「安倍総裁が全身全霊をかけて進めてこられた取り組みをしっかり継承し、さらに前に進めるために、私の持てる力を全て尽くす覚悟だ」
安倍晋三首相が辞意を表明した5日後の9月2日、菅義偉官房長官が総裁選の立候補会見を開いた。冒頭の演説で、国会議員秘書から横浜市議を経て47歳で国政に初当選した経歴のほか、携帯電話料金の値下げやふるさと納税、外国人観光客拡大など、力を入れてきた政策を紹介。
「現場の声に耳を傾け、何が必要か判断し、大胆に実行する」
「改革の歩みを止めてはいけない。決意を胸に全力を尽くす覚悟だ」
と締めくくった。
演説の概要は、一言でいえば「安倍政権の継承」の強調だ。
会場には200人ほどの報道陣が詰め、私も含めて18人の記者が質問にたった。アベノミクスや拉致問題、日ロ外交、日米関係、モリカケ疑惑、辺野古新基地を巡る沖縄問題、福島復興や総裁選での党員投票見送り……。
質問数は多かったが、菅氏の返答はどれも短く、正面から答えない「菅話法」が目立った。例えば「地方分権」「地方を大切に」と繰り返したが、記者から「沖縄はその地方に入っているのか」とストレートに聞かれると言葉に詰まり、「日米間のSACO(沖縄に関する特別行動委員会)合意がある」とすり替えた。
自殺した近畿財務局職員の遺族から再調査の要求が出ている森友問題や加計疑惑、桜を見る会についても、従来通りの「安倍内閣の見解」を述べるだけで、再調査について答えなかった。
継承を前面に押し出したのは、政治の安定性を強調する計算だったのだろう。だが、せっかく総裁候補として国家のビジョンや方針を示す機会だったにもかかわらず、新鮮さはなく、まるで官房長官会見をビデオ再生しているかのようだった。
あるフリーランス記者は会場で「たいくつだ」とこぼした。
私が気になったのは、第二次安倍政権では首相のぶら下がり取材も減り、定例会見は官僚作成の紙の読み上げばかりだったが、菅氏が総理になってもそれを「継承」してしまうのか、だった。私は質問でこう切り出した。
「都合の悪い、不都合な真実に関する追及が続くと、その記者に対する質問妨害や制限というのが長期間にわたって続いた。総裁になったときにその都度、きちんと番記者の厳しい追及を含めてそれに応じるつもりはあるのか」
「首相会見が『台本通り』ではないかという批判もたくさん出ました。今後、首相会見でも、官僚がつくった答弁書を読み上げるだけでなく、自身の生の言葉で、しっかりと会見時間をとって答えていただけるのか」
菅氏ははじめこそ、口元に笑みを浮かべ余裕の表情だったが、質問が進むにつれ、表情をこわばらせ、コップの水に口を付けた。質問の途中に司会役の国会議員に目配せし、この議員は「時間の関係で簡潔にお願いします」と注文した。かつて内閣府の上村秀紀報道室長(当時)が1年半以上にわたって、私の質問に妨害行為をかけていた姿と重なる。
菅氏は苦々しい表情で「限られた時間のなかでルールに基づいて記者会見を行っている。早く結論を質問すれば、それだけ時間が浮くわけであります」と時間の問題にすり替え、質問には答えなかった。
そして菅氏に相づちを打つように、一部の政治部記者たちが同調して笑った。
この菅氏のいう「ルール」とは、会見を主催する記者会が望んで決めたルールではない。記者に更問い(質問を重ねること)をさせず、公務を理由に官邸側が会見を打ち切り、気に入らない質問が出れば番記者のレクを中止して嫌がらせをする。記者に連帯責任を負わせ、排除するように仕向ける……。
記者をコントロールするため、菅氏ら官邸が7年8ヶ月かけて、一部の記者と「共助」して作りあげた仕組みだ。菅氏が総理になってもこれまで同様、木で鼻をくくったような答弁でやり過ごし、一部マスコミもそれを受け入れるのだろう。今回、それがはっきりみえたのは収穫だった。
さて、だれが総裁になっても、安倍長期政権が残した「負のレガシー(遺産)」はあまりにも大きい。少し振り返ってみる。
金融政策と財政政策、成長戦略の「3本の矢」による「アベノミクス」は、株価こそ上がったものの、賃上げや個人消費は進まず、尻すぼみに終わった。実質賃金は低下の一途をたどっており、気付くと1988年に2位だった日本の一人当たりGDPは、昨年は26位にまで転落、国と地方の借金は1100兆円を超えた。
安倍首相は「400万人の雇用を作り出した」と胸を張るが、これも不安定な非正規社員が圧倒的に増えたことが大きく影響しており、国民は豊かになったという生活実感を持っていない。消費税増税でも、アベノマスクはじめとした新型コロナウイルス対策でも、政治判断のミスが重なり、景気回復や財政再建の目処は全く立たない。
国会と公文書の軽視も甚だしかった。2015年の安全保障関連法案を成立させて以降、国会での丁寧な説明や議論を軽視し、数の力で押し切る姿が目についた。また、内閣人事局の権限を強めて官僚支配を進めたことで、政権に都合のいい官僚を重用し、官邸に異論を挟む官僚は、優秀であっても徹底的に冷遇した。
官僚の間で忖度がはびこった結果、森友問題の公文書のねつ造は、近畿財務局職員の自死という最悪の結果を招いたが、その後に発覚した首相主催の桜を見る会では、内閣府の招待者名簿が電子データごと削除された。
