自衛隊の創設など、過去にも解釈改憲はあったが、今回はどこが違うのかうかがった。(聞き手:ニュースソクラ編集長・土屋直也)
―― 集団的自衛権の行使を前提にした安保法制は、「解釈改憲」だといわれています。今までも解釈改憲はあったと思いますが、今回の「解釈改憲」は、今までとどう違うのですか?
今回のは本当にまずいのだけれど、一般的には、まだそれほど危機感が高まっていませんね。
最初の解釈改憲といわれているのは、自衛隊の設置です。
憲法制定直後は、吉田茂という癇癪持ちの総理大臣が、日本国憲法9条は侵略と自衛の区別なく、一切の軍事力を放棄するものだと言いました。でも、1928年のパリ不戦条約以来、「国際紛争を解決する手段として」(9条1項)の戦争というのは、「侵略」戦争のことを指します。独立主権国家としては、どの国も、自衛戦争は放棄できないのです。
日本国権法はそういう国際法の常識を知っていたアメリカと日本の法律家が作ったものです。だから、自衛戦争の放棄は憲法9条の中でも考えられていないのです。
だけれども、敗戦直後の日本は、やっと得た平和を讃えていましたし、また日本人というのは好戦的な民族だと当時、考えられていましたから、日本人には自衛戦争は放棄されていない、ということをあえていわないでおこう、というアメリカ側の動機があったのです。
しかし当時すでに進行していた冷戦が、朝鮮半島で火を吹いてしまった。アメリカ軍が朝鮮半島に出ていかなければならなくなると、日本が手薄になって、そこにソ連が下りてくる危機感がアメリカ側にはあった。そのときになって、なんとか日本が自分で「戸締り」ができるように、と本来の憲法の解釈に立ち戻って、第二の警察としての自衛隊を作って、国内の警備をさせた。
だから、自衛隊設置をめぐるこの憲法解釈の変更とは、憲法が本来持っていた意味に立ち返っているだけなんです。
次に、イラク特措法、それからそれに続くアフガン(インド洋)への自衛隊の派遣のことを考えてみましょう。現行の憲法下では、あの派遣はできないように見える。でもやってしまった。だから、あれも一種の解釈改憲だといわれるのだけれど、どうなのか。
あれは違憲なんですよ。イラクのサマワの陸上自衛隊による人道支援はいいとして、航空自衛隊を派遣して、アメリカ軍の攻撃の送迎をやっていた。これは明白な戦争参加です。銀行強盗に行く人の運転、送迎をしたら、運転した人も共犯なのと同じでね。ぼくはそのとき、すでに怒っていた。
アフガン戦争のとき、アメリカ軍がインド洋で海上封鎖したけれども、海上封鎖というのは敵の物資と人の出入りを禁止する戦闘行為です。それを切れ目なくアメリカ軍が行えるように、自衛隊がガソリンと食料と水を提供した。これも自衛隊による戦争参加ですよ。これも憲法違反で、当時から私は怒っていました。
では今回はどこが違うのか、というと、集団的自衛権と後方支援と称して、「海外で」他国の戦争(戦闘)に参加する可能性を開くという、あからさまな憲法9条の違反であって、これまでとは段階が全く違う。今回は9条違反をごまかしてすらいないんです。これは完全な憲法破壊です。
今現在、初めて露骨に憲法が政府によって無視された、ということが起こっています。ここで戦わなければ、憲法学者とは言えないでしょう。