日銀が今週に入ってから市場と政界の両方からの逆風にさらされている。
まずは市場からの逆風。
2016年9月に日銀は長期金利(新発モノ10年物国債利回り)をターゲットの水準に収めるイールドカーブコントロール(YCC)政策を採用。昨年3月からはゼロ%の「上下0.25%程度の範囲」にとどめることを政策決定会合後の声明に書き込んでいる。
だが、13日月曜日に10年国債利回りは0・255%をつけ、あっさり上限と言える0.25%を破られてしまった。海外市場では0.27%台もつけている。
慌てた日銀は、0.25%で10年国債を無制限に買い入れる「指値オペ」を連日実施している。さらに、先物の影響を受けやすく、15日に一時0.36%までつけて10年国債利回りを大きく上回った7年物国債の指値オペを同日から開始し、17日まで続けると表明した。金利抑え込みにやっきになっている。
政策委員会が開かれている16日午前は、10時時点で国内現物市場で10年国債利回りは0.24%と「範囲」に収まっており、7年物利回りも0.26%程度と前日までのような、「いびつ」な状態は解消した状態で推移している。
だが、海外ヘッジファンドが日銀はYCCの修正に追い込まれると公言し、日銀が操作しづらい先物市場での売り仕掛けを表明している。昨日までの混乱が再発しないとは限らない。
政治面では、野党の立憲民主党の小川政調会長が12日日曜日のテレビ番組で黒田総裁に対し「感度が鈍っている」「そろそろ引き際を考えたら」と指摘した。自民、公明の与党からは引退まで求める声は表立ってはでていないが、「参院選を控えているというのに何て発言だ」(与党幹部)と裏では小川氏に同調する空気が広がっている。黒田総裁が翌日には発言を取り消すという日銀にしてはすばやい対応となったのは、政界からの「突風」があったからだ。
ここまでの逆風に日銀がさらされているのは、先週月曜日6日の黒田総裁講演での「失言」があったからだ。講演録によれば、ひとつの仮説としてとしつつも、日銀OBの渡辺努教授のデータを紹介し「日本の家計が値上げを受け入れている」と語っている。賃上げも進まないなか、物価高に苦しんでいる国民の姿が見えていないといわれても仕方がない言い回しだった。
黒田総裁は、円相場が下落し始めた3月以降も円安が物価高の一因であるにもかかわらず「円安は日本経済にとってよいこと」と発言し続けた。それが円安容認発言と受け取られたこともあって円安が進行、3月以前は1ドル=115円前後で推移していたが今週初めの13日月曜日の東京市場で135円台と1998年以来のおよそ四半世紀ぶりの安値をつけた。
こうした状況を踏まえ、黒田総裁は13日の参院決算委員会で円安は「先行きの不確実性を高め、企業による事業計画の策定を困難にするなど経済にマイナスで望ましくない」と円安容認的な発言を大きく修正した。
3月以降の円安局面では、黒田総裁の危機感欠如ぶりばかりが目立ってしまったが、日銀内部に危機感がなかったわけではない。日銀プロパー(生え抜き)組で金融政策を司る企画部門は雨宮副総裁以下ほぼ一枚岩となって、かねてから金融引き締めへの道筋をつけようとしてきた。
6年半ほどさかのぼって金融政策をみてみたい。
ヘッジファンドの挑戦を受けていま注目を集めているイールドカーブコントロール(YCC)政策だが、もともとは、2016年1月に打ち出されたマイナス金利政策の不評を補うためにとられた策だった。
マイナス金利政策は日銀内に懐疑的な見方が少なくなかったなかで、黒田総裁が主導して実施された。就任直後に発した国債を大量に買い入れる「異次元緩和」を実施し、円安・株高には成功したものの、その後2年半以上たってもインフレ率はまったく上がらなかった。これを打開しようと、黒田総裁が導入したのがマイナス金利政策だが、市場の反応は目論見通りではなく、銀行貸し出しはむしろ減ってしまうなどで、「失敗」の烙印を押された。
これを補うダメージコントロールとして日銀はYCCを採用。さらに当初はゼロ%程度としていた長期金利の誘導目標を、上下0.1%程度の範囲とし、さらに2018年には上下0.2%程度、そして2021年3月には0.25%程度に徐々に拡大し、金利の自由度を高め、少しづつ長期金利の「上限」を切り上げてきた。
日銀生え抜き組(プロパー)が黒田総裁の緩和姿勢を徹底して維持するリフレ的政策から、徐々に金利機能を生かす「金融政策の正常化」(日銀幹部)へと舵を切っていった過程だった。
黒田総裁はマイナス金利の失敗によって自信喪失したのか、日銀プロパーのなし崩しには強くは抵抗しなかった。だが、長期金利の誘導範囲の拡大を政策委員会の決定事項としないことには、他のリフレ派の政策委員とともに異を唱え、0.2%に拡げる際には総裁記者会見で表明、0.25%に拡大する時は、声明文に盛り込んで公表してきた。
日銀プロパーによるなし崩し的な「正常化」策だったが、最近は黒田総裁が拒否感を強めていた。日銀プロパーによって0.5%にさらに広げる案が具申されたが、黒田総裁が拒否したとされる。以降は日銀生え抜き組と黒田総裁の関係は微妙な亀裂が入っている。
日銀が追い込まれる決定打になった6月6日の総裁講演に関しても、政策変更を嫌う黒田総裁の主導で内容が詰められた。もちろん総裁の講演だから、最終的に内容を決めるのが総裁なのは当然だが、「失言」回避のために、従来の総裁講演は企画部門が徹底してチェックをしてきている。
そのため、ともすれば総裁講演はつまらないものになりがちだが、今回はそうしたチェックが働かなかった。日銀OBはこれも日銀プロパーと総裁との間の隙間風が影響しているのだろうとみる。
15日のFRBの大幅利上げでも事前の予想通りだったため、米国株は上昇し、円安も小休止になった。国債市場の混乱が収まりつつあることもあって黒田総裁も日銀プロパーもほっとしていることだろうが、FRBがさらに利上げを継続するのは確実で、円安の流れが途切れることはなさそうだ。日銀プロパーと総裁の間に生まれていた「亀裂」は、双方の危機感で修復されるだろうか。
黒田「失言」はなぜ止められなかったのか |
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【編集長コラム】背景に日銀内の対立 リフレ派総裁V.S.正常化派プロパー
公開日:
(マーケット)
黒田総裁=Reuters
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土屋 直也(ニュースソクラ編集長)
日本経済新聞社でロンドンとニューヨークの特派員を経験。NY時代には2001年9月11日の同時多発テロに遭遇。日本では主にバブル後の金融システム問題を日銀クラブキャップとして担当。バブル崩壊の起点となった1991年の損失補てん問題で「損失補てん先リスト」をスクープし、新聞協会賞を受賞。2014年、日本経済新聞社を退職、ニュースソクラを創設
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