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大震災「秘話」 北方領土で関係悪化のなかロシアから支援

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【世界を読み解く】160人が石巻市周辺で100超の遺体を収容

公開日: 2021/03/11 (ワールド, ソサエティ)

東日本大震災にかけつけたロシアの救助隊=ロシア非常事態省HPから 東日本大震災にかけつけたロシアの救助隊=ロシア非常事態省HPから

井出 敬二 (ニュースソクラ コラムニスト)

 10年前の3月11日、私はモスクワの日本大使館で働いていた。モスクワでもその日の昼前から(時差があるので)テレビで大震災と津波の映像が繰り返し流され、大災害が伝えられていた。

 11日午後、ロシア外務省から日本大使館に、お見舞いとロシア救助チーム派遣の申し出の電話がかかってきた。その時既に、ロシア非常事態省は日本への救助チーム派遣の準備を終えていた。

 翌12日は土曜だったが、プーチン首相(当時)は会議を開き、石油、天然ガスを日本に融通するようにと指示を出した。この会議の模様はテレビで放送された。

 日本は諸外国・地域から様々な支援を受けた。当時何が起きたかいろいろ記憶しておくべきことがあると思う。

▼ロシア非常事態省の救助チームの派遣

 当時の日露関係はあまり良い状況ではなかった。前年の11月にメドベージェフ大統領(当時)が北方領土を訪問し、これに対して2月7日の北方領土の日に在日本ロシア大使館前で日本の抗議者がロシア国旗を侮辱する行為を行ったとして、ロシア側は怒っていた。

 2月8日に私はロシア外務省に呼び出され、抗議を受けた(この件は当時の日本の新聞でも報じられた)。その余波はまだ収まっていなかった。

 しかし3月11日のロシア外務省幹部から日本大使館への電話(私が受けた)は、大災害に暖かいお見舞いを伝えるとともに、日本にロシア非常事態省の特別機と救助チームを派遣し、生存者の捜索を行うことを提案するものであった。

 ロシア非常事態省のウェブサイトには、3月11日15時09分(モスクワ時間)時点で、「ロシア非常事態省は日本に支援を直ちに提供する用意ができている」との記事が掲載されていた。

 日本大使館はすぐ東京にロシアからの提案を伝えた。

 日本では、ロシアからの救助チームを受け入れて生存者捜索の活動をしてもらうための十分な条件が整っているのか等の検討も行ったのだろう。たとえばロシア非常事態省は自前の特別車両を日本に持ち込むが、それらを日本の道路で運転することは、運転免許証、車両の規格などに鑑みてどうなのか・・・。日本は、米国と豪州とは様々な事前の合意を結んでいるが、ロシアとはそのような合意はない。

 しかしなにぶん一刻を争う事態である。翌12日、東京からロシア非常事態省の救助チームを受入れるとの連絡がきて、日本大使館からロシア外務省にその旨伝えた。

 日本からは、ロシアの非常事態省の隊員に日本国内移動の手段、食糧、航空機と車両の燃料などを提供することは困難なので、すべてロシア側が持参してほしいと伝え、ロシア側はそれを了解した。

 被災地でロシア側がスムーズに活動できるように、日本の外務省職員でロシア語ができる若手を通訳などの業務のために同行させることにした。被災地でどれほど過酷な業務になるのか分からなかったので、志願者を募った。

 13日夕方には、非常事態省の特別機としてモスクワ郊外からイリューシン76、ハバロフスクの飛行場からヘリコプターMi-26が救助チーム隊員や資機材を載せて日本に向けて飛び立った。

 後で聞いたところでは、非常事態省の救助チームはいつでも飛び立てるように飛行場のそばの施設に居住しているということであった。そうしてロシア国内および世界における非常事態に備えている。指示を受ければ当日あるいは翌日には出発できるのだ。この点は学ぶべきものがある。

 16日にはハバロフスクから非常事態省の特別機アントノフ74が日本に飛び立った。

 結局ロシア非常事態省の救助チーム総勢約160人が19日まで日本に滞在し、宮城県石巻市周辺を中心に、倒壊した家屋などで生存者を探し続けた。

 ご遺体が道路から離れて搬送が困難な場所で発見された場合には、「ご遺体をこのままにはしておけない」として、困難をおして収容し搬送してくれた。ロシアの救助チームは100体以上のご遺体を収容してくれた。

 タンクが壊れ、人体にとって危険な冷凍用アンモニア溶液が垂れ流しになっているのを見て、危険を冒して手作業で修理してくれた。

 ロシア非常事態省の特別機は、毛布17200枚、水3.6トンも運んでくれた。

 結局生存者は発見できなかったが、ロシアの救助チームの活動は被災者の人たちにも大きな印象を残した。

 ロシアの救助チームの人たちは、日本人が秩序だって行動していたことに強い印象を受けたと話していた。

▼プーチン首相(当時)の素早い反応

 大震災の翌日の3月12日(土曜であった)の夜、モスクワの家でテレビのニュースを見ていて驚いた。プーチン首相(当時)が会議をしている様子が映し出され、そこでセーチン副首相(当時)らを相手に、ロシアから日本に石油、天然ガスを融通するようにと指示を出していたのであった。

