全国的に自粛要請が行き渡り、行楽もビジネスも、すべてが止まったゴールデンウイーク中に、検察は河井克行前法相、妻の河井案里参院議員の公職選挙法違反(買収)容疑の捜査を続けていた。
捜査しているのは、2人が選出された広島県の地方検察庁だが、検事は東京地検特捜部を中心に全国から集められており、検察合同捜査体制といった趣である。
検察にとって失敗は許されない。克行氏は、菅義偉官房長官を囲む国会議員の集まり「向日葵の会」の代表で、菅氏が法務・検察に打ち込んだ楔だった。案里氏は、第一次安倍政権後、安倍氏を「過去の人」呼ばわりした対立候補の溝手顕正元防災担当相に、安倍氏が送り込んだ刺客だった。
安倍官邸を敵に回している以上、最強の布陣で臨まねばならず、検察は当初、事件を広島地検から東京地検に移送のうえ、特捜部の手で解明する方針だった。国会に克行氏単独、もしくは夫妻の逮捕許諾請求をして逮捕するシナリオも想定していた。
だが、買収捜査と並行して新型コロナウイルス騒動が本格化する。3月下旬には緊急事態宣言の発令が自明となり、なかでも感染者数の多い東京で、「三密」の最たる事情聴取を行うのが難しくなった。
そこで、広島地検の捜査体制を強化、4月16日、宣言は全国に広がったが、捜査の手を緩めず、これまでに県内の首長、県議、市議ら30人以上を事情聴取。少なくとも7名の自宅や事務所を捜索し、28日には檜山俊宏、坪川竜大、渡辺典子の3県議の県議会控室などを家宅捜索した。
検察は退けないし退くつもりもない。「官邸VS検察」の構図を実録映画風にいえば、『仁義なき戦い 広島代理戦争』である。
だが、感染者数が減少傾向を見せ、5月末で緊急事態宣言が解除されるという見通しが立つなか、「前法相という大物を標的にする以上、東京地検特捜部で堂々の勝負をかけるのが筋」という声が検察内に再浮上している。
ここまでこじれた原因を探り、事件の行方を展望したい。
検察人事に手をつけたかったのは官邸である。「安倍一強」は、14年5月に設置された内閣人事局によって、高級官僚人事を一手に握ることで確立され、「霞が関」は政権を必要以上に忖度するようになったが、法務・検察トップの検事総長は、検察庁が持つ準司法的役割と、政権中枢を狙う捜査機関でもあるという位置づけから、検察内部の決定に委ねるのが不文律だった。
安倍官邸は、それを覆そうとした。官房長、法務事務次官と「政界担当」を7年半も務め、菅官房長官の覚えもめでたい黒川弘務東京高検検事長を検事総長に据えようと、昨年末以降、稲田伸夫検事総長に勇退を迫った。
高検検事長の定年が63歳で、今年2月8日に誕生日を迎えた黒川氏は、2月7日までに65歳定年の検事総長に就いていなければならなかった。だが、稲田氏は拒否。「プリンス」として早くから総長候補だった林真琴名古屋高検検事長に禅譲するつもりだった。
この争いは「水面下のつばぜり合い」だったが、「週刊文春」が報じた昨年7月の参院選で、案里陣営が「ウグイス嬢らに違法報酬を支払った」という報道を受け、市民団体が行った告発を広島地検が受理、1月15日、家宅捜索したことで、一気に炎上する。
やっぱり稲田じゃダメだ。黒川を持ってこい――。
こうなって1月31日の閣議で、国家公務員法に基づき、黒川氏の定年を半年、延長した。ところが国家公務員法は検察官には適用されない。それが判明すると、安倍首相は「政府解釈の変更」で押し切った。後付けの法解釈で合法化を図るなど、許されることではなく、不満をいだいた世論を背景に野党の追及も厳しかった。