下がり続ける実質賃金低下を官邸側から懸念された、厚労省では統計不正が行われた。これらは、将来の検証を不可能にする現在進行形の「歴史修正」であって、国民への冒涜に他ならない。いまや官僚たちは、国民に奉仕する公僕ではなく、自分たちの出世のために、官邸の顔色ばかりみて仕事をするようになった。
〝官邸の守護神〟と、いわれた黒川弘務・東京高検検事長を総長にさせるため、定年を迎える直前、閣議決定により違法に定年延長をさせた上、検察庁法改正法案を提出して定年延長の合法化を画策したことは記憶に新しい。結局、ネット上で反対運動が広がったことや、新聞記者らとの賭け麻雀が発覚し、黒川氏が東京高検検事長を辞任したことで立ち消えになった。
ただ、菅氏が安倍政権のやり方を継承する以上、再び官邸が検察人事に手を入れる可能性は残っている。
閣僚級の国会議員の逮捕が相次いだことも、政権の負の遺産の一つだ。IR汚職事件で訴追された秋元司・元IR担当副大臣は二階派出身。そしてIR誘致政策は菅氏の肝いり案件だ。
また、公選法違反事件で逮捕、起訴された元法相の河井克行・安里夫妻は菅氏に近しい。参院選前に党から1億5千万円もの交付金が河井陣営に渡っていたが、これは幹事長の二階氏が決定しなければ支出できない。菅氏の総裁選立候補は二階幹事長の意向があったとされ、総裁レースを有利に進めているのも二階派の後押しがあったからだ。
この総裁選は「石破潰し」と言われる。党と政権が石破氏排除で一致する一番の理由は、負の遺産を検証させないという、強い意向があるからだ。国民に忘れて欲しい、「解決済み」の不都合な真実が入っている「パンドラの箱」は開けて欲しくない。菅氏の「継承」とは、当面、この箱の上に乗せる「漬けもの石」の役割を果たす、ということだろう。
だからつまらないし、面白くない。そうこうしているうちに、国政の発酵(=腐敗)が進み、社会や政治のあるべき公平性、倫理観や誠実さは失われていく。
自民党が野党時代の2011年。民主党が党員・サポーターを参加させず、国会議員だけの投票で代表を選出した。菅氏は当時、自分のブログで「与党の代表を選ぶことは、日本の総理大臣を決めることだ。本来なら候補者が自らの考え、政策を広く国民にも示し、議論を深めるべきものだ」と書いた。
ご立派な意見で傾聴に値する。だが、今回の自民党総裁選では党員・党友投票を見送っている。8月31日の官房長官会見で、このブログとの整合性について記者から問われると、菅氏は「それぞれの政党で決めているルールに基づいて行うべきだ」と開き直った。ルールは時の政権の都合でいかようにも変えることができる、と言っているに等しい。
総裁選立候補の際に言及した、記者会見の「ルール」とも通底する。
民主的な手続きを軽んじる今回のやり方は、遅かれ早かれ、国政運営に影響するだろう。一番苦しむのはおそらく菅氏本人だ。
菅氏の立候補会見からわずか45分後、隣の衆議院第一議員会館では、麻生派、細田派、竹下派の三大派閥の領袖が異例の記者会見を開催した。二階派主導の「総裁づくり」をけん制しつつ、菅氏には「俺たちが総裁にしてやったのを忘れるな」と強烈なマウンティングをとる。自分たちの利権に固執する古参政治家の姿は、サル山を眺めているようで、愉快ではない。
菅氏が総理になったとしても、民に選ばれていないという弱みがある。正統性がなければ派閥の論理に絡め取られる。「お友達内閣」の次は、派閥に配慮し続ける「派閥談合政権」か、身動きが取れず負の遺産を抑え込むだけの「漬けもの石政権」か——。
いま菅氏に尋ねたら「ご指摘はあたらない」と答えるのだろうか。
菅氏が総裁選会見、正面から答えない菅話法変わらず |
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【望月衣塑子の社会を見る】派閥談合政権で身動き取れず
公開日:
(政治)
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望月衣塑子(東京新聞記者)
1975年、東京都生まれ。東京新聞社会部記者。慶應義塾大学法学部卒業後、東 京・中日新聞に入社。千葉、神奈川、埼玉の各県警、東京地検特捜部などで事件 を中心に取材する。2004年、日本歯科医師連盟のヤミ献金疑惑の一連の事実をス クープし、自民党と医療業界の利権構造を暴く。東京地裁・高裁での裁判を担当 し、その後経済部記者、社会部遊軍記者として、防衛省の武器輸出、軍学共同な どをテーマに取材。17年4月以降は、森友学園・加計学園問題の取材チームの一 員となり、取材をしながら官房長官会見で質問し続けている。著書に『武器輸出 と日本企業』(角川新書)、『武器輸出大国ニッポンでいいのか』(共著、あけび 書房)、「THE 独裁者」(KKベストセラーズ)、「追及力」(光文社)、「権力 と新聞の大問題」(集英社)。2017年に、平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励 賞を受賞。二児の母。2019年度、「税を追う」取材チームでJCJ大賞受賞
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