 またプーチン首相は3月19日に極東サハリン州に飛び、日本からの放射能汚染被害を心配していたサハリン住民を安心させるとともに、サハリン州のエネルギー開発と輸出を進めるようにと指示を出した。

 チェルノブイリ原子力発電事故を経験した旧ソ連の人たちは、放射能被害に極めて敏感なのだ。

 もちろんプーチン首相は、自国のエネルギー産業発展のこともしっかり考えていた。日本での非常事態に対して、何をすべきかすぐに考え実行したのだ。

▼経済停滞市からも多くの市民の寄付

 日本大使館にはメドベージェフ大統領夫人、ラヴロフ外相、そして多くの普通のロシア人達が見舞いの気持ちを伝えに来てくれた。

 モスクワ、サンクトペテルブルグ、その他の地方では、日本を支援するためのチャリティ・コンサートも数多く開催された。

 私にも様々なことが記憶に残っている。

 ある日の朝10時位に二人のロシア人女性が自動車で日本大使館にやってきた。彼女はイワノヴォ州という地方のある市の市長さんと市議会議長さんであった。

 この二人は、その市の市民達がお金を出し合って日本の被災者への寄付を集め、その日の朝5時に自動車でイワノヴォ州を出発してモスクワの日本大使館にもってきてくれたのであった。その市で寄付をした人達のリストも添えられており、そこには「ペトロフさんXXルーブル、ダニロフさんYYルーブル・・・」と沢山の人の名前と寄付金額が書いてあった。

 イワノヴォ州はソ連時代は繊維産業で有名であったが、ソ連邦崩壊後は繊維産業も衰退し、地域経済全体が沈滞していた。そのような所から、東日本大震災の被災者への同情から寄付金を集めてもってきてくれたのであった。

 著名な指揮者のゲルギエフ氏が犠牲者追悼のコンサートで指揮をし、私が舞台上で礼を伝えたこともあった。

 あるロシア人からはまとまった金額の寄付の申し出があり、調整した結果、宮城県石巻市の石ノ森章太郎氏の美術館(「石ノ森萬画館」)の再建に役立ててもらうことになった。

 私は大震災後、石ノ森萬画館に行ったことがあるが、美術館の人からロシア人からの支援に感謝しているとの話を聞くことができた。

▼チェルノブイリ原子力発電所事故への支援の記憶

 今回のこの原稿を書くためにロシア非常事態省のホームページを見て、日本関連の記事を調べたところ、30年前のチェルノブイリ原子力事故に関しての日本・ソ連邦(当時はまだソ連邦だった)間の協力文書も掲載されているのを見つけた。

 この文書は「チェルノブイリ原子力発電所事故の住民の健康に対する影響を緩和するための日本国とソ連邦との間の協力に関する覚書き」というものだ。

 当時私は外務省のソ連課(当時そういう名前であった)で課長補佐として働いており、ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長の日本訪問(1991年4月)のために働いていた。4月18日にゴルバチョフ書記長訪日結果を伝える共同声明が発表された際に、この「覚書き」も締結され公表されたのだった。

 チェルノブイリ原発事故は1986年4月26日に起きたが、ソ連は途上国ではなかったので、日本政府からの直接の援助は出さなかった。しかし1991年にはソ連の経済困難がひどくなり、また被害の状況もわかってきて、日本政府としても支援をしようということで、国際機関に拠出して支援することとした。

 結局世界保健機関(WHO)に約26億円を拠出することができた。当時、私も上司、同僚と共に大蔵省(当時)主計局への説明に足を運んだ。

 日本はその後もチェルノブイリ原発事故の対応のために様々な支援を行った。

 ロシア非常事態省は、この時の日本の協力も記憶し、日本人が困った時にすぐに行動してくれたのであった。
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井出 敬二(ニュースソクラ コラムニスト)
1957年生まれ。1980年東大経済学部卒、外務省入省。米国国防省語学学校、ハーバード大学ロシア研究センター、モスクワ大学文学部でロシア語、ロシア政治を学ぶ。ロシア国立外交アカデミー修士(国際関係論)。外務本省、モスクワ、北京の日本大使館、OECD代表部勤務。駐クロアチア大使、国際テロ協力・組織犯罪協力担当大使、北極担当大使、国際貿易・経済担当大使(日本政府代表)を歴任。2020年外務省退職。著書に『中国のマスコミとの付き合い方―現役外交官第一線からの報告』(日本僑報社)、『パブリック・ディプロマシー―「世論の時代」の外交戦略』(PHP研究所、共著)、『<中露国境>交渉史~国境紛争はいかに決着したのか?』(作品)、”Emerging Legal Orders inthe Arctic - The Role of Non-Arctic Actors”(Routledge、共著)など。編訳に『極東に生きたテュルク・タタール人―発見された満州のタタール語新聞』(出版に向け準備中)
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