SUBARU(スバル)は「2021年6月末にAWD(All-Wheel Drive:全輪駆動)車の累計生産台数が2000万台を達成した」と発表した。AWDとは一般に4WDと呼ばれる4輪駆動車のことだ。
スバルは1972年9月に乗用タイプの「スバルレオーネ4WDエステートバン」を発売し、約半世紀で2000万台を達成した。
単純に4WD車の累積生産台数を比較すれば、トヨタ自動車の方が多いかもしれないが、今日では当たり前の「4WD乗用車」を世界に先駆けて発売したのは実はスバルなのだ。年間生産台数が100万台前後のスバルにとって、2000万台達成は決して小さくない数字だろう。
1972年当時、4WDは「三菱ジープ」や「トヨタランドクルーザー」に代表されるようなオフロード車しかなかった。悪路走破性を重視したオフロード車は車高が高く、フレーム付きのボディで頑丈だが鈍重だった。燃費は悪く、高速道路は不得意だった。
これに対して、スバルは乗用車の「レオーネ」をベースに4WDを開発し、居住性や高速性能は乗用車と変わらなかった。75年には「世界初の4WDセダン」となる「レオーネ4WDセダン」を発売し、降雪地を中心に日本国内だけでなく、北米市場でも人気となった。
スバルが今日の「4WD乗用車」のパイオニアであることは間違いないが、70年代のレオーネ4WDは高速安定性よりも雪道の走りやすさや悪路走破性をアピールしており、武骨なイメージが強かった。
そんな4WDのイメージを大きく変えたのが1980年に登場した独アウディのクワトロだ。当時のスバルが通常は前輪駆動(FF)で走行し、必要に応じて4WDに切り替えるパートタイム4WDだったのに対し、アウディクワトロはセンターデフを有し、常時4WDで走行するフルタイム4WDだった。
アウディは悪路走破性だけでなく、ハイパワーを効率よく4輪に伝える手段として4WDを採用した。高出力エンジンを搭載したクワトロは世界ラリー選手権で優勝するなどモータースポーツでも活躍し、4WDが高速安定性に優れた新時代の高性能車であることを世界に印象づけた。
スバルもレオーネ4WDでモータースポーツに参戦していたが、アウディクワトロが登場してからは悪路走破性よりも4WDの高速安定性をアピールするようになった。
実際に4WDのメリットは雪道だけでなく、雨の高速道路を走ればよくわかる。4輪に駆動力を配分する4WDは加速時だけでなく、アクセルを離したエンジンブレーキの状態でも制動力が4輪に働く。雨の高速道路で急ブレーキをかけたような場合でも、4WDの方が2WDよりも短い距離で安定して停止できるのはこのためだ。もちろん、雪道では発進、制動とも4WDのメリットが最大限、発揮される。
アウディクワトロの登場は、世界の自動車メーカーに刺激を与え、日本でもトヨタ、三菱自動車、マツダが80年代に「4WD乗用車」を発売。とりわけマツダは85年発売の「ファミリア4WD」が日本初のフルタイム4WDとなり、86年発売のスバルをリードした。
フルタイム4WDの発売でスバルはマツダの後塵を拝したが、それでもスバルは4WDの研究開発で他社の追随を許さなかった。スバルは89年発売の「レガシィ」がヒットし、続く「インプレッサ」「フォレスター」では4WDが“標準装備”となった。今や「世界販売に占めるAWDの割合が98%に上る」という、事実上の4WD専業メーカーとなっている。
現在では日本の軽自動車からポルシェ、メルセデス・ベンツのような海外のスポーツカーや高級車まで4WDの乗用車は珍しくなくなった。日本ではトヨタ自動車はじめ乗用車の全8メーカーが2WD(2輪駆動)だけでなく4WDを設定している。
今では当たり前となった各国の「4WD乗用車」だが、元をたどれば72年発売のスバルレオーネ4WDエステートバンに遡る。スバルの「4WD2000万台達成」のニュースは、そんな記憶を思い起こさせてくれた。
やがてエンジン車が消え、電気自動車や燃料電池車となっても、2WDに比べた4WDのメリットは変わらない。駆動力が電気モーターとなれば、4輪の制御はエンジン駆動より精密になり、ドライバーが受ける恩恵はこれまで以上に高まるに違いない。