
私は、国会議員、そして大臣として国政の場に身を置いてきたが、その経験に鑑みれば、霞ヶ関の官僚機構に問題が起こっているような気がする。
国家の屋台骨を支える官僚機構は、不断の見直しが必要である。いったん設置されたシステムは、時間が経過するとともに効率が低下したり、経費の無駄な支出が増えたりするからである。歴代政権にとっては、有権者の支持を調達するためにも行政改革は錦の御旗となってきた。土光敏夫氏を行革審会長にした中曽根康弘内閣がそうであるし、「火だるま」になる覚悟で取り組んだ橋本龍太郎内閣がそうである。
とくに橋本内閣が行った中央省庁再編(実際に実行されたのは小泉内閣になった2001年1月であるが)は、1府22省庁を1府12省庁に再編するものであった。その目的は、縦割り行政の弊害是正、内閣機能の強化、事務事業量の削減、仕事の効率化などであるが、15年以上経った今日、その目的は達せられたのであろうか。
答えは否定的にならざるをえないし、かえって副作用も増えているように思う。縦割り行政は必ずしも是正されていないし、事務量や事業量も減っていない。また、統合したから業務の効率が上がったわけでもない。内閣機能は強化されたが、その副作用が、今回の財務省官僚による公文書改竄という忖度行政に現れた。
まずは省庁再編であるが、以前の総理府、経済企画庁、沖縄開発庁、総務庁(一部)、科学技術庁(一部)、国土庁(一部)が内閣府に統合された。実際は、何人もの大臣がこれらの仕事を担当しており、効率よい体制になったとはお世辞にも言えない。
また、2014年5月30日に内閣官房に設置された内閣人事局が、今回の森友文書改竄で焦点が当てられている。私は、安倍、福田、麻生と3人の内閣総理大臣に閣僚として仕えたが、その間も、上級官僚の人事を内閣に集中させるこの改革に取り組んできた。それは、「局あって省なし」、「省あって国なし」という役人の縄張り意識を改革し、国家全体の奉仕者とするためであった。
私は若い頃フランスに留学し、高級官僚養成機関のENA(国立行政学院)にも関わったが、そこでの教育は、まさに国家全体に仕えるスーパー官僚の育成であった。どこの省に行っても仕事のできる能力と意識とを身につけさせるべく徹底した訓練が施されたものだ。
このようなENAの理想を日本でも実現させようとしたが、その理想とは違って、政権が長期化すればするほど、官僚が首相官邸のご機嫌を伺うことにつながっていった。役人が出世を願うのは当然であり、官僚としての自律性よりも最高権力者の意向を優先させるようになったのである。それが、忖度による公文書改竄にまで至った原因である。
内閣人事局が存在していなかった時代のように、各省庁が独自に人事を貫徹していたほうが、官僚の自律性は高まる。現に、官邸の覚えが悪いために、出世コースから外された優秀なトップ官僚が何人もいる。彼らを見て、後輩官僚が官邸にゴマをするようになるのは当然である。この制度も見直しが必要である。
中央省庁再編については、やっと新体制が定着したとはいえ、たとえば、私が大臣を勤めた厚生労働省はやはり巨大すぎる。厚生省、労働省、年金省に三分割したほうがよい。仕事の内容も違うからである。私は、問題の多かった社会保険庁を日本年金機構に改組したが、10年経つとまた資料入力ミスなど問題が発生している。団塊の世代が年金受給者になっている今、年金省の独立は急務である。
批判の的になっている財務省も、歳入省を独立させることを考えるべきではないか。また、問題の多い文部科学省も、スポーツ省、科学技術省などを独立させたほうがよい。国土交通省も同様である。
橋本行革の成果と副作用について、再検討するべきときが来ているようである。