世界では既に1億人以上が接種を受けたといわれ、その効果や副反応・副作用も次第に報告され始めています。
我が国でも医療関係者から接種が始まっていますが、まだ国民に広く接種できる日程までは明らかになっていません。
それにしても、通常は数年かかるワクチン開発が、よくもこの短期間に、それも世界でも初めての遺伝子ワクチンが開発され実用化に至ったものだと驚かされます。
多くの専門家も、事態の緊急性などを考えればこれまでの一般的なワクチとよりは早く進むだろうとは考えていたものの、少なくともあと1年程度は必要とみていたのではないでしょうか。
我が国での承認や接種が欧米などに比べて遅れていることについては、以前の本稿でも触れたように、我が国特有のワクチンに関する残念な歴史があり、国民や政府、製薬会社も含めて慎重になっていたという状況があります。
また、我が国では人口当たりの感染者、死者数が欧米の数十分の一と少ない事も治験の進捗や輸入の確保にもマイナスに影響していると思われます。
それはそれとしても欧米の専門家たちも、当初はこの遺伝子ワクチンにやや慎重な構えだったものが、途中からは積極姿勢に転じたように見えたのは意外でした。
私自身はワクチンの専門家というわけではありませんが、遺伝子ワクチンという世界初の試みを、それも一気にかつてないほど膨大な数の接種を進めるというようなことがどうして可能なのだろうかと不思議でした。
そこで様々な記事や解説、論文などを読んで、私として個人的には納得できたことがあります。
まず、感染症のワクチン開発は製薬会社にとってはハイリスクだということです。
その理由は、流行が広がり開発に取り掛かっても、これまでの様に何年もかかったのでは出来上がった時には既に流行が終わってしまい、インフルエンザの様に毎年流行するものでもない限り使われずに、数百億円にも及ぶ開発費の回収ができないということがあります。この点は膨大な患者数が毎年生じ、増加傾向にあるがんとは大きく異なる点です。
一方、今回のワクチンで注目を浴びた遺伝情報の仲介物質であるmRNAは細胞の中に投与されれば目的のたんぱく質を作らせることから、その治療への応用は既に20年くらい前から研究されていました。
しかし、mRNAは分解されやすいので、どのように安定して効率的に細胞内に持ち込み作用させるのかという方法や、mRNA自体が免疫反応を起こしやすいことをどう抑えるのかということ、また中長期的にどのような影響があるのかないのかなどが課題でした。
こうしたことも含め、その主な応用分野としては、がんと感染症が主要な研究対象となっており、べンチャーなどの製薬企業が取り組んでいました。
このうち、特にがんについてはがん免疫療法として、がんの特異的な抗原(体に異物と認識される個々の患者に固有の物質:ネオアンチゲン)を細胞に作らせ、これに対する免疫作用でがん細胞を攻撃する方法などが研究開発され始めており、既に第2相(比較的少数の患者に使用して有効性、安全性、使用量などを見る段階)までは治験が進んでおり、手応えを得ていたと思われます。
これらの研究開発を進めていたのが、ドイツのビオンテック社(ファイザー)、米国のモデルナ社などですが、この技術をベースに既に目的とする抗原(スパイク蛋白とその遺伝子配列情報)が明らかになっている新型コロナウイルスのワクチンを作ることは、それほど困難ではなかったと思われます。
それにしても、本格的な臨床応用を控えて、中長期的な影響が未知の治療法ですから、大きな不安はあったのだろうと思います。
これまでのところ想定された以外の大きな副反応や副作用は見られず、順調に経過しているように思われます。
今回のmRNAワクチンは、ウイルスが変異してこれまでのものが効かなくなった場合には、変異の遺伝子情報が分かれば極めて短時間に新たなワクチンの作成ができる利点があります。
また、mRNAはDNA製剤と異なり、細胞の遺伝情報に組み込まれることはないとされているため、中長期的な影響は出にくいとされています。
生体内でのmRNAの保護と細胞への取り込みについては、脂質のマイクロカプセルが使われていますが、これに対するアレルギー反応が見られる可能性はあるものの、運搬体としてウイルスなどを使う方法に比べて安心感があります。
いずれにしろ、遺伝子ワクチンがそれもこれだけ膨大な数使われたことは初めてです。その結果、きわめて多くの知見が得られることとなり、がん治療を含め、創薬のパラダイムシフトにさえつながる可能性のあるこの分野の今後の大きな発展が期待されます。その意味でも今回のワクチンに関する状況の推移と今後の成果に注目したいと思います。
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【医学者の眼】ガン免疫療法の米独ベンチャーの基礎技術を応用
公開日:
(ソサエティ)
Reuters
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中島 正治(医師、医学博士、元厚労省局長)
1951年生。76年東大医学部卒。外科診療、医用工学研究を経て、86年厚生省入省。医政局医事課長、大臣官房審議官(医政局、保険局)、健康局長で06年退官。同年、社会保険診療報酬支払基金理事、12年3月まで同特別医療顧問。診療、研究ばかりか行政の経験がある医師はめずらしい。
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