2022年2月の北京冬季五輪について、米国などが政府代表を送らない「外交(的)ボイコット」を決めた。日本でも安倍晋三元首相ら保守派(右派)がボイコットを叫んでいるが、岸田文雄政権は米中双方に配慮した落としどころを探っている。
外交的ボイコットに明確な定義があるわけではないが、旧ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して西側諸国がボイコットしたモスクワ五輪(1980年)のように、選手を出場させないわけではなく、「政府代表団」「外交使節団」を送らないという限定的な政治的メッセージの意味が強い。
通常の五輪なら、閣僚など政府代表団を派遣して「五輪外交」が展開されることも多い。開会式や閉会式などに出席し、自国の選手を応援するほか、開催国との友好親善を深める。21年の東京五輪には米国はバイデン大統領夫人らを派遣した。
米国は12月6日、「中国の新疆ウイグル自治区で進行中のジェノサイドと人道に対する罪、その他の人権侵害」を理由に、北京五輪に政府当局者を派遣しないと表明。豪州、英国、カナダが相次いで追随した。
新疆のほか香港の民主派弾圧などを含め、先進諸国は中国の人権状況への懸念を共有するが、世界第2の経済大国となった中国との経済関係への配慮もあって、一斉に米国に同調するというわけではない。
2024年パリ五輪を控えるフランスはボイコットせずスポーツ相などを派遣する考えと伝えられる。中国との経済関係が深いニュージーランドはコロナを理由に閣僚級を派遣しない方針で、メルケル前政権で中国と良好な関係を築いてきたドイツは態度を保留中だ。
日本もドイツなどの動向を見極めて慎重に判断する構えだ。岸田首相は米国の決定を受け、7日に首相官邸でのぶら下がり会見に応じ、「オリンピックの意義や我が国の外交にとっての意義等を総合的に勘案し、国益の観点から自ら判断していきたい」と述べ、その後の国会質疑などでも同様の考えを繰り返している。
中国の人権侵害への批判は日本国内では、共産党も外交的ボイコットを求める声明を出すなど、与野党を通じた共通認識。政府としては同盟国である米国の意向を尊重する一方、最大の貿易相手国である中国との関係への配慮も必要で、具体的にどう対応するか、米中の板挟みの状態だ。
五輪ということでは、「中国は日本の五輪開催を支持した」(中国外務省報道官会見、12月9日)という「信義」の側面もある。
選択肢としては、(1)米国と歩調を合わせて外交的ボイコットを宣言する、(2)宣言はせず閣僚級は見送ってスポーツ・五輪関係者を派遣する――が大きな分かれ道だ。ただ、当面は様子見に徹し、コロナの感染状況を見極める考え方もある。
「オミクロン株」の感染拡大で中国が外交使節団の受け入れを取りやめる可能性もあり、あえて急いで判断しないで済まそうというものだ。いずれいせよ、閣僚級の派遣は見送ることがコンセンサスになりつつあり、その意義づけや、表明の仕方などが大きなポイントになる。
この中で、政治的に活発に動くのが自民党内の保守派だ。その急先鋒が安倍元首相、高市早苗政調会長だ。高市氏は8日、自ら顧問を務める党内保守派議員で組織する「保守団結の会」の会合で、外交的ボイコットについて「やるべきだ」と明言。13日の衆院予算委でも繰り返し外交的ボイコットを求め、与党としては異例の質疑になった。自民の中国人権関連3議連は14日に岸田首相に面会してボイコットを迫った。
安倍氏は9日、自身が会長に就いたばかりの清和会(安部派)の会合で、「中国の人権状況に鑑みて、日本は政治的な姿勢や、メッセージを出すべきではないか」と述べ、13日夜のBS日テレ番組では「中国に対する政治的メッセージは日本がリーダーシップをとるべきだ。時を稼いでどういう利益があるのか」などと述べた。事実上、外交的ボイコットを早期に表明する必要があるとの認識を示したものだ。
安倍氏といえば首相在任中の2014年、ロシア・ソチ冬季五輪で、ロシアの同性愛宣伝禁止法の制定に反発した欧米主要国の大半が外交的にボイコットする中、自ら開会式に出席した「実績」がある。北方領土交渉の進展を期待しての行動といわれる。
ちなみに、安倍氏は6日の清和会のパーティで「中国は軍事力を背景に、尖閣諸島、南シナ海、台湾への圧力を強めている」などと述べ、14日には日米台のシンクタンクによるシンポジウムへのビデオメッセージで、中国を名指しし、「軍事的な冒険を追い求めるのは自殺的行為だ」などと訴え、中国批判をエスカレートさせている。
