米国の連邦準備制度理事会(FRB)は3月に利上げを開始した。金融政策を決める連邦公開市場委員会(FOMC)の見通しによれば、政策金利は本年末には2%近くまで上がる。ただ、これはあくまでメンバーの中央値であり、年末までに3%超と主張するメンバーもいる。
米国が本格的な利上げ局面に入ったのは、インフレが40年ぶりの高さまで上昇し、短期間で沈静化する見込みが薄れてきたからである。インフレ圧力は世界的に高まっており、欧州中央銀行(ECB)も、必要なら今年中に利上げを開始できるよう、準備を整えつつある。
日本でもエネルギーや食料を中心に、物価上昇が目立ってきた。消費者物価上昇率は4月以降、2%に近づく可能性が高い。国際商品市況の動向次第では、2%を超えていく可能性もある。もし2008年夏の2.4%を上回れば、日本も30年ぶりのインフレになる。それでも、日銀の金融緩和が修正される可能性はきわめて低い。米国と日本の状況はあまりに違いすぎるのである。
第一に、米国の場合は、物価上昇の背景として、原油などのコストアップだけではなく、需要の強さがある。米国の昨年10~12月の実質GDPは、コロナ前の水準を既に3%以上、上回っている。とくにモノに対する個人消費は非常に強く、コロナ前の成長トレンドを大幅に上回って推移している。経済自体が強いので、労働需給は歴史的とも言えるひっ迫状況にあり、賃金が大幅に上昇している。
一方、日本の景気回復は遅れている。昨年10~12月の実質GDPは、米国とは逆にコロナ前をなお3%以上、下回っている。サービス消費が弱いだけでなく、モノに対する消費も強くない。日本人はコロナで巣にこもっただけで、巣ごもり消費すら盛り上がらなかった。
第二に、日本は交易条件が大幅に悪化している。交易条件というのは、輸出物価と輸入物価の違いである。最近のように原油や食料の国際商品市況が大幅に上昇すると、それらを輸入に頼る日本のような国は、輸入代金が大幅に増えてしまう。それに伴う所得の流出は、昨年10~12月までの1年間で実質GDPの2.5%分に達している。もともとGDPの回復が弱いだけでなく、交易条件の悪化によって、そこからさらに2.5%分もの所得が海外に流出しているのである。
これはあくまで昨年末までの話なので、ロシア・ウクライナ戦争の影響による足元の国際商品市況高は、さらなる所得流出を引き起こす。コスト高で企業収益は圧迫され、賃金には抑制圧力がかかる。米国とはまるで逆である。所得面の動きに注目すれば、いま日本が直面しているのは、インフレではなくデフレ圧力と言った方が正しい。
米国の場合、原油の生産は世界一であるし、食料も輸出国である。したがって、それらの価格が上昇しても、交易条件の悪化という問題は起きない。
第三に、中長期的なインフレ率が日米では大きく異なる。米国のインフレ率も、コロナ前は2%物価目標に達していなかったが、それでも1%台半ば程度はあった。日本では長年にわたり、ほぼゼロインフレが標準的な状態である。日本の場合、今年の夏にどんなインフレが来ようとも、それが過ぎ去った後はまたゼロインフレに戻る可能性が高い。
以上を踏まえると、日銀が利上げに動くとは考えられない。経済分析的な視点で言えば、所得面でのデフレ圧力を和らげるために、追加的な金融緩和が必要なぐらいである。もちろん、実際には追加緩和の余地がないので、日銀は現在の異次元緩和をそのまま続けるしかない。
市場の一部には、円安に歯止めをかけるために日銀が金融緩和の修正に動く、という思惑もある。しかし、日銀はあくまで2%物価目標の達成のために金融緩和を行っているのであって、為替相場の動きにいちいち対応するという考え方はとっていない。この夏われわれが目にするかもしれない2%インフレは、コストプッシュ型の一時的なものであり、2%物価目標の達成とは全くかけ離れたものである。日銀が金融緩和を後退させるはずがない。
日銀の行動基準はすべて2%物価目標であるから、仮に円安阻止を理由に利上げするとしたら、「円安が2%物価目標の障害になる」という理屈が成り立つ場合に限られる。つまり「円高になった方が2%物価目標を達成しやすくなる」という場合があるかどうかであるが、そのような「場合」があるとは常識的には考えられない。
もちろん、国民の立場からすれば、円安には困った面もある。円安は、輸出企業やグローバルに展開する企業には業績の改善要因になるが、中小企業や家計にとってはコスト高、物価高の要因になる。つまり円安は、立場によって良くもなり悪くもなる「分配問題」なのである。
分配の問題に対して金融政策にできることは乏しい。必要なら政府が対策を講じるべきである。実際、岸田首相は既に、原油価格や物価の高騰に対応するための緊急対策を、今月末までに策定する方針を示している。その中に日銀の利上げが含まれることはないだろう。
円安進んでも日銀利上げはあり得ない |
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【門間前日銀理事の経済診断(53)】成長鈍く、交易条件も悪化、物価2%はゼロに戻る
公開日:
(マーケット)
Reuters
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門間 一夫( みずほリサーチ&テクノロジーズ エグゼクティブエコノミスト)
1957年生。1981年東大経卒、日銀入行。調査統計局経済調査課長、調査統計局長、企画局長を経て、2012年から理事。2016年6月からみずほ総合研究所(現みずほリサーチ&テクノロジーズ)エグゼクティブ・エコノミスト。著書に『日本経済の見えない真実』(日経BP社)
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