すでに1年半になる新型コロナ問題は、ワクチン接種が進んだことで、次のステップへと進みつつあります。
我が国のワクチンについては、接種のスピードが遅い、そもそもの認可と製剤の確保が遅れた、接種手続きの手際が悪いなど、ジャーナリズムや有識者と言われる人々の間でも様々な批判がなされています。
規制改革を担当された大臣経験者の方からは「総理は早く認可しろと言ったが、厚労省が技官を中心に認可をしなかった」といった発言が飛び出したりしました。族議員と官僚と既得権益者による「鉄の三角形」が改革を阻んでいるといった論陣を張る方もほかにも少なくないように感じます。
私はこうした発言に、専門性を軽んじた誤解があり、いくつかの懸念を感じます。
まず、我が国の接種のスピードは非難されるべきほど遅いのでしょうか。
たしかに欧米先進国などに比べて、現時点で遅れているのはその通りです。しかし、最近の状況は1日100万人接種を達成したとされ、職域接種も始まるなど急速に進んでおり、他国にも勝る勢いでキャッチアップが進んでいます。
今回のワクチンは、当初は従来法で開発が進むと予想されていたため、さらに1,2年かかるものと思われていましたが、mRNAやDNAを用いた遺伝子ワクチンなどが開発され、その効果が予想以上に良かったため、各国で急遽認可されることとなったものです。
今となっては、これらの遺伝子ワクチンは、数多くのワクチンの中でもこれまでにないほど効果が高く、副反応も許容できる範囲であることがこれまでの接種の結果で分かっています。しかし、実用化されたのは今回が世界的にも初めてであり、当初は欧米でも多くの専門家が懐疑的で、慎重な検討を要するという見方でした。
一方、コロナ・パンデミックは想定を超える速度で拡散し、特に欧米先進諸国では夥しい被害をもたらしました。
その結果、欧米諸国は本当に必要に迫られ、緊急でこれらワクチンを認可することになったのです。感染者数が欧米に比べ圧倒的に少なかった日本は緊急度は相対的には低かった面があります。日本と同様に台湾、韓国がワクチン接種率が低いのも、感染拡大が相対的に軽度だった面があるからではないでしょうか。
認可を急いだ欧米にしても、当初は特に副反応について懐疑的な意見が多くみられました。このため、医療関係者への接種から始めるなど迅速な対処ができる範囲から進められたほどだったのです。
我が国でも、様々な問題はあるにせよ早急にその評価・審査を進め、可能であれば認可、輸入に進む準備を進めていたと思われます。ただ、我が国では治験を進めるうえで患者数が欧米に比べて非常に少ないという問題がありました。
一部には、欧米で治験は済んでいるので我が国で再度行う必要はないとの意見もありますが、現時点では世界の先進国で他国の結果をそのまま利用して認可している国は、ほぼありません。
ワクチンは治療薬と異なり、健康人に打つものですから、効果と副反応を慎重に見定める必要があります。感染症についても人種差などもあり得ることから、基本的には各国規制当局による審査が行われます。(ICMRA(薬事規制当局国際連携組織)の医療従事者向けステイトメント「COVID-19ワクチンの安全性及び有効性に関する規制方法」 参照)
新型コロナウイルスの流行がアジアでは欧米ほどではなかったのですから、人種差に目をつぶるのはリスクがありました。
ワクチンメーカーも審査が速やかに進むことなどから、感染者が多い国を優先して対応したようです。我が国はそのような悪条件の中で製剤の契約・確保をしなければならなかったと思われます。
今後は集団免疫の獲得を目指して、ワクチンの普及をどこまで速やかに進められるかという段階に来ており、特に若者などにワクチンについての正しい理解と信頼・安心を得ることが重要です。
また、接種すれば終了というわけにはいかず、後日副反応などの問題が明らかになった場合などは、その把握や迅速な製剤の流通停止などの対応が必要な場合もあり、そのためにも適切な手続きと情報提供は不可欠です。
それでは、なぜワクチン接種が進み始めたいまになって、遅れを非難するのでしょうか?
私はその背景には、医療界における規制緩和拡大という目的があるのではないかと思います。かつての規制緩和論争において不完全燃焼だった(と思われる)新自由主義的主張を、コロナ問題を契機に一気に進めようという考えでしょうか。ワクチンの遅れと結びつけて「鉄の三角形」などという発言がでるのを聞くとそうした連想が働いてしまいます。
ワクチン接種の遅れと関連して、いくつもの問題点が指摘されています。たとえば、打ち手などの確保における資格制度による制約、医薬品の許認可の機動性のなさが繰り返し取りざたされました。
さらにはコロナの治療を遅らせた一因として遠隔診療の制限なども言われました。
医師会を頂点とする医療界とその族議員、厚労省(医師、歯科医師、看護師、薬学等の様々な職種が技官として関与しています)が一団となって既得権を擁護しようとしているためにコロナ対策が進まないという、必ずしも事実に基づかないステレオタイプのストーリーを作りたいのではないかとも思われる意見も見られます。
現状の仕組みがベストだとは言えませんので、この機会に将来に向けて医療の在り方を見直すことは良いことだと思いますが、一時的、感情的な意見に流されず、腰を据えてコロナ後のあるべき姿について丁寧な議論をお願いしたいと思います。
コロナ後の医療体制論議、感情論を廃して |
あとで読む |
【医学者の眼】新自由主義者による医療体制攻撃は論拠乏しい
公開日:
(ソサエティ)
CC BY /wuestenigel(cropped)
![]() |
中島 正治(医師、医学博士、元厚労省局長)
1951年生。76年東大医学部卒。外科診療、医用工学研究を経て、86年厚生省入省。医政局医事課長、大臣官房審議官(医政局、保険局)、健康局長で06年退官。同年、社会保険診療報酬支払基金理事、12年3月まで同特別医療顧問。診療、研究ばかりか行政の経験がある医師はめずらしい。
|
![]() |
中島 正治(医師、医学博士、元厚労省局長) の 最新の記事(全て見る)
|