千代田区長選の投開票日が週末に迫っている。
千代田区と言えば、都議会のドン・内田茂氏と小池知事の確執を思い起こすが、4年前の都議選で内田氏が推す自民党候補を破り初当選したのが、樋口高顕(たかあき)都議(都民ファーストの会・以下「都ファ」と表記)だ。
樋口都議は20年前の京大学生時代から兵庫県の小池氏の地元事務所で手伝いをしていた、いわば「愛弟子」である。この樋口氏が都議を辞し今回の区長選に参戦したことで、俄然、注目を集めている。
一部で内田氏と小池知事の水面下での手打ちが報じられる中、千代田区長選の結果は夏の都議選を大きく左右することになる。そればかりか、自民党との関係修復を考えると、小池知事の今後の去就にも少なからぬ影響を与えるだろう。
そんな渦中の樋口候補者と小池知事が、3年前のある騒動に深く関わっていたことを知る人はほとんどいない。私はこの騒動を都庁「情報漏洩」事件と呼んでいる。なぜなら、ある時、小池知事が中央卸売市場次長だった私に向かってこう言い放ったからである。
「あれは情報漏洩ですからっ」
氷のように冷たい一言は今でも私の脳裏にへばりついているが、その場面は後ほど紹介するとして、まずは事の概要を時系列でまとめてみたい。
2016年7月 都知事選で小池百合子氏勝利
同年8月 小池知事、築地市場の豊洲移転を延期と発表
同年9月 豊洲市場の建物下に謎の地下空間の存在が発覚
2017年1月 豊洲市場の地下水から基準の79倍のベンゼンなどが検出
同年6月 小池知事 「築地は守る 豊洲を活かす」の基本方針を発表 築地に食のテーマパークを作ると明言
同年7月 都議選で都ファが圧勝、自民党惨敗
▽差し替えられた質問文
都議選の熱気覚めやらぬ2017年8月から9月にかけて、都議会では臨時会が開催された。最大の関心事は築地市場の豊洲市場への移転問題だった。9月1日、中央卸売市場が属する経済港湾委員会に、千代田区選出の樋口都議(当時)が初めて登壇することになった。前日午前、質問骨子が樋口都議からメールで送られてきた。市場移転問題全般を箇条書きで綴った素案は迫力に欠けるつまらない代物だった。
ところが、同日夜に質問内容は一変する。樋口都議から送られてきた質問文の最新版は、午前中の箇条書きレベルとはまったく次元の異なる完成度の高いものだった。文量もA4で5ページに及んでいた。もちろん、樋口都議が頑張ったと見ることもできるが、目を疑ったのはその内容だった。冒頭から千客万来施設について受託事業者を糾弾する法律論が展開されていたのである。
千客万来施設とは豊洲市場の隣接地に設置予定のホテルやレストラン街を有するにぎわい施設のことである。当時、この施設の受託事業者が、小池知事が言い出した「築地に食のテーマパークをつくる」発言を、競合施設ができてしまうと問題視し、事業からの撤退や訴訟も辞さないと態度を硬化させていた。
撤退となれば、豊洲市場の地元区である江東区に都が約束したにぎわい施設の設置が宙に浮いてしまう。政治的にも複雑に絡み合った問題になっていた。
質問の肝は、都に対して損害賠償を請求するという受託者の主張は無効であり、法律的に何ら問題はなく、都に責任は全くないという点であった。この主張は当選直後の樋口都議本人のものというより、小池都政発足以来、特別顧問として市場移転問題をかき回してきたある人物の主張そのものだった。
その人物は事あるごとに小池知事が不利になる状況を回避するため奔走していた。千客万来施設の問題も例外ではなかった。
9月1日、樋口都議は経済港湾委員会の場で、受託事業者が損害賠償を要求してきても都側に賠償責任はないと強く主張した。当時、小池知事と敵対していた都議会自民党からは雨あられのヤジが飛んだ。
▽メールの情報欄に記されていた名前
臨時会閉会の翌日、中央卸売市場(都庁にある局のひとつ)の幹部職員が挨拶方々、都ファの経済港湾委員会伊藤委員長(当時)を訪ねた。ところが、臨時会が終了しリラックスしているはずの委員長の様子がおかしい。「由々しき事態だ・・・・」と深刻な表情を浮かべている。
委員長は「あるマスコミが、樋口都議の質問文のメールの情報欄に樋口都議とは違う作成者の名前が記載されていると言ってきている」という。樋口都議の質問文は当人ではなく別の人物が作成したものではないかとマスコミから詰め寄られているということだった。中央卸売市場の広報担当にも複数のマスコミか同趣旨の問い合わせが入ってきた。ただ、事実確認はとれていないようだった。
情報欄に記された名前の人物は、2017年9月初旬時点において都ファの関係者ではない。小池知事の最側近である。ことの真相次第では、知事サイドによる都議会操作ともいえる事態になりかねない。伊藤委員長の狼狽ぶりは、いわゆる「やらせ質問」への発展を恐れていることを物語っていた。
