豊洲市場が心配である。アンジャッシュ・渡部建のアルバイトのことではない。24日の最高裁判決に影響を受けるかも知れないからである。
この日、最高裁は、那覇市が公園の敷地を「孔子廟(びょう)」として無償提供したことが政教分離原則に違反するとして違憲と判断した。であるならば、豊洲市場内に建っているあの神社は大丈夫なのかと。
▽豊洲市場にある江戸時代以来の「水神社」
豊洲市場の6街区水産仲卸売場棟の立体駐車場横に水神社はある。「すいじんじゃ」と呼ぶ。一般者の立ち入れない場所にあり人目にはつきにくい。旧築地市場では吉野家第一号店のすぐ横に位置していたので、立ち寄ったことのある人も多いだろう。
正式名称は「水神社遥拝所」。徳川家康は江戸入府の折、摂津の国、現在の大阪から漁師たちを江戸に移住させたが、そのひとり森孫右衛門が日本橋魚河岸の元祖とされている。
森孫右衛門らが大漁や海上安全などを祈願して「みずはめのみこと」を祀ったのが水神社の礎となった。
その後、時代は明治に移り、明治34年、神田明神の境内に「水神社本殿」が建立され、関東大震災後の昭和10年、日本橋魚河岸が築地に移転される際に「水神社遥拝所」が築地市場内に建立された。
つまり、水神社は正確には神田明神にある本殿を拝むための場所である。以来綿々と市場で働く人々の心のよりどころとなってきた。
▽無償提供から使用料徴収へ
とはいえ、水神社の場所は、豊洲市場でも築地市場でも紛れもなく東京都の土地である。ところが、以前は無償提供されていた。完全に違憲状態だ。
市場参加者の仲卸しなどがメンバーの魚河岸会から使用料を徴収しはじめたのは、移転5年前の2013年4月からに過ぎない。前年に、北海道砂川市裁判の差し戻し最高裁判決において、市有地を地元神社に無償貸与することは違憲だが賃料を徴収すればよいとの判断が下されたためである。
以後、中央卸売市場の施行規則に定める1㎡当たり月額822円に使用許可した面積をかけた額を徴収していた。有償とはいえ月数万円の微々たる額である。
それも、施設の敷地面積全体が積算根拠にはなっていなかった。個々の施設の投影面積で算出されていた。つまり、鳥居であれば2本の柱が地面に占める面積である。こうまでして市場業界に配慮しつつ、市場当局は違憲状態を回避しようとしていたのである。
▽水神社は文化施設?
使用料徴収により直ちに憲法に抵触する恐れはなかったが、それでもなお、市場当局は移転をきかっけに政教分離という厄介な問題が表面化することを危惧し、水神社を腫れ物に触るように扱っていた。
どんな形にせよ、政教分離の原則からすれば、宗教施設に対して地方公共団体が自ら所有する土地を貸与すること自体、憲法違反に問われる恐れがある。要は、「憲法上の疑義の一層の低減」を図る必要に迫られたのだ。
このため、市場当局は豊洲市場でも引き続き使用料を徴収する方針を業界側に伝えるとともに、歴史的文化的施設であることを強調する方策として、水神社の周囲を憩いの場として整備する計画を立てた。
具体的には説明用のパネルやベンチの設置を通じて、できるだけ宗教色を薄め、世俗色の演出に躍起になった。
しかし、こうした苦労も杞憂に終わった。市場当局がここまで神経を尖らせていたにも拘らず、マスコミから問題が提起されることはなかった。
水神社問題は揚げ足を取ろうと思えばいくらでも取れる問題のはずだったが、体制批判で売る新聞でさえ、この問題をあっさりスルーした。結果、水神社は何ごともなかったかのように、築地から一度神田明神に仮遷座されたあと、豊洲に遷座された。
業績不振や観光客の激減に直面する豊洲市場ではあるが、はたして水神社の存在は本当に政教分離の原則に抵触していないのか。使用料の根拠は適正なのか。3度目の違憲判決が出された今、もう一度、検証してみる必要がある。
最高裁違憲判決、豊洲市場内の水神社は? |
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【都政を考える】使用料をとってはいるが、破格の安値・・・
公開日:
(政治)
築地市場にあった水神社(撮影・澤)
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澤 章(都政ウォッチャー)
1958年、長崎生まれ。一橋大学経済学部卒、1986年、東京都庁入都。総務局人事部人事課長、知事本局計画調整部長、中央卸売市場次長、選挙管理委員会事務局長などを歴任。(公)東京都環境公社前理事長。2020年3月に『築地と豊洲「市場移転問題」という名のブラックボックスを開封する』(都政新報社)を上梓。著書に『軍艦防波堤へ』(栄光出版社)、『ワン・ディケイド・ボーイ』(パレードブックス)、最新作に「ハダカの東京都庁」(文藝春秋)、「自治体係長のきほん 係長スイッチ」(公職研)。
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