安倍氏はコロナ蔓延前の2020年初めには国賓として習近平主席を招こうとしていた。ソチ五輪の出席も含め、過去の行動と、現在の言動との整合性に疑問符も付くところだ。
外交的ボイコットについては、こうした保守派の動きと連動する形で、産経新聞がボイコットを煽る紙面を展開している。
米国などのボイコットに向けた動きをにらみ、米国の正式決定の前の12月4日紙面は1面トップで、新疆ウイグル自治区と並んで人権弾圧が問題視されてきたチベット出身のペマ・ギャルポ拓殖大教授のインタビューを掲載。この中で同教授は、外交的ボイコットが「非常に重要だ」と述べたほか、南京大虐殺があったかわからないような「歴史修正主義」的発言も引き出している。
米国のボイコット決定を経た紙面展開も、産経の突出に加え、読売を含む政権支持メディアと、朝日、毎日の政権に批判的な各紙との扱い、トーンに差が出ている。
米国の決定を伝えた12月8日朝刊を見ておこう。(見出しの「ボイコット」は各紙共通なので省略)
産経=1面トップ、横凸版「人権弾圧に抗議/中国『断固たる措置』/日本 閣僚派遣見送り検討」▽3面全面で「人権 同盟国の協調焦点/英、賛同の動き、印は一線画す/中国、対抗措置で切り崩し」
読売=1面トップ立て4段見出し「米、人権侵害に抗議/中国反発『対抗措置』表明」▽3面スキャナー「米、『人権』座視せず/対中強硬論高まる/日本、直前まで見極め」
朝日=1面左肩3段見出し「ウイグル弾圧に抗議 選手は参加」▽2面時々刻々「『人権譲らぬ米』前面/『弱腰』との批判回避/首相『日本独自に判断』 自民内から突き上げも」▽運動面「選手は五輪参加 IOC『歓迎』」
毎日=1面トップ立て4段見出し「人権侵害理由に/選手団は派遣/中国反発『対抗措置』」▽3面クローズアップ「五輪またも政治の渦中/人権問題 米中綱引き/問われる『平和の祭典』/日本政府状況見極め」
日経=(7日夕刊1面トップに続き)1面ハラ3段見出し▽3面横凸版「米中 五輪でせめぎ合い/同盟国の同調 焦点/日本 欧州の動向注視」
東京=1面左下3段相当の横見出し「日本も難しい判断」▽2面核心「北京五輪『人権』攻防/米 各国同調に期待/『中国式民主』体制維持を正当化/日本閣僚派遣に消極的」
産経や読売が、待ってましたといわんばかりに大きく報じる一方、朝日や東京の扱いが冷めており、朝日や毎日は「五輪と政治」の問題にも目配りしているのが目立った。
日本政府の対応については、8日の紙面でも、見出しに取るか否かは別にして、閣僚派遣見送りに各紙言及し、読売が「室伏氏(スポーツ庁長官)や山下氏(日本オリンピック委員会=JOC会長)浮上」、毎日が「スポーツ庁長官派遣も視野」と、派遣する人選を見出しに取るなど、閣僚・政治家を避け「格下」を派遣するという「相場観」ができつつあった。
11日朝刊では読売が「閣僚派遣見送り 政府調整」を特ダネとして1面トップで報じ、東京五輪組織委員会の橋本聖子会長らの出席にとどめる 方向を示し、12日朝刊で朝日が「室伏長官の派遣可否検討」、毎日は「山下JOC会長ら出席」などと追いかけた。
東京を除く5紙が15日までに社説(産経は「主張」)で取り上げた。
産経(12月9日)は〈五輪・パラリンピックは平和の祭典だ。弾圧の責任者である習近平国家主席とその政権を称揚する場にしてはならない。外交的ボイコットは当然である〉と、米国のボイコットを明快に支持。次いで日経(8日)も〈開催への実質的な影響を抑えた形で人権重視のメッセージを伝える手段として、外交ボイコットは理解できる〉と評価する姿勢をはっきり示した。
他の3紙は直接の支持や理解という表現はなく、朝日(8日)が〈中国国内の弾圧は深刻だ。主要国は率先して迫害に反対し、是正を求める必要がある。米政府はスポーツの祭典でも、意思表示をするべきだと考えたのだろう〉と一定の理解を示した。読売(8日)は〈中国の深刻な人権侵害が一向に止まらないことに対する強い批判の表れだと言える。中国は真摯に受け止め、不信の払拭に努めるべきだ〉、毎日(8日)も〈国際社会の懸念を顧みなかった姿勢が招いた事態である。批判に耳を傾ける度量が求められる〉と、2紙は中国に、国際的な世論を受け止めるよう求める。
いずれにせよ、5紙はすべて、米国の判断自体に、異を唱えるものではないが、トーンには差がある。
産経が前のめりだ。岸田首相の対応を〈いかにも悠長〉と批判し、〈中国政府が全く反省していないのだから、日本のとるべき道は明らかではないか。外交的ボイコットの輪に加わることだ〉として、特に〈対応を公表する際に、岸田首相はその理由をはっきり示す必要がある。中国の人権状況への認識や中国政府に求める行動について明確に語るべきだ〉と、はっきりと中国を批判するよう迫っている。
