米WTI原油先物価格は約3ヶ月ぶりに1バレル=40ドル台に回復するなど、原油市場は「コロナショック」から脱しつつある。
背景には世界で経済活動が再開し景気回復への期待が強まる中、各国の中央銀行の金融緩和に刺激された投資マネーが、株式と同じリスク資産である原油などの商品市場に向かっているという事実がある(6月21日付日本経済新聞)。
しかし世界の原油市場を見てみると、「回復は道半ば」という感が強い。
OPECとロシアなどの産油国(OPECプラス)の過去最大規模の協調減産が7月末まで実施されることになったことは、市場を支える大きな要因である。
供給過剰の元凶であった米国のシェールオイル生産に急ブレーキがかかったことも好材料である。日量1310万バレルだった米国の原油生産量は同1050万バレルにまで落ち込んだが、足元の原油価格上昇で同1100万バレルに戻っている。
将来の生産動向を表す石油掘削装置(リグ)稼働数は189基と過去最低水準となっている。シェール革命に大量の資金を投入してきたウオール街だったが、過去15年間の投資で3000億ドルもの損失が発生していることがデロイトトーマツの試算で明らかになっている(6月23日付OILPRICE)。
有望な投資分野ではなくなってしまったシェールオイルへの資金が先細る状況下では、その生産量がコロナ前の水準に戻るのは当分先になる見込みである(6月24日付OILPRICE)。
一方、需要サイドは「急速に回復しつつある」との声が出てきているが、期待先行の感は否めない。世界最大の原油消費国である米国では、ガソリン需要は回復しているものの、急回復している状況ではない。
5月の過去最高の原油輸入量を記録した中国では、貯蔵スペース不足によりタンカーが洋上待機する事態となっており(6月19日付OILPRICE)、原油輸入量は年後半に減速する可能性が高いと言われている。
世界第3位の原油消費国となったインドの需要も低調である。5月の原油輸入量は日量318万バレルと2011年10月以来の低水準となった。
OPECが17日、「今年前半に前年に比べて日量1190万バレル減少した世界の原油需要は、年後半に前年比640万バレル減にまで回復する」と予測を示したように、今年後半の世界の原油市場は供給不足に陥る可能性があるが、過去最高水準となった世界の原油在庫が当分の間相場の重しとなるだろう。
需給状況から見れば、原油価格はしばらくの間、1バレル=35~40ドルの範囲で推移するとみるのが妥当だが、気になるのは地政学要因である。
筆者の頭には「リーマンショック後の2011年にリビアのカダフィー政権崩壊が材料となって原油価格が100ドル超えとなった」という記憶があるからである。
当時のリビアの原油生産量は日量180万バレル程度であったが、政変による混乱で生産量はゼロになってしまった。当時の世界経済はリーマンショックの後遺症に悩んでいたが、各国の中央銀行による金融緩和で生みだされた投資マネーが原油市場に流れ込み、「不景気の原油高」となってしまったのである。
今回の地政学の材料はサウジアラビアであるのは言うまでもない。
国際通貨基金(IMF)が24日発表した予測数字によれば、今年のサウジアラビアの経済成長率はマイナス6.8%である。
原油価格の低迷による原油収入が大幅に減少しているため、政府は外出禁止令を解除し、すべての商業活動を再開したが、これにより再び新型コロナウイルスの感染者が急増している。国内の感染者数は16万人を超え、1日当たりの感染者数はイランを上回る勢いである。
このため、政府は7月下旬から始まるイスラム教聖地への大巡礼(ハッジ)を大幅に制限せざるを得ない状況に追い込まれているが、建国以来初の不祥事である。ハッジはイスラム教の五行の一つであり、健康であれば一生のうち一度は行わなければならない義務であるが、礼拝場所には数百万人もの巡礼者が押し寄せることから、新型コロナウイルスの感染拡大を回避する観点からはやむを得ない措置であろう。
政府は、「海外からの信者の受け入れは中止し、参加する巡礼者の数を約1000人に制限する」方針を示したが、これにより250万人の巡礼者がもたらす120億ドルの観光収入が消えてしまうことになる。
ハッジを制限する決定は、健康上の懸念より信仰を重視する強硬派のイスラム教徒らの反発を招く恐れもある。
首都リヤドでは23日未明、北部で大きな爆発音が鳴り響くなど不穏な事態が生じている。イエメンのシーア派反政府武装組織フーシ(フーシ派)が、弾道ミサイル、巡航ミサイル、無人機による大規模攻撃を仕掛けたからである。サウジアラビア国防省は「すべての無人機とミサイルを迎撃し、破壊した」としているが、フーシ派は「国防省やサルマン空軍基地などの軍事施設をすべて破壊した」との声明を発表している。
6月21日、ムハンマド王子が皇太子になって3年となったが、「脱石油」改革は一向に成果を挙げらない。海外での評判が悪くなり、対外債務が大幅に増加する一方である。
財政難により補助金がカットされたことでガソリン価格が急騰しているが、7月からは付加価値税が5%から15%へと大幅に引き上げられる。
生活苦に直面した民衆の怒りがムハンマド皇太子に向かうのは時間の問題であると言っても過言ではない。「サウジアラビアの政情不安」という未曾有の地政学リスクが発生すれば、原油価格は1バレル=100ドルどころか150ドル以上に上昇するのではないだろうか。
サウジアラビアの政情不安で原油高騰リスク |
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【藤和彦の眼】コロナショックからの回復は「道半ば」だが
ムハンマド皇太子=Reuters
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藤 和彦(経済産業研究所コンサルテイング・フェロー)
1960年、愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。通商産業省(現・経済産業省)入省後、エネルギー・通商・中小企業振興政策など各分野に携わる。2003年に内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣参事官)。2016年から現職。著書に『原油暴落で変わる世界』『石油を読む』ほか多数。
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