とっちゃん(俊夫さん)はとにかく、明るくてよく笑う人でした。くよくよしない、曲がったことが大嫌いな太陽のような人。出会いは1994年12月3日。私が岡山市の薬局に働いていたとき。とっちゃんは、近畿財務局の和歌山財務事務所に勤めていました。「変わり者だけど会ってみない?」。とっちゃんが熱中していた書道教室で知り合った、共通の友達を通じて倉敷市のイタリアンレストランで会ったのが初めてでした。
何を話したか細かくは思い出せません。でも、話が弾んでおかしくて、お互いよく笑ったのは覚えています。帰り際、とっちゃんは「うん、いいな。この人は大阪にぴったりだ。連れて行きたいな」とおどけて話していました。その後、何度か電話をして12月29日に2回目のデート。倉敷の割烹のお店に行った後、駅前のパブに寄り、帰り際に「結婚しよう」とプロポーズされました。
とっちゃんとの会話は面白くて話が尽きませんでした。なにより、底抜けに明るい、誠実そうな人柄を見て、「この人となら幸せになれるかな」と直感しました。けれど、少し早すぎるのですぐに受けるのもどうかと思いまして。「ちょっと考えさせて下さい」と伝えました。
12月31日に電話で「会って言いたいので年明けに会えますか」と返事をして。翌年1月3日に正式に「よろしくお願いします」と伝えました。そのとき、すごく喜んでくれて。1月6日には両家の間で釣書を交わしました。早いですか?でも自然な流れでした。
結婚式は6月18日に、倉敷市の旅館広間で披露宴をあげました。お色直しを含めて3回。ちょっぴり恥ずかしかったのですが、私は成人式の時に母が買ってくれた黒の振り袖で。とっちゃんは大好きなカラーのスーツを着ました。とっちゃんは、お母様がお仕立ての仕事をしていた関係で、スーツがとにかく好きでした。ネクタイとチーフを合わせるなど、お洒落でした。
――多趣味の俊夫さんが心酔していた一人が建築家の安藤忠雄さんだった。家の本棚には、安藤さんの建築の写真などの本が数多く並ぶ。高梁市成羽美術館など、全国にある安藤さんが設計した建物を見に雅子さんと2人でよく出かけたという。安藤さんの講演会にも何度も足を運び、安藤さんが東日本大震災の遺児支援のために立ち上げた「桃・柿育英会」にも年一回、自動引き落としで寄付をしていたという。俊夫さんは「安藤さんは高卒。でも、独学で一級建築士の資格を取得した。高卒で東大教授になったなんて人は安藤さんくらいだ。本当にすごい人や」と語っていたという。
とっちゃんは高校卒業後、下の弟を大学に行かせるために国鉄に入社しました。家にあまりお金がなかった自分と安藤さんをどこか重ね合わせていたのかもしれません。その後、立命館大学の夜間コースに進学し、大学に近い近畿財務局京都財務事務所に異動させてもらいました。立命館大での4年はとっちゃんにとって単なる学びを超えて、精神的な支柱を形づくる上でも貴重な時期だったと思います。

安藤忠雄さん設計の高梁市成羽美術館の俊夫さん
近畿財務局の中でも、納得がいかないと議論をして筋を通そうとする人だったようですから、周囲からは「扱いづらいやつ」と思われていたかもしれません。でも、不器用だけど自分に誠実で正直なとっちゃんを私はずっと尊敬していました。大人になっても、そんな風に自分の信念を貫ける人って、そういないと思います。人にどう思われるよりも、自分に誠実に生きる。書道に熱中するのも、落語や美術、コンサートを堪能するのも、「人間が生きるとはなんなのか」「何のために自分は生きるのか」という気構えにつながっていたように思います。
――とっちゃんとの思い出や、改ざん後に変わっていく姿を記した雅子さんの著書「私は真実が知りたい」(文藝春秋)の帯には、雅子さんが描いたとっちゃんの顔と並んで、安倍晋三首相、麻生太郎財務相、佐川宣寿元国税庁長官の似顔絵も載っている。似顔絵の安倍首相らには黒目がない。雅子さんはその意味について「どこを見ているんですか。どうかこちらを、私たち国民の方を見てください」という思いを込めたと話す。

「改ざんが早く発覚していたら、とっちゃんは死なないで済んだのでは」と聞かれたことがあります。でも、改ざん後に苦しむとっちゃんを見ていて、私はそんな気がしないのです。自分がやったことに対して何よりも自分自身が、一番後悔していました。人にどう思われるかより、自分自身がどう生きるかを常に考えていました。財務省理財局の命令とはいえ、人の道に背いた事をした自分を、最期まで許せなかったのではないかと思います。
――第一回口頭弁論を前に、被告の国と佐川氏が答弁書を提出した。関係者によると、どちらも争う姿勢を示しているが、佐川氏側は「国家公務員がその職務を行うにつき、故意または過失によって違法に他人に損害を与えた場合、公務員個人はその賠償の責任を負うものでない」などと、最高裁の判例を用いて棄却を主張しているという。だが、財務省や佐川氏が指示した改ざんは、そもそも「国家公務員の職務」に当たると言えるのだろうか。雅子さんは裁判にこんな期待を寄せる。
国の主張を聞くと、改ざんの首謀者は佐川氏と断定しているようにも見えます。しかし、その先はないのでしょうか。佐川氏が何度も執拗に、現場に改ざんを求めたのはなぜでしょうか。佐川氏には、その動機を正直に話して欲しいのです。彼が改ざんを近畿財務局の職員たちに求めた動機と経緯の真相を話すことでしか、天国にいるとっちゃんは報われないのですから。