政府は来年初め開幕の通常国会に年金・介護制度改革の法案を提出することを目指し、改革案の作成作業を急ピッチで進めている。年金改革の柱の一つとなっているのが、労働を通じて一定の収入がある高齢者の厚生年金を減らす、現在の「在職老齢年金制度」の見直しだ。
現状では65歳以上なら月47万円を超えると、厚生年金の支給額が減額される。厚労省は減額対象の基準を月収51万円超に引き上げる方向で調整していたが、「高所得者優遇」などの批判が出て、政府は見直し案を断念、当面は現状維持となる見通しだ。だが、6月の経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)には「将来的な制度の廃止も展望しつつ、速やかに見直す」と盛り込まれており、来年以降、議論が再燃することは必至だ。
制度見直しの背景には、この制度が高齢者の勤労意欲を削いでいる、との認識がある。就業年齢の延長は人手不足対策となり、経済成長を促すことになる。さらに、就業年齢の延長は年金財政の改善に繋がる。
厚労省は当初、在職老齢年金制度の廃止を検討していたが、高所得者優遇との批判を受けて、減額が適用される基準を月収62万円に引き上げる案を10月に示した。しかしそれでも、高所得優遇との批判が収まらないことを懸念した与党が、厚労省に修正を求めた模様だ。
新たな基準は、現役男性の賞与を含めた平均的月収である43.9万円に、働きながら厚生年金を受給する人の厚生年金受給の平均額7.1万円を足して算出されている。そのもとでは、高齢者が現役並み以上に稼いだ場合には、年金は減らされることになる。基準額を51万円に設定すると、年金減額対象者が減ることで、年間の年金支給額は約1000億円増えるとされる。その分年金財政は悪化し、将来の受給額が減少する可能性がある。
■高齢者の勤労意欲を高める効果は明らかでない
他方、この措置によって高齢者の勤労意欲が高まり、退職年齢が引き上げられれば、年金財政は悪化しない可能性もある。しかし、在職老齢年金制度見直しが高齢者の勤労意欲を高める効果については、十分に検証されていないのが現状だ。
政府が9月20日に開いた全世代型社会保障検討会議の初会合で、有識者メンバーとして出席した中西宏明経団連会長は、「経営者から見ると(在職老齢年金制度が)意欲を減退させることはない」などと発言したという。10月4日に首相官邸のホームページで公開された議事録には、この発言が不掲載となっている点が問題となった。
不掲載の点はともかくとして、企業経営者は在職老齢年金制度見直しが高齢者の勤労意欲を高める効果について懐疑的であることが確認されたことは見逃せない。
さらに、企業は高齢者の年金受給額と給与総額の合計が一定となるように給与水準を調整する傾向がある。その場合、制度見直し後も両者の合計額は変わらずに、高齢者の勤労意欲に変化は生じない可能性もある。
学術研究でもその効果に懐疑的な結果が出ている。慶応大学の山田篤裕教授が今年5月に発表した分析結果では、在職老齢年金制度によって、男性では62~64歳で約10%、女性では60~61歳で約20%、それぞれ就業率を押し下げる効果が多少認められたとしている。
しかし、65~69歳では、男女ともに就業抑制効果を明確に確認することはできなかったという。山田教授は、「現状では、65歳以上について就業抑制効果があるという科学的根拠はない」と語っている。
厚生労働省は、長期的には制度見直しの効果は高まるとしているが、それも不確実だ。年金制度改革は確かに喫緊の課題ではあるものの、その効果が明確でない中で、年金財政を悪化させる可能性が高いと見られる制度見直しを実施するのは、やや拙速なのではないか。
年金制度改革の案としては、パートら短時間労働者への厚生年金の適用拡大も検討されており、それが実現すれば在職老齢年金制度見直しの財源とすることも可能だ。年金財政の改善こそが最も必要な今の環境の下で、財源を確保する前に、年金財政を悪化させる可能性が高い在職老齢年金制度見直しの議論を政府が先行させているのには、大いに違和感がある。
在職老齢年金見直し 高齢者の就労意欲は本当に高まるか? |
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【木内前日銀政策委員の経済コラム(56)】とりあえず現状維持、もし見直しなら年金財政悪化は避けられず
公開日:
(政治)
厚労省=CC
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木内 登英(前日銀政策委員、野村総研エグゼクティブ・エコノミスト)
1987年野村総研入社、ドイツ、米国勤務を経て、野村證券経済調査部長兼チーフエコノミスト。2012年日銀政策委員会審議委員。2017年7月現職。
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