社会が大混乱に陥った時、人は何を求めるのか。第2次世界大戦直後、日本人の多くは迷うことなく「食べもの」と答えただろう。戦後から70年以上が経ち、広範な飢餓の体験は風化した。
多くの日本人にとって食料安全保障という言葉は、別世界の響きがある。しかし、最近の地球温暖化による大規模な気象災害、新型コロナウイルスなどの世界的流行(パンデミック)は、私たちの食卓を脅かすリスクを高めている。
農水省の緊急事態食料安全保障指針(指針)は、不測時の深刻さを3段階に分け人々が飢えなくても済むため、どのような取り組みが必要なのかを定めている。最も深刻なレベル2が発動されると、空き地はもちろん、ゴルフ場などで芋栽培への転換が想定されている。
前身の食料安全保障マニュアルが2002年に定められてから20年近く経つ。幸いにして、この間いちばん下のレベル0ですら発動されたことがない。2010年前後に世界で食料価格が急騰した際にも「日本への影響は小さい」として発動は見送られた。
日本はカロリー計算による食料の自給率が4割を切る輸入大国。だが、食料の価格が値上がりしても十分に海外から手当てできるだけのカネを持っていたため、大きな混乱は避けられた。「日本は食料確保のリスクは小さい」というのが普通の人の受け止めだろう。
▽思わぬ落とし穴
新型コロナウイルスのパンデミックは、豊かな国であっても、思わぬところに落とし穴があることを示した。
典型が昨年春のマスク不足だ。先進国の多くは繊維産業を海外に移転し、製品輸入に切り替えてきた。マスクはコモディティであり、途上国に生産を任せれば良い。平常時は効率的な国際分業に見えても、不測の事態となれば景色が大きく変わることを私たちは学んだ。
食料分野でもパンデミックで予期しないリスクが表面化した。これまで不測の事態と言えば、主要農業国の連続した凶作など、世界の食料需給が大きくひっ迫する場合を想定してきた。不測の事態には、海外からできるだけ多くの食料をもってくることが食料安保の最優先課題となった。
新型コロナは、私たちの食卓が抱える「弱点」を狙い澄ましたように攻撃してきた。最近の食料安全保障をテーマにしたシンポジウムに登壇した農林中金総合研究所の平澤明彦基礎研究部長が指摘したのが、長く伸びたフードチェーンの危うさだ。
例えば店頭の冷凍チャーハンの多くは、南米やアフリカなど世界各地から食肉、水産物、野菜などの原料が中国に集められ。そこで加工されて日本に輸出される。ところが、海外では作業員が密になる食肉加工施設や卸売市場などで次々にクラスターが発生。働き手の移民労働者の移動が禁じられ、港湾施設でも物流が滞った。日本でも業務用の食料需要が激減し、その分巣ごもり需要が膨れあがるなど、急激な需要のシフトが起きた。
仮にマクロで食料を確保できたとしても、フードチェーンの中に潜むミクロのリスクが顕在化すれば、私たちの食卓が脅かされかねないことが、パンデミックの中ではっきりとしてきた。食料安全保障の確保には、モノだけではなく、フードチェーンの節目にいる人間にまで目配りする必要がある。
▽食料に手が届かない貧困者
もう一つの課題は、パンデミックの中で収入が減り、十分な食料を確保できない層を減らしていくことだ。各地のフードバンクには、従来を大きく上回る人たちが支援を求め集まるようになったという。
国連食糧農業機関(FAO)の定義によると、食料安全保障は、多くの食料が店頭に並ぶ入手可能性(Availability)だけではなく、実際にすべての人々が安定して入手できること(Access)を求めている。こちらはすでにリスクが日本で現実になっている。
農水省は1月末に指針を改定し、食料安全保障のリスクに国内外の感染症の流行を加えた。さらに6月までに新たな食料安全保障政策をまとめるという。満足に食べられない子どもや高齢者を放置し、日本の食料安全保障のあり方が語られるのは避けるべきだろう。
コロナで顕在化 食料安保の脆弱さ |
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【農を考える】農水省、食料安保リスクにパンデミックを追加
公開日:
(政治)
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山田 優(農業ジャーナリスト)
農学博士。1955年生まれ。日本農業新聞記者出身で海外農業を担当してきた。著書に『亡国の密約』(共著、新潮社、2016年)、『農業問題の基層とは何か』(共著、ミネルヴァ書房、2014年)、『緊迫アジアの米――相次ぐ輸出規制』(筑波書房、2005年)などがある。
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