欧州中央銀行(ECB)のラガルド総裁がついに利上げに舵を切った。
もともと、同総裁はフランス財務相、IMF専務理事を経験してきただけあって政治的な思惑を重視してきたと言われ、利上げには慎重な構えを見せてきた。ドイツなどが敢然と利上げを迫ってきた中にあっても、「米国と違って欧州は景気回復の力強さに欠ける」「性急に利上げすれば南欧諸国(ポルトガル、スペイン、イタリアなど)の国債価格が下落するなど金融資本市場に混乱が及ぶ」といった理由から利上げに慎重でハト派の代表格であった。
そのラガルド総裁が23日にECBのブログで「現時点の見通しに基づけば、ECBは9月末までにマイナス金利から抜け出す可能性がある」と打ち出した。ECBが傘下の民間銀行から預かる預金金利は2014年の南欧諸国のソブリン国債危機以来マイナスを付けており現在は-0.5%となっている。
これを7月21日、9月8日に予定されている理事会で0.25%ずつ利上げしてマイナス金利からの脱出を図ることを表明したわけだ。ダボス会議に出席していたビルロワドガロー仏中銀総裁も「ラガルド総裁のブログは理事会メンバーの総意を受けた確定事項である」との見方を示した。
すでに量的緩和については段階的な縮小を進めると決定している。具体的には債券の購入額を4月が400億ユーロ、5月が300億ユーロ、6月に200億ユーロまで減らしてゆく方針を打ち出している。ECBは4月14日の理事会でこの量的緩和政策に関して「債券の新規買い入れを7~9月期に終える見通しが強まった」とステートメントで発表している。量的緩和を7月に終了して利上げに向かうことになろう。
ECB総裁が理事会のステートメントや記者会見以外のルートで政策の将来について発表するのは極めて異例のことである。ユーロ圏の消費者物価上昇率は4月に前年比+7.5%の上昇と6か月連続で過去最高を更新するなど、インフレが急速に進展していて次回理事会を待っていたら手遅れになることを恐れたものとみられる。
このような状況下、ラガルド総裁に対して超金融緩和政策からの正常化を求める声がドイツやベネルクス諸国から高まっていた。ラガルド総裁もブログで「中長期的にインフレ率が2%近辺で安定するのであれば、金利水準の正常化を図って中立的金利まで引き上げることは適切である」とコメントしている。
つまり、景気を刺激もしない代わりに後退もさせない中立的金利水準はユーロ圏の場合、2%程度とみられる。ラガルド総裁はユーロ圏の景気が過熱を示すようであればこの水準を越えるまで金利引き上げに躊躇(ちゅうしょ)しないとしている。
一方でウクライナでの戦争を通じるエネルギーを中心とするサプライショックと欧州と経済関係の深い中国でのゼロコロナ政策に基づくロックダウンを理由にあげて「金融政策を調整する場合に漸進的にかつ柔軟に行うべきという議論がある」と性急な利上げには慎重である。ちなみに欧州委員会が5月16日に発表した2022年の実質成長率見通しは2.7%と3か月前の4.0%に比べて1.3%の大幅下方修正となっている。
ECBとしてはインフレの高進にストップをかけなければ信認を失うことを恐れているのも事実だ。現にECBが公表した経済予測サーベイでは長期の予想インフレ率が2.1%とインフレターゲットの2%をわずかだが越えている。ラガルド総裁も認めるように米国ほど労働需給のひっ迫で賃金が急騰しているわけではない。
ただ欧州には強力な労組が多く、今後の労使交渉で労組側が8%を大きく超える賃上げを迫ってくる可能性は高い。もともと、インフレ高進がエネルギー、食糧価格の上昇というサプライサイドによるもので利上げに伴うインフレ抑止効果は限られている。しかし、ECBとしては利上げでインフレと闘う姿勢を見せることによって物価=賃金の悪循環を防ぎたいのが真の狙いであろう。
ただラガルド総裁が「漸進主義は不確実性の高い下で慎重な戦略である」と述べているようにECBは0.25%ずつ小刻みに利上げを図っていく方針をとっていくであろう。とくに懸念しているのはユーロ圏各国の経済パフォーマンスが均一性に欠けることだ。南欧諸国に金融ショックを及ぼす、あるいは国債価格が暴落することを恐れているのは間違いない。
その場合、ラガルド総裁が注視しているのは南欧の大国であるイタリアの動静であろう。ECB総裁の前任者であるドラギ首相の就任以来、イタリアに対する国際的な信認が増したのは事実である。ドラギ首相に対する信頼感の強さを背景にイタリアはEU復興基金からインフラ投資などで今後6年間にわたって2,220億ユーロ(約30兆円)の資金を引き出すことに成功した。
しかし、イタリア経済はエネルギー、食糧価格の急騰による実質所得の低下を背景に景気後退の可能性が強まっている。イタリアは天然ガス供給に占めるロシアのウエイトではドイツと並んでユーロ圏諸国の中でも圧倒的に高い。イタリア南部に多い低中所得層では電力料金、ガソリン代、パンなどの価格高騰で大きな打撃を受けている。
政治的には南部は代表的なポピュリスト政党で議会最大勢力を誇る「五つ星」の牙城であり、インフレの高進、生活苦は来年の総選挙にも影響を及ぼすものとみられる。
財政面の脆弱性も目立つ。国債残高/GDP比ではギリシャに次ぐ高さである。財政赤字のGDP比では2021年中で7.2%とユーロ圏随一の高さである。ドラギ政権はこれを5.6%まで引き下げると公約している。しかし、景気が急速にスローダウンしそうな情勢では困難な目標となろう。こうした情勢下、独伊の10年物国債のスプレッドは2%と危険水準に近づいている。
イタリア経済はいかにドラギ首相の経済運営の手腕が高いといっても脆弱な経済体質、財政事情が一気に改善したわけではない。ラガルド総裁としてもトリッシェECB総裁(当時)が早すぎた金融正常化に走って欧州金融危機をもたらしたとの批判を十分に知悉している。ラガルド総裁としては金融危機を回避しつつ、インフレ抑制に努めるという難しい運営を強いられることになろう。