▽若泉メモに潜む佐藤のホンネ
沖縄返還が合意される2年前の1967年11月12日。佐藤栄作首相の密使としてホワイトハウスに赴いた京都産業大学教授の若泉敬は、学者仲間で当時ジョンソン政権の大統領特別補佐官となっていたウォルト・ロストウに6枚のメモを渡している。ホテルの便せんに手書きされた英文メモは、佐藤が沖縄返還に乗り出した“真意”を綴ったものだった。

若泉メモの一部
メモの内容は佐藤との綿密な打ち合わせを反映したものだ。つまり佐藤は「実際の返還はいつでも構わないから、返還に合意する日だけは70年6月以前にしてほしい」と請い、その理由に日米安保条約の継続を挙げている。
ご存じのとおり佐藤の実兄である岸信介は1960年の安保改定で世論の反発を浴び退陣した。佐藤は当時、岸内閣の運輸相で兄とともに首相官邸に泊まり込み、国会を取り囲むシュプレヒコールを聞いている。その安保条約の更新期限が70年6月に迫っていたが、当時の政治情勢は反基地闘争やベトナム反戦運動で自民党がいつ過半数割れを起こしてもおかしくない情勢だった。メモを綴った若泉自身、自著「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」で「佐藤が最も重視していたのは安保条約の継続だった」と記している。
つまり佐藤の狙いは、米国が沖縄返還に合意することによって世の中の反米・反安保の大きな流れを抑え込み、無事に安保条約を継続すること。言い換えれば、沖縄返還は安保条約継続の“手段”だったともいえる。
▽マジックワードだった「本土並み」
佐藤は返還交渉を始めるに当たって、“世論操作”ともいうべき策を講じている。それは沖縄返還のスローガンともなった「核抜き本土並み」という言葉だ。佐藤は69年3月10日の国会で、それまで「白紙」としてきた交渉方針を「核抜き本土並み」とすると宣言したが、その定義を明確にしていない。「核抜き」は文字通り沖縄に貯蔵されている米軍の核を取り除くことだが、「本土並み」については曖昧だった。
佐藤や外務省の真意は「本土と同じく安保条約を沖縄に適用する」という意味である。しかし、世の中では「あらゆる面で本土と同じ扱いにする」程度の意味での解釈が一般的で、「本土と同様に核を抜く」という同意反復的な解釈もあった。一方、沖縄では「米軍基地も本土並みに縮小されること」と期待した。いずれにせよ、このスローガンは曖昧であるがゆえにそれぞれに都合のいい解釈が成り立った。結果、異を唱えられることもなく、沖縄返還に当たっての国民的合意としての役割を担っていく。
だが「あらゆる面で本土と同じ扱いにする」という一般的解釈には、佐藤の意図した「本土と同じく安保条約を沖縄に適用する」という意味が包含されている。沖縄にも安保条約が適用されるということは、沖縄返還後も安保条約は継続しているということになる。つまり安保条約継続か否かという争点をひそかに消す役割を負ったのがこのスローガンだった。
この巧みな“世論操作”は奏功し、沖縄返還というビッグイベントの中で条約継続の是非論はかき消されていった。
興味深いのは返還合意が成立して1年半たった1971年5月12日付けの

外務省北米一課作成の文書
草案ではまず「本土並みについては、従来たびたび申し述べて参りましたように、共同声明第7項で総理大臣と大統領が合意した安保条約及び関連諸取り決めが変更なしに沖縄に適用されることを意味しておりますことはよくご承知のとおりであります」とある。
問題はその一つ後の文章だ。「本土並みとはこのようなことであり、たとえば一部でいわれているように、沖縄の米軍基地の面積や規模が物理的に広大な本土に散らばっている程度に縮小されたり、本土と少しでも異なる米軍部隊は駐留できないということを意味しません」
そして、この部分の欄外にカタカナで「トル」と、削除を求める記述があり、丸ガッコで「弁解がましい」と記されている。これは「本土並み」の解釈をただそうとした若手官僚の文案を上司が諫めたということだろう。この書き込みは、世の中の誤解を放置したまま交渉を進めた当時の外務官僚のうしろめたさと居直りがない交ぜになった複雑な思いを映している。
▽封印された安保論議
日米安保条約はこうして沖縄返還に乗じて10年の更新期限を波乱なく乗り切のるのだが、ただ継続更新されただけではない。沖縄返還交渉の最終局面である69年後半の日米交渉で、今後10年ごとの期限か来ても、どちらかが異議を唱えない限り自動更新することが合意された。この結果、これ以降、60年安保のような闘争や国民的な議論は沙汰やみになっていく。

今回の連載内容をより深く知るならこちらの 光文社新書を読まれては(ニュースソクラ編集部) 2022年4月刊 990円(税込)
返還交渉は10年ごとの安保闘争の火を消した。本土の基地は徐々に返還され、基地負担は沖縄が独り背負う構図が形成されて本土の世論は徐々に日米安保を容認していく。そして返還交渉のどさくさの中で合意された安保条約の自動更新は、長きにわたって安全保障政策についての政治論争を封印し、国民的無関心をつくる土壌にもなっていった。(敬称略)