10月28日にとりまとめられた政府の総合経済対策に、訪日客の呼び込み促進や農家・中小企業の輸出支援が盛り込まれた。いつまでも「悪い円安」を嘆いても仕方がない。円安の良い面を生かすという考え方は悪くない。
ただし、「円安を生かす」ことが経済対策の柱のひとつになっていること自体に、日本人として残念な気持ちを持たずにはいられない。
ドル円相場は、財務省の介入によってスピードが抑えられているとは言え、1ドル=150円に近い32年ぶりの円安水準で推移している。年初から3割もの下落は急激な円安と言わざるをえず、それは日米の金融政策の違いから引き起こされたと考えられる。
しかし、ほかにも要因はある。このところ日本の貿易収支は月を追って拡大しており、経常収支さえ季節調整済みでは7月、8月と2か月連続の赤字となった。貿易収支の赤字があまりにも大きくなり、所得収支の黒字で補えなくなりつつあるのだ。
既に昨年、ドル円相場が1ドル=110円程度だったころから「安いニッポン」が話題になっていた。長年にわたり日本の物価上昇率は諸外国のそれに比べて低い。理論的に考えれば、そういう国の通貨は価値が上昇するはずである。
日本でそうならなかったのは、物価や賃金の上昇率が低いにもかかわらず、対外的な国際競争力が高まらなかったからである。「安くても売れない」から日本の輸出は停滞し、その結果、理屈では起きるはずの円高が起きなかった。それが昨年までの状態であり、今はそこからさらに3割の円安になっている。
円安が「良い」か「悪い」かはその企業や個人の立場による。ただ、いずれにせよ通貨の価値はその国の競争力に対する市場の評価なのだから、これほどの円安は「残念な円安」であり「恥ずかしい円安」である。
このぐらいの円安でないと日本は世界と戦えない、と日本は市場から見られているのである。ハンディをたくさんもらってゴルフをさせてもらうようなものである。そして、前述した最近の貿易収支や経常収支の動向を見れば、そういう市場の判断はおそらく正しい。
せめてそのハンディを生かして世界と戦おう、というのが「円安を生かす」ということの意味である。もちろん、安さを売りにするのは悪いことではないし、それでそれなりに勝てるのであればまだ救いがある。「安さ」に魅せられて多くの外国人が日本に来てくれることは、「安いのに見向きもされない」よりはずっと良い。しかし、やはりそれは低次元の戦いである。
為替相場は常に経済の実力に沿って動くとは限らない。中長期的には分不相応な円高が起きてしまうこともある。ハンディがいきなりもらえなくなってしまうことも、為替の世界では起こりうる。
したがって本来目指すべき経済政策は、ハンディの活用ではなく実力の向上である。為替の変動に左右されにくい経済成長の基盤を強化することである。「高いニッポン」でも売れるニッポンを築くことである。これはインバウンドに限る話ではなく、科学技術や産業の拠点として日本はそうならなければならない。
岸田首相は9月、ニューヨーク証券取引所で講演し、「確信を持って日本に投資をして欲しい」と世界の投資家に呼びかけた。しかし、そのメッセージがあまり響かなかったであろうことは容易に想像できる。
過去20年ほどを振り返ると、日本企業は生産拠点を海外に移し、海外で買収や投資を繰り返して収益源を見い出してきた。国内での設備投資や「人への投資」の優先順位は低かった。
その理由として、リーマンショック後の大幅な円高を経験し、海外に出るしかないと決断した企業も多かったとみられる。しかし、より大きかったのは、少子高齢化が進む国内では市場拡大の展望が持てず、企業としての成長戦略をグローバル展開に求めざるをえなかったという点だろう。
「確信を持って日本に投資をして欲しい」とニューヨークの投資家に呼びかけるのもよいが、まずは日本企業の経営者にそう呼びかけるのが、政府が行うべきことなのではないだろうか。もちろん、言葉で呼びかけるだけでは企業は動かない。少子高齢化でも国内市場は拡大するというビジョンを示し、その具体策を始動する必要がある。
「人への投資」「イノベーション」「脱炭素化」などを要に据えること自体は、中長期の成長戦略として正しい。問題はその本気度である。例えば「脱炭素化」は、今後10年間で非連続的に加速させなければならない人類共通の課題である。
本気になりさえすれば、脱炭素化に関連した市場は大きく成長するはずである。世界の動きに何とかついていくというのではなく、技術革新やルール作りで「日本が世界をリードする」ぐらいの熱量で取り組めば、世界のヒトもカネも日本に集まってきて少子高齢化の影響は克服できる。
日本企業が円安だけを理由に国内に回帰する動きは、所詮限られるだろう。「グリーン」のように必要性が明らかなテーマで市場拡大を強力に推進することこそ、日本企業の国内回帰や国内人材の成長にとって不可欠な要素であろう。
「円安を生かす」は低次元の目標 |
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【門間前日銀理事の経済診断】悪い円安と嘆くばかりではなく、競争力の強化を
岸田首相=Reuters
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門間 一夫( みずほリサーチ&テクノロジーズ エグゼクティブエコノミスト)
1957年生。1981年東大経卒、日銀入行。調査統計局経済調査課長、調査統計局長、企画局長を経て、2012年から理事。2016年6月からみずほ総合研究所(現みずほリサーチ&テクノロジーズ)エグゼクティブ・エコノミスト。著書に『日本経済の見えない真実』(日経BP社)
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