ーーあっと言う間に3万部超えだそうですね。本にでてくる政治家から反応はありましたか。
ええ、けっこう連絡をもらいました。たとえば、菅直人元首相や竹中平蔵元経済財政・金融担当相とか。宏池会会長だった古賀誠さんは、ある人がたまたま古賀さんのところに行ったら、『朝日新聞政治部』を読んでいたそうで、「全部このとおりだ」と言ったとか。伝わることを分かっていてそう言っているのだと思います。古賀さんらしい。

国会本会議場2階の鮫島浩氏=著書から
政治記者として鍛えられましたよ。そうそう、本に詳述しましたが、番記者だったときは、彼の地元に毎週末行くのです。ここは本には書きませんでしたが、ある時、地元の自宅を訪ねました。
ご本人がいなくて奥さんだけ。母のような年齢の方ですが、「きょう、主人は帰ってこないわよ」といいながら、追い返すのは心苦しかったのでしょうね、家に上がてくれ、ビールまで出してくれた。古賀さんはよほどのことがない限り番記者を家にあげることなんてしません。奥さんにしか見えない古賀さんも知りたいから、これ幸いと上がりこんだ。
ところが、本人が突然「ただいまー」と言って帰ってきたんです。え、やばい。あわてて、仏壇に手を合わせてごまかして。奥さんも「鮫島さんがどうしても仏壇に手を合わせたい」と言ったからと調子を合わせてくださったのですが、(鮫島さんは古賀さんの声色をまねて低音で)「早く帰りなさい」の一言(古賀さんの声色のまねはほんの一言だったが、似ていた)。退散しました。
古賀さんが帰ってきたときは、俺の政治記者人生は終わったと思いましたよ。そういう怖さがあったんです。とっさに仏壇に手を合わせたのは、古賀さんのお父さんは太平洋戦争で戦死されているから。私も母子家庭だったから、古賀さんの父親に対する特別な感情は推察できていました。古賀さんが(自民党支持の大票田である)遺族会に強いのはそのせいです。
――本書ではいろんな取材テクニックも惜しげもなく披露されてますが、家族に食い込んだという意味で思い出深い人はいますか。
ひとりは、菅直人元首相の夫人の菅伸子さんですね。母子家庭だった私の生い立ちとか、仕事以外のことを相談するとものすごく親身になってアドバイスしてくださる。彼女は政治家ではないのであまり詳しくは語れないけど、「いま、鮫島さんのお母さんはこんな気持ちなんじゃないか」とか。ちょうど、私が息子さんたちと同世代だということも。
――ああ、お母さん気分みたいのがあるんですね。
そうですね。菅直人元首相には政治記者として相当食い込んだと思っていますが、それなりに緊張感はあったし、ケンカしたこともいっぱいあります。でも伸子さんはけっこう私の肩を持ってくれました。政治記者のセオリーでいえば、「本人に対抗し向き合うためにも家族に食い込め」という感じでした。
――朝日新聞のひとたちからの反応は。
それはもちろん、たくさんありますが、いまの朝日は統制・管理が厳しくて、本屋でこの本を買っているところを見られるのもはばかられる雰囲気があるんです。それで読みたい人は「電子書籍で買っています」なんて連絡をくれます。電子書籍の売り上げには朝日関係者がそうとう貢献しているはずですよ(笑)。
――中村史郎社長もこっそりキンドル(アマゾンの電子書籍)で買っているのでは。
それは知りませんけれど、社員の方は社用メールは会社にチェックされているからと、皆さんGメールとかプライベートなメールアドレスから送ってきます。
――いまは、新聞、放送、メディア各社はみんなそうですよ。通信社とNHKは社員のメールをみていないかな。いや、NHKのひとは名刺のメアドでいいといいながら、すぐ後でやっぱりプライベートメールにしてと言ってきました。
そうなんでね。社員の方々のメールを読むと、いかに息苦しいなかで生きているか伝わってきます。
――朝日のひと以外からの反響は。
この本は1か月で一気に書き上げたのですが、狙っていた通り、政治やジャーナリズムに関心のない方も読んでくださっています。朝日新聞を舞台にした企業小説という感じで読んでいただけるのがいいのだと思います。危機管理とか、組織論、企業統治の観点からもおもしろいのでしょう。私の「没落プロセス」を、組織や会社のなかで悩んでいる人に読んでほしいとおもいます。
――確かにいじめと反骨は、引き込まれますよね。
この本の前半は、自分を自慢げな嫌な奴に書いています。肩で風切るみたいな表現を多用しているのは、後半の私の没落ぶりを際立たせる効果を生んでいると思います。意識して落差を書き込みました。こんな嫌な奴がどうやられていくのか、後半の吉田調書問題で処分を受けるクライマックスに向けて、落差を楽しんでいただければ。
デスクを更迭された時点では家内から「傲慢罪よね」と言われましたけれど、それがもっと伝わるようにして、政治と関係ないひとにも読んでいただけるようにしたつもりなんです。
――本書では、たとえば竹中平蔵元大臣といっしょに抵抗勢力とどう戦えばよいのか、毎日のように議論していたことも書かれています。読む方によっては、政治家との癒着と感じる人もいるのでは。政治家との距離感をどう考えていたのですか。