検察不信にもつながりかねない状況に、稲田検察が出した答えが、河井夫妻への徹底捜査だった。ウグイス嬢への捜査は、3月24日、公設秘書らを起訴。現在、100日裁判での連座制による案里議員の当選無効を目指しているが、それと同時並行の形で、克行氏が主導した買収容疑の捜査を進めた。
昨年7月の参院選は、自民党が党本部主導で2議席独占を狙って案里氏を擁立。溝手、案里の両氏に野党系現職の森本真治氏との三つ巴の争いとなり、溝手氏は落選した。
そこには、党本部が案里陣営に1億5000万円もの軍資金を送り、安倍首相が秘書4人を張り付けるなど、“えこひいき”があった。
それが首相の“私怨”であるのは前述の通り。克行氏は、その豊富な資金力を背景に、首長、県議、市議にカネを撒き、案里氏が同席することもあった。
既に、小坂真治安芸太田前町長のように「20万円入りの封筒を受け取った」と、証言する首長はいるし、昨年4月に投開票が行われた県議選と市議選の前後、「陣中見舞い」や「当選祝い」として、県議、市議らに現金10万~30万円を封筒に入れ、渡していたとされ、それを認める議員もいる。
案里氏の出馬が決まったのは3月13日。克行氏の公職選挙法違反は免れないが、検察とすれば単なる「当選祝い」ではなく、「案里候補への票の取りまとめ」といったカネの趣旨を明確にし、買収につなげたい。
「(現金授受を認めないなら)河井さんと一緒に沈んでもらう」
自宅と事務所の家宅捜索を受けた渡辺典子県議に対し、こう詰め寄った東京地検特捜部の検事がいるのは、「焦り」とも「意欲」とも読むことが出来る。
ただ、ひとりの検事の暴走ではあるまい。この発言は、渡辺氏が「週刊朝日オンライン」(5月4日配信)で明かしたものだが、検事は他にあの手この手で追い込んだという。
「(特捜部が捜査することで)ステージがあがった。広島地検でできるような話じゃない」
「(金銭授受の)証拠がある人をピンポイントで呼んでいる。渡辺さんには裁判を受けてもらわねばならない」
河井氏を立件すること、それを東京地検特捜部が行うこと、それが検察の総意であることが、言葉の節々から浮かび上がる。
指示は稲田検事総長から下されており、4年前の甘利明経済財政担当相(当時)と秘書のあっせん利得処罰法違反、3年前の森友学園の財務官僚公文書改ざんなどの捜査に、官邸の意を受けて圧力を加えたという黒川検事長も、さすがに口は出せさない。
コロナ騒動の余波を受けて地方の事件に格落ちしていた河井夫妻事件が、緊急事態宣言解除とともに、検事のいうように「ステージが上がる」可能性は十分だ。
加えて、検察には“追い風”が吹いた。「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグにつけられた500万の投稿である。宮本亜門、小泉今日子らがコメントを寄せ、国会でも取り上げられた。
検察庁法改正への反対が、黒川検事総長阻止につながるわけではないが、国民が安倍官邸への批判を強めているのは事実。「森友学園」「加計学園」「桜を見る会」そして「検事総長人事」に共通するのは、権力を利用して「シロをクロ」といいくるめる首相の傲慢であり、その鉄面皮に国民はうんざりしている。
地理的に広島地検では国会への許諾請求は難しい面もあり、河井事件に関しても在宅起訴がせいぜいとみられてきた。だが、広島地検から東京地検特捜部に事件が移送されれば、国会への許諾請求を経て、議員逮捕の可能性もでてくる。
日常的に検察と意思疎通を図っているマスメディアの「司法記者会」が、特捜部の応援団のような紙面作りをするのかもしれない。加えて、ツイッターでの炎上で証明された国民の反発――。
安倍政権は、コロナ禍からの脱却と経済復興に加え、検察との闘いも復活させなくてはならないのかもしれない。