本書で伝えたかったことは、通貨ストラテジストという仕事を通じて得られた知見や経験から組み立てたロジックでしかない。中国では大量の資本が国外に流出しており、今後も続く可能性が高いのであれば、たとえ中国当局が望んでいなくても、資本流出を促す元安抑制策(元の下落ペースを緩やかなものにする方策)は放棄せざるを得ないという考えだ。
そこには、謎めいたものや願望めいたものもなければ、べき論や陰謀論もない。読者が筆者の意図を理解し、様々なデータを通じ中国経済の実情を知っていただくだけでなく、中国経済に関するロジックを楽しんでいただけたら、筆者として望外の喜びである。
中国では資本流出が続いている。中国の資本・金融収支(中国でのマネーフローを示す指標)は、2015年に4853億ドルの赤字(中国からの資本流出)と過去最大を記録し、今年(2016年)は9月末までに3798億ドルの赤字に達している。流出した資本は、ドルや他外貨に換えられるため、為替市場では元売り圧力が強い。
このため中国当局は、外貨準備を取り崩し、外貨売り・元買い介入を実施し、元の下落を抑えようとしている。中国の外貨準備は2014年6月に約4兆ドルあったが、外貨売り・元買い介入を続けた結果、今年11月には3兆516億ドルまで減少した。
これだけ巨額な介入を続けているにもかかわらず、人民元は下落基調で推移している。中国当局は昨年8月、事実上の元切り下げを実施し、人民元は対ドルで約3%下落した。その後も人民元は下落基調での推移を続け、足元では6.96台と2008年5月以来の元安水準に達している。
中国の資本流出は、複合的な要因によるもので早期に収束するとは考えにくい。中国の習近平国家主席は、中国から欧州までを陸路と海路でつなぐ一帯一路(シルクロード)構想を対外政策の最重要施策と位置付け、海外への直接投資を拡大させている。海外金融機関は、中国景気の先行き懸念を背景に中国から融資を引き揚げ、中国人投資家は人民元の先安観から海外投資を積極化させている。習近平主席が推進する反腐敗運動を受け、腐敗高官は多額の不正蓄財を非合法な形で海外に持ち出す動きを止めない。
香港では中国人投資家によるドル建ての投資性保険の売れ行きが好調だが。これは中国の金融資産を合法的に香港に移すための一手法とみられている。過去最高を記録した11月のビットコイン取引の9割は、中国の取引所を経由したものとされているが、これは当局による監視から逃れることを目的に、人民元をビットコインに換え、海外に移す動きが広がったためと考えることもできる。
中国での資本流出が続けば、外貨準備を減らす形での元買い介入は、いずれ行き詰る。国際通貨基金(IMF)の試算によると、中国にとって安全といえる外貨準備の最少額は2.8兆ドルとされており、中国が元買い介入に使える外貨準備は、数千億ドル程度しか残されていない可能性もある。
中国の外貨準備が減少を続ければ、中国当局はいずれ元買い介入を中止せざるを得ないとの見方が強まり、人民元を投機的に売る動きが強まると予想される。人民元の下落ペースが加速すれば、中国国内外の投資家は、元建て資産を外貨建てに換える動きを強め、人民元の下落を後押しする。いわゆる悪循環だ。
こうした悪循環に楔を打つには、中国の資本流出に歯止めをかけるしかない。しかし中国の金融機関は不良債権に苦しんでおり、中国当局は利上げに踏み切れない。強力な資本規制に踏み切ろうと思っても、規制後に海外からの資本流入がさらに細り、中国経済の中長期的な発展が阻害される恐れが強まる。そもそも人民元の国際化を目標とする中国当局が、強力な資本規制に踏み切るのは自己矛盾である。
では、中国当局が選び得る唯一の選択肢は何になるだろうか?その解が、本書のタイトルにある人民元の大幅切り下げである。人民元を大幅に切り下げられることで、人民元の先安観は後退し、海外からの資本流入は大きく拡大するだろう。元安による輸出増は、中国景気のサポートにもなる。
しかし人民元が大きく切り下げられることになれば、世界の金融市場に大きなショックがかかるのは避けられない。人民元の大幅切り下げは、米国、日本だけでなく、中国に資源を輸出するオーストラリア、ブラジル、ロシア、中東産油国に大きな経済的なダメージを与え、株価は大きく下落し、債券利回りは大きく低下することになる。
また人民元の大幅切り下げは、世界の多く国での景気悪化につながると見込まれることから、世界の金融市場はリスクを避ける姿勢(リスクオフ)を強めるだろう。為替市場では円高の動きが強まると予想される。
一般的には、人民元の切り下げは、こうした負のイメージしかなく、市場関係者の多くは、人民元の切り下げを忌み嫌う傾向にある。しかし、元切り下げ後の金融市場は、徐々に前向きな動きとなり、ある種のバブル状態すら期待できる。詳細は本書にて確認いただければ幸いである。
