貿易を行う貧しい国に国際収支危機をもたらしてきた。いまや、新興国の1/3がドル建て債券に10%以上の金利を支払っている。したがってドル高、自国通貨安が続けば深刻な金融危機を生むことになろう。
ただ、過去の危機と今回は違ってているところもある。かつては、ドル高になると、多くの新興国が外国通貨建てで借り入れを起こしていたため、広範に苦痛をもたらしていた。
今日ではインド、ブラジル、南アなどの新興国の大国では多くの借り入れを国内の投資家向けに自国通貨建て行っている。経済成長に伴い、国内の金融・資本市場が育ってきたためだ。このため、こうした国では債務危機に対する耐性が強まっているとは言えそうだ。
しかし、国内借り入れに依拠していれば全く安心なのかというとそうでもない。もし、アルゼンチンが今年デフォルトに陥れば、多くの問題は外貨建て債務でなく国内のペソ建て債務から生じる。
インドも石油などエネルギー輸入額の大きさがネックとなる。インフレ、国際収支の赤字が加速すれば国民生活が圧迫されてモディー政権が不安定化する。スリランカと同じような経路をたどるかもしれない。
最後の危機はプーチン大統領によるウクライナ侵攻に伴う悪影響だ。世界中で、石油、ガスなどのサプライショック、インフレーション、金利高騰などが一遍に同時に生じたのは前代未聞のことである。
フォンデアライアン欧州委員長が指摘したようにロシアはエネルギーと穀物を効果的に「武器化」して利用していくであろう。これに伴い、先進国の景気が悪化すれば、新興国の輸出が鈍化する一方、大半を輸入に頼るエネルギー・食糧価格の上昇が輸入を増やして国際収支が一段と悪化する。
通貨が下落して国内物価が一段と上昇する。国民の政治に対する不満が爆発する。まさに恐れられるスリランカ危機の再現がみられるようになろう。