日韓関係を論じる中で、以前に指摘されたことがあるが、産経の特異な歴史観が中国、韓国報道の背景にある点には注意が必要だ。
そのキーワードが「歴史戦」だ。2019年5月に刊行された『歴史戦と思想戦――歴史問題の読み解き方』(山崎雅弘著、集英社新書)が解説しているところによると、「歴史戦」という言葉は産経が2014年4月から新聞紙上で「歴史戦」というシリーズを始めたのが最初で、同年10月に単行本にまとめた。
2015年以降は、産経のオピニオン誌『正論』や新聞の『正論』欄の常連執筆者である保守派の論客が『反日同盟 中国・韓国との新・歴史戦に勝つ!』、『歴史戦は「戦時国際法」で闘え』などの著作を次々出し、保守派を糾合する形になっている。
五輪、世界情勢とその中での日中関係など、微妙な問題を繊細に論じるというよりは、一つの理念に基づいて論を組み立てている感が強い産経の論調を理解する手掛かりになる視点だ。
産経に次いで保守的な論調の読売は、〈(中国が)「内政干渉」を理由に国連による調査や監視を拒否しているのは筋が通らない。日本も中国政府に直接、調査団の受け入れを促すべきだ〉と、人権問題の進展を訴え、〈五輪の成功には協力すべきだが、平和の祭典が中国の宣伝の場と化し、人権侵害がうやむやにされるようなことがあってはならない〉とくぎを刺している。実質的に外交的ボイコットを求めているといえるだろう。
日経も〈アジアの隣国として中国に国際社会の厳しい空気を伝え、粘り強く説得する役回りも大切だ〉と訴え、〈完全な外交ボイコットではなくとも、派遣規模やレベルを調整するなど何らかの方策をとるべきではないか〉と具体的に言及している。
朝日、毎日は中国の人権問題を懸念し、解決を求めつつ、ボイコットには慎重だ。
朝日は〈この措置(米国のボイコット)が実際に問題解決につながる見通しはない。……対米関係を重んじる同盟・友好国に「踏み絵」を迫るのは確かだ〉と、ボイコットの効果を疑問視し、米国の同調圧力をけん制する。
毎日も、〈対立がエスカレートすれば、影響を受けるのは選手たちだ。亀裂を深めないよう、各国が知恵を絞らなければならない〉と、単純にボイコットが広がることに懐疑的な見方を示す。
朝日と毎日は五輪のあり方にも言及。毎日は〈米中の関係が悪化し、「新冷戦」といわれる今こそ、平和と協調という五輪精神を追求しなければならない〉、朝日も〈大国間の駆け引きや国威発揚を含め、あまりに政治色が強い五輪の現実を見直す契機とするべきだ。……大国の思惑に翻弄される現状をどう正すかを考えるべきだ〉と求める。
ただし、簡単に答えの出る問題ではなく、2紙の書きぶりも建前、綺麗ごとの感はある。それでも、過剰な商業主義も含め、五輪そのものを考え直す時期に来ているのは明らかで、社説を含め、今後、議論を深めてもらいたい。
岸田首相にとっては、給付金、石原伸晃内閣官房参与辞任などいくつかミソをつけた問題に続き、北京五輪への対応はなかなか難問だ。特に、安倍元首相以下、安倍政権8年近くの間に力を増した保守派とどういう関係、距離感をもっていくか。元来ハト派である首相の今後の政権運営に大きくかかわるのは間違いない。
※外交上のボイコットについて、メディアで表記が割れている。主要紙では、読売、毎日、産経が「外交的ボイコット、NHKなどテレビも概ね同様なのに対し、朝日、日経、東京、テレビ東京は「外交ボイコット」を使っている。本稿は「外交的」を使用した。
突出して煽る産経 日経も支持 北京五輪の外交的ボイコット |
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公開日:
(政治)
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岸井 雄作(ジャーナリスト)
1955年、東京都生まれ。慶応大学経済学部卒。毎日新聞で主に経済畑を歩み、旧大蔵省・財務省、旧通商産業省・経済産業省、日銀、証券業界、流通業界、貿易業界、中小企業などを取材。水戸支局長、編集局編集委員などを経てフリー。東京農業大学応用生物科学部非常勤講師。元立教大学経済学部非常勤講師。著書に『ウエディングベルを鳴らしたい』(時事通信社)、『世紀末の日本 9つの大課題』(中経出版=共著)。
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