同日正午過ぎ、中央卸売市場による定例の知事説明が知事執務室行われた。市場長はあいにく別件で出張しており、私と担当部長で対応した。私は知事の真横に座った。資料説明は知事無反応のうちに淡々と進み、何ごともなく終了。その帰り際だった。席を立とうとした私は知事に呼び止められた。
「先週は議会、ご苦労様でした」
ひとこと委員会質疑へのねぎらいの言葉があった。私はにこりとうなづいた。
「ところで・・・・」と知事は言葉をつないだ。私は中腰のままだった。次の瞬間、知事は態度を豹変させた。
「樋口都議の質問文の件、あれは情報漏洩ですからっ」
知事執務室の空気が一瞬にして凍りついた。これまでに経験したことがないほどの詰問調だった。周りの出席者は何のことかさっぱりわからない様子だったが、知事の怒りの総量が尋常でないことは「情報漏洩」の一言で理解できた。私はとっさに「はっ、わかりました」と小声で生返事を返し、それ以上どう反応することもできずによたよたと執務室を出た。
▽本物の怒り
情報漏洩。なかなか聞けない露骨な言葉だ。小池知事が内に秘めたあの怒りは本物だった。
市場移転問題を巡っては、それまでにも情報漏れやリークまがいのことは何度も起きていた。そのたびに、知事から小言や嫌味を言われたことは数え切れない。しかし、今回だけは状況が違った。
質問文に関する情報は樋口都議と中央卸売市場の間でしか流通していない。樋口都議側が自分に不利な情報を流すはずはない。となれば、今回だけは情報の出所は中央卸売市場しか考えられないことになってしまう。完全に真犯人扱いである。
だが、どこか腑に落ちない。なぜ中央卸売市場は小池知事から責められなければいけないのか? 都ファが激怒するのならまだわかる(実際、このあと激怒した)。「情報漏洩」(があったとしたら、それ)は、あくまでも中央卸売市場と都議会の会派の間の問題である。
つまり、知事は都ファの実質的な代表(都議選後に代表の座を野田特別顧問に譲り自らは特別顧問となっていた)として怒っているということになる。
結局、知事にとっては都ファのことも行政サイドのことも区別が付いていないのだ。立場の違いなどお構いなしで、二元代表制の両方のトップとして2倍のエネルギーをもって怒っているということだった。
さらに言えば、小池知事の脳裏には、石原知事の右腕だった浜渦副知事が都議会での「やらせ質問」によって辞任に追いやられた事件のことがよぎっていたのかもしれなかった。
▽トップ独占の危険性
以降、都ファからは矢の催促で犯人探しの要求があった。中央卸売市場では急ぎ局内関係者全員にヒアリングを実施し、「情報漏洩」の事実がなかったことを確認したうえで都ファに丁寧に説明・報告したが、怒りと疑念は収まらなかった。裏返せば、痛いところを突かれたことを認めたようなものであった。
その後、「都庁情報漏洩」事件は世間に知られることもなく、また、施設事業者は態度を硬化させたものの撤退や訴訟までには至らずに、事件そのものはうやむやになった。
だが、事の重大性は何ら変わっていなかった。地方自治における二元代表制とは、それぞれ選挙によって選出された議員と首長(知事や市長など)が相互に緊張感を持って牽制し合うことで良好な自治が運営されるというものである。
ところが、小池知事が行政のトップと都議会最大会派の実質的なトップを独占することにより、自分の意のままに都議会の質疑をコントロールできてしまう危険性が生じたのである。
いったんは収束したかに見えた都庁「情報漏洩」事件だったが、半年後に再燃することになる。(後編に続く)
小池知事は言い放った「あれは情報漏えいですから」 |
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【都政を考える・豊洲移転「情報漏えい」事件(上)】いったん消された「やらせ」の事実
公開日:
(政治)
4年前の都議選で樋口氏を応援する小池知事=Reuters
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澤 章(都政ウォッチャー)
1958年、長崎生まれ。一橋大学経済学部卒、1986年、東京都庁入都。総務局人事部人事課長、知事本局計画調整部長、中央卸売市場次長、選挙管理委員会事務局長などを歴任。(公)東京都環境公社前理事長。2020年3月に『築地と豊洲「市場移転問題」という名のブラックボックスを開封する』(都政新報社)を上梓。著書に『軍艦防波堤へ』(栄光出版社)、『ワン・ディケイド・ボーイ』(パレードブックス)、最新作に「ハダカの東京都庁」(文藝春秋)、「自治体係長のきほん 係長スイッチ」(公職研)。
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