書くもので魂を売らない。意見交換はしても、提灯記事は書かない、政治家が有利になる記事は書かない、そういう倫理基準は持っていたつもりです。ラッキーだったのは私はひとつの派閥だけ長く担当するということがなかった。
竹中さんのあと、与謝野馨さんを担当するとか。そのくだりは、ちょっとドラマがあり、本書でもわりに詳しく書いていますが。
長く担当する方がネタ(情報)が取れるから、どの社の政治部もながく同じ担当を続けさせがちです。特にNHKが顕著かな。長く担当すると、そこが困ることは知っていても書けなくなりがちです。私は生意気だったから、いじわるされたのか、教育的配慮なのか、例外的にかなり頻繁に、しかも180度立場が違う政治家へ担当が変わったので、さまざまな視点から政治をみることができるようになりました。

「朝日新聞は度量をみせ、広告を無条件で掲載」(講談社の担当)2022年5月27日朝刊
私が「れいわ推し」なのは公言しています。2000年に民主党と菅直人さんに出会ったときと同じ感覚があるのです。れいわは未熟なところがいっぱいありますが、輝いているところがあります。
発端は、れいわの参院議員の重度障害者の木村英子さんです。彼女が選挙で品川駅前で街頭演説しているところに見に行ったんです。
「自分はずっと施設にいた。選挙に出なければ閉じ込められたままだった。ここで初めて解放された」という風なことを語っていた。涙が止まらなかった。ふと見ると、私の周りにいるおじさんたちがみんな泣いているんです。
こういう人を担いだ、れいわに感動した。政治記者生命を揺さぶられる経験でした。朝日で処分された直後の不遇時代だったから、それまでの(ベテラン政治家や官僚といったエスタブリッシュメントとばかり付き合った)自分を全否定するようなれいわの出現をまっしろな気持ちで受け入れられたのかなと思います。
――その経験が大切なのはよくわかりましたが、偏りすぎるという面はないですか。
うそくさい「客観・中立報道」に対する挑戦のつもりです。ネット化で多様化が進む中、記者がどういう考えでどういう立ち位置にいて、どんなキャリアー(経歴)をもっているか、全部さらして、さらけ出して、そのうえで、データと論理を駆使してフェアに書くほうが、「俺は客観中立だ」と上から目線で一方的に情報を押し付けるより、よほど共感や信頼を得られるのだと思います。読者が比べて読んでそれぞれの記事の確かさを判断すればいい。
朝日新聞みたいに、オレの言うことを信じればいい、というのはもう正しくない。間違ったら大変なことになるし、現に間違えているのだから。
僕の記事だけ読めばいいなんて考えていません。オリジナルな記事を書いているという自覚があります。自らがめざす社会像を強く打ち出し、この世に一石を投じないと。いまの朝日新聞のように誰からも文句の言われない差し障りのない記事を量産しても存在価値はないでしょ。
――処分を受けた吉田調書ですが、本物の文書を手に入れてその情報を書いているのだから、誤報のはずがなく、しいて言えば解釈が偏っていたということは、朝日新聞を外から見る人にはみんなわかっていると思います。なぜ、朝日は処分の間違いを正せなかったのでしょうか。
渦中で当時の木村伊量社長と周辺がなぜ誤報と判断して取り消してしまったのかは、本書に生々しく書きましたが、その後の渡辺雅隆社長、いまの中村史郎社長が正せないでいるのは、彼らがいまの地位にいる正当性は吉田調書の記事を誤報として朝日新聞凋落の責任をすべてそこへ押し付けたからではないでしょうか。
彼らは吉田調書問題でそれまでの主流派が失脚しなければ、社長にはなれなかった人たちです。この人たちにとっては、木村社長の辞任の日は戦勝記念日なんです。中国共産党が永遠に反日といい、北朝鮮労働党が抗日運動を唱えるのと同じです。
「吉田調書」が取り消された9月11日になると、社内放送が流れます。「皆さん、きょうは9月11日です」と自戒を促すのです。ああ、永遠に戦犯扱いされるんだなと思いましたよね。
【吉田調書】とは、2011年に発生した福島第一原子力発電所事故で指揮にあたった、吉田昌郎所長(当時)が政府事故調の聴取に応じた記録。非公開だったが朝日新聞がスクープした。のちに「慰安婦謝罪問題での責任追及を逸らすため」に記事は取り消され、関係者は処分された。『朝日新聞政治部』で詳説。鮫島氏も停職2週間となった。
鮫島 浩(さめじま・ひろし)1971年生、京大法卒、94年朝日新聞入社。地方支局を経て99年政治部。菅直人、竹中平蔵、古賀誠、与謝野馨、町村信孝ら与野党政治家を幅広く担当。調査報道を担当する編集局長直属の特報チームが2006年に創設され、メンバーに。10年に39歳で政治部の政党取材記者を束ねる「政党長」の政治部デスク(次長)に抜擢される。12年特別報道部デスクとなり、「手抜き除染」報道で新聞協会賞を受賞。2014年福島原発を巡る「吉田調書」報道で解任される。21年に退社しウェッブメディア「SAMEJIMA TIMES」を創刊し、連日、記事を無料公開している。