市場関係者だけでなく米連邦準備制度理事会(FRB)の幹部も、「顎が外れるほど驚いた」経済指標がある。米国の4月の消費者物価が、前年比+4.2%と2008年以来の高い伸びになったのである。
厳密に言えばFRBの物価目標には別の指標が使われているが、細かいことを気にせずに言えば、物価目標2%の2倍ほどのインフレが足元すでに起きているのである。
それでもFRBは現在の超緩和政策を、まだまだ続けるつもりである。資産買い入れのペース縮小については、今後数か月以内に議論が始まる可能性もあるが、現在ほぼゼロの政策金利については、少なくとも来年いっぱい引き上げの検討すら行われない可能性が高い。
元財務長官でもあるハーバード大のサマーズ教授は、バイデン政権下の大規模な財政金融政策がもたらすインフレのリスクに、かねてから警鐘を鳴らしてきた。そのサマーズ氏は先述の「4.2%」を見て、改めてFRBに対する批判を強めている。
インフレが来ないというのは「危険な慢心」であり、実際にインフレが来た時には大慌てで利上げすることになるため、金融システムの安定もおびやかされてしまうと言うのである。
筆者自身の考えを言えば、過度なインフレはそう簡単に起こらないというFRBの見方に分があると思う。それどころか、2~3年も経てば利上げができるようになる、というシナリオすら正しくない可能性が相応にあるとみている。以下で理由を述べる。
第一に、今起きている物価上昇には、多くの一時的な要因が作用している。FRBのウォラー理事は、4.2%の物価上昇が明らかになった直後に講演し、一時的な押上げ要因が少なくとも6つあると述べている。
(1)ベース効果(前年に低下していた影響で前年比が高く出ること)、(2)エネルギー価格の上昇、(3)財政支出の影響、(4)コロナ禍で増えた貯蓄による消費の押上げ、(5)供給のボトルネック、(6)コロナ禍の影響残存による働き手の不足、である。
このうち、(1)のベース効果だけは2~3か月で消えることがはっきりしている。昨年コロナ禍の影響で物価が顕著に押し下げられたのが、6月ごろまでだからである。しかし他の5つの要因は、ある程度の期間続く可能性がある。数か月では済まず、すべてが消えるには1年以上かかるかもしれない。
それでも、財政支出の影響が次第に弱まっていくことは確実であるし、余剰貯蓄もいずれ使い果たされていく。今物価を上げる方向で「追い風」になっている要因のいくつかは、それが弱まっていく局面では「向かい風」になる、とFRBのブレイナード理事も述べている。
第二に、コストプッシュ型の物価上昇は、需要を弱め最終的には景気の回復を鈍らせる要因になるため、持続的なインフレにはつながりにくい。
先月米国では、原油価格の国際的な高騰に、ハッカー攻撃によるパイプラインの一時停止も加わり、ガソリン価格が6年半ぶりにガロン当たり3ドルを超えた。車社会の米国では価格が高騰してもガソリンは買わざるをえず、そこで余分な出費を強いられた消費者は、他の消費を抑制せざるをえなくなる。
また、外食のように節約が可能なものについては、食材費や人件費の上昇が価格に転嫁されれば、客足はおのずと遠のいてしまう。FRBが目指しているのは、あくまで中長期的な2%インフレであり、そのためにはコストプッシュ型ではなく、持続的な需要増加を背景とした物価上昇が定着する必要がある。
第三に、たとえ持続的な物価上昇圧力が強まってきたとしても、それが2%目標をぎりぎり達成する程度の強さなら、FRBは利上げに踏み切れない可能性が高い。
米国の過去10年間の平均インフレ率は1.5%程度である。日本よりは2%にずっと近いが、それでもFRBには、2%物価目標を長らく達成できずにいるという悔恨の思いがある。そして、この先も2%物価目標をきちんと達成できないままなら、日本のような低インフレに陥り取り返しがつかなくなるのではないか、という「日本化」恐怖症がある。
ゼロ金利の下でインフレが2%に達していても、利上げした後でインフレが2%未満に下がってくるリスクはないのかどうか、FRBは慎重にも慎重を期すに違いない。
さらにFRBは昨年夏、過度なインフレにならない限り、最大雇用の実現に全力を尽くすという新しい戦略を決めている。「最大雇用」に厳密な定義はないが、はっきりしているのは、たとえ失業率がコロナ前のように歴史的な低水準まで改善しても、それだけでは不十分だということである。
マイナリティーや低所得層にも十分恩恵が行き渡り、人種格差の是正を叫ぶバイデン大統領が誇らしげに語れるぐらいになるまで、絶好調の経済情勢になることが、利上げの必要条件なのである。
これはかなり高いハードルだと思う。しかも今から2~3年も経てば、半導体など今は需給がひっ迫している製造業も、経験則的には次の下降局面に入り始めている可能性がある。米国では、高いインフレ指標が当面続くとみられるが、それらはFRBが将来利上げできるかどうかについて、まだ何も語らないのである。
FRB 結局利上げできない可能性 |
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【門間前日銀理事の経済診断(43)】4%インフレは一時的 日本化恐れ利上げに慎重
公開日:
(マーケット)
FRB議長=Reuters
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門間 一夫( みずほリサーチ&テクノロジーズ エグゼクティブエコノミスト)
1957年生。1981年東大経卒、日銀入行。調査統計局経済調査課長、調査統計局長、企画局長を経て、2012年から理事。2016年6月からみずほ総合研究所(現みずほリサーチ&テクノロジーズ)エグゼクティブ・エコノミスト。
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