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石原慎太郎氏死去 羽田国際化で見せた究極のトップダウン

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【小塚かおるの政治メモ】東京から国を変えようとした

公開日: 2022/02/07 (政治)

石原氏=Reuters 石原氏=Reuters

 2月1日に死去した石原慎太郎氏(享年89)。毀誉褒貶激しく、芥川賞作家、国会議員、大臣、東京都知事と様々な顔があったが、その発言と行動が最も世間を騒がせ、影響を与えたのは、やはり13年半の都知事の時代だ。

 都知事らしからぬ知事だった。「東京から国を変える」の公約通り、国を慌てさせ、時に国を動かした。今回の訃報に接した評伝などでは、その代表例として、大手銀行を狙い撃ちにした「外形標準課税(銀行税)」や「ディーゼル車の排ガス規制」を上げるものが多かったが、銀行税は反発した大手銀行が裁判に持ち込み、都は1、2審とも敗訴(最終的に和解)した。

 その腹いせのように、都が自ら立ち上げた「新銀行東京」も大赤字を出し、都税からの追加出資を招く大失敗に終わった。ディーゼル車規制は、黒いすす入りのペットボトルを振り回すパフォーマンスこそがセンセーショナルで、国に先駆けた制度とはいえ、都議会さえ承認すれば実現できる都の条例による規制だった。

 むしろ、石原氏らしいトップダウンの政治手法で、現在に至るまで〝結果〟を残したと言えるのは、「羽田空港国際化」ではないかと思う。石原氏の都知事1期目、私は東京ローカルの東京MXテレビで都庁担当記者を務めた。その間の取材テーマの1つが、羽田空港国際化で、まさにこの目で石原氏が国を動かしていくのをじっくり見てきた。

 今でこそ、羽田空港には国際線専用のターミナルがあり、羽田から海外へ行くことは当たり前になったが、20年前までは「成田が国際、羽田は国内」という厳然たる住み分けがあった。三里塚闘争で血を流してまで建設された成田空港のある千葉県を前にして、再びの「羽田空港国際化」はその文言を口にすることさえタブー視されていたのだ。

「もうすぐ都庁内に羽田国際化の担当を置くよ」

 石原氏の側近で当時、知事特別秘書だった浜渦武生氏(後に副知事)からそう聞いたのは、石原都政発足から3か月後の1999年7月のことだった。日本の航空政策を担うのは運輸省(国土交通省)であり、本来、自治体には出る幕はない。しかし、あえて航空専門の部署を東京都に新設し、都から運輸省に働きかける、という狙いだった。

 同年8月に新組織が正式に発足した。驚いたのは、政策報道室や港湾局など都の役人だけでなく、航空の現場を知る日本航空と全日空から2人の出向者を招いたことだ。

 当時は、増え続ける首都圏の航空需要に対応するため、運輸省を中心に羽田空港の発着枠拡大や成田と羽田に次ぐ第3空港の新設などが話し合われていた。そんな中、都の航空政策担当部署が研究していたのは、羽田空港を沖合に拡張し、機能拡大する方法。既にあるA、B、Cの3本の滑走路に追加する形で、一部海にせり出した形の4本目の滑走路を桟橋方式で建設するという計画案だった。航空会社の意見も参考に、図面を描いていたのだ。

 「卓抜な案を考えている。今は言えない」

 2000年夏ごろ、石原氏は定例の知事会見で思わせぶりにこう答え、ニヤリと笑った。

 関係した役人曰く、

 「4本目の滑走路の計画案を持って事務方が知事に説明に行くと、『これは俺がやる』『俺に任せろ』と言って、それっきり」

 そして、動いたのは同年10月27日。

 「今から亀井のところへ行く。あの紙4枚をくれ」と事務方に突然告げ、石原氏は永田町へ向かった。亀井とは、石原氏の盟友である亀井静香氏。当時、自民党の政調会長だった。

 石原氏から「東京都の基盤整備に向けた国の支援要求(重点)」と題した要望書を手渡されると、亀井氏はその場で運輸省の事務次官に電話し、「調査費10億円をつける」と約束させたという。

 都の役人は運輸省から「不愉快極まりない。手続きとしてよろしくないですね」と悔し紛れの嫌味を言われたそうだ。

 その後、4本目の滑走路の計画は、都の提案とは場所や向きが変わったものの、国土交通省(2001年1月に省庁再編)が検討会を経て決定。滑走路増により羽田空港の発着枠が大幅に増えることで、国際化の機運へと繋がっていったのだった。

 その間、2000年12月に運輸大臣となり、そのまま初代の国土交通大臣となった扇千景氏をも、石原氏は味方にし、扇氏に「羽田国際化の実現を進めて行こうとお互い確認し合った。今後とも都知事とは連携を取っていきたい」と言わしめている。

 「羽田国際化」がタブーとなる要因だった千葉県に対しても、石原氏はトップダウンで動いた。

 千葉県知事を2001年3月まで20年間務めた沼田武氏は、「羽田は国内空港として整備してもらうことが国益」だと主張し、羽田国際化に強く反対していたため、石原氏とは平行線だった。しかし、その後任に新党さきがけの参議院議員を務めた堂本暁子氏が当選すると、なんと投開票日当日にアプローチ。石原氏の指令を受けた都の役人が堂本氏の選挙事務所に連絡し、秘書に話をしたという。

 翌月の4月19日に早くも石原-堂本会談が実現。その後、堂本氏は「首都圏・関東全体としての航空行政の長期ビジョンが必要」と公式の場で発言し、石原氏は「お互い国会議員だったので、国政を通じての認識をしっかり持っている」と満足気だった。

 こうして、2010年10月31日、羽田空港4本目のD滑走路が供用開始となり、国際定期便が就航した。その後、国際線ターミナルも整備され、現在までにアジア、北米、欧州、オセアニア、中東へ48路線が就航している。名実ともに、羽田空港は国際空港となった。

 もちろん、ここに至るまでには、自民党東京都連の後押しや全日空の協力、成田空港の2本目の滑走路供用に伴う千葉県の軟化や東京上空に新たな飛行経路が設定されるなど、羽田国際化へ向けての様々な環境整備が下地としてあったことも記しておく。

 首都の玄関口が国際空港となり、海外との発着枠が増えたことは、インバウンドの拡大に寄与し、日本経済を押し上げることにつながった。もともと政府は、海外からのニーズの多い羽田空港直結ルートを進めたがっていた。しかし、血まで流した成田空港の歴史もあり、今さら羽田の国際化は、特に千葉県や成田の地元に対して筋が通らない。手間も時間もかかると逃げていた。それを石原氏が実現した。

 「東京から国を変える」と意気込んだものの、石原氏の政策実現の打率は決して高くはない。「羽田空港国際化」は数少ない果実の重い一例と言えるだろう。

小塚かおる (日刊現代第一編集局長)

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小塚かおる(日刊現代第一編集局長)
1968年、名古屋市生まれ。東京外国語大学スペイン語学科卒業。関西テレビ放送、東京MXテレビを経て、2002年から「日刊ゲンダイ」記者。その間、24年に渡って一貫して政治を担当。著書に『小沢一郎の権力論』、共著に『小沢選挙に学ぶ 人を動かす力』などがある。
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