オミクロン株の感染はピークを打った感があるが、医療現場、とくに救急医療は「殺人的忙しさ」が続いている。中部地方の国立大学病院から公立病院に毎週2回「助っ人」で通っている救急・集中治療専門医は、現状をこう語る。
「三大都市圏の救命救急センターの冬の病床使用率は、通常の年でも90%をこえています。脳出血や心筋梗塞、コロナ以外の肺炎、胃腸炎、転倒、低体温症などの患者さんがどんどん運ばれくる。そこにオミクロンですから、すごいことになってます」
「他の病気で運ばれてきた患者さんにもPCR検査をしますが、かなりの割合で陽性が出ます。院内感染がいつ起きても不思議ではない。院内感染を減らすにはワクチン3回目接種に加え、頻回に検査をして陽性者を隔離するのが有効ですが、とてもできる環境にない。皆、疲れ切っています」
過労死ラインの時間外労働の目安は、月20日労働で「80時間」(年間960時間)といわれるが、病院勤務医の間では100時間超えが当たり前。厚生労働省のデータ「病院勤務医の週勤務時間の区分別割合」によると、病院勤務医の11.1%が「脳・心臓疾患の労災認定基準における時間外労働の水準」の2倍の年間1920時間を超えている。さらに1.6%は同水準の3倍の2880時間をオーバーしている。
こうした過重労働を放置すれば、医師の健康が冒され、地域医療が崩壊しかねない。そこで、厚労省は「医師の働き方改革の推進に関する検討会」をこれまでに16回開き、医師の過重労働の改善と向き合ってきた。2024年度から「医師の時間外労働の上限規制」を実施するための議論を積み重ねている。
ところが、いままでいわば「薄利多売」で安いコストの長時間労働を医療提供体制の土台にしてきたものだから、厳正に「36協定(時間外労働は原則、年間360時間)」を医師に適用したら、診療時間が大幅に短縮され、たちまち患者が巷にあふれる。働き方改革による医療崩壊という何が何だか分からない状態に陥ってしまう。
そこで、厚労省は前述の検討会で、「例外」規定を設けるのに躍起となっている。昨年10月14日に公表された「中間とりまとめ」によると、原則としてすべての医療機関で医師の時間外労働時間は「年間960時間以下」を目ざす(A水準)。
ただし、生命の危機に瀕している患者を受け入れる三次救急病院や、年間に救急車1000台以上を受け入れる二次救急病院など地域医療の要となる医療機関で、やむを得ず、A水準を超えなくてはならない場合は、「年間1860時間以下」まで(B水準)。
また大学病院の常勤医が、副業・兼業先での労働時間も合わせるとA水準を超え、地域医療体制の確保から超過勤務が必須とされる場合、すべての時間外労働を「年間1860時間以下」とする(連携B水準)。加えて、研修医など、一定の期間集中的に技能向上のための診療を必要とする医師も、時間外労働を「年間1860時間以下」(C水準)とし、医療機関を特定して例外に入れられる。
こうなってくると、病院勤務医の多くが、現在とさほど変わらない激務を公式に認められるようで、働き方改革の趣旨が骨抜きにされるのではないか、と心配になる。
さらには、開業医が大多数を占める日本医師会も、働き方改革の「例外」づくりに懸命だ。
日本医師会の松本吉郎理事は、2月16日、記者会見を開き、大学病院の産婦人科および周産期母子医療センターの指定を受けた「一般病院の産婦人科」に対する調査結果を報告。医師の偏在や移動距離の長さから、大学病院の産科医が派遣先の一般病院で「宿日直の連続勤務」をせざるを得ない状況を公表した。
松本理事は「今後やむを得ず、産科医療機関への医師の派遣を制限せざるを得ない事態が現実のものとなる可能性が高い」と指摘し、「医師独自の宿日直基準を検討しなければ医療崩壊が始まってしまう」と警鐘を鳴らした。
今後、日医は「宿直週1回、日直月1回」が限度とされる宿日直許可基準を、「宿直月6回、日直月4回」程度とする独自基準を設けるよう病院団体、大学医学部長会議などに働きかけるという。
確かに医師の労働時間に大きな制限をかければ、医療崩壊が起きかねない。暫定的に時間外労働の枠を設けるのは仕方ないだろう。しかし、本質的には、病院勤務医が人間らしい生活を送るために超過労働を減らすには、医師の数を増やすしかない。
その分、医療費もかかるから財源を含めた議論が必要だ。そこを避けていては、日本の医師不足は解消しない。
日本の人口千人当たりの医師数は、2.4人。2017年のOECD(経済協力開発機構)データで他の主要先進国と比べると、ドイツの4.3人、OECD平均の3.5人、米国2.8人よりも少なく、37か国中、なんと33位である。
日医には、医学部新設や医師数増加に対し、「教員確保のために医療現場から医師が引き揚げられる」「教員が分散し、医療教育、ひいては医療の質が下がる」などと反対してきた歴史がある。働き方改革は、その根本的な姿勢を問うている。
医師働き方改革 改善と言うより現状追認 |
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【医療の裏側】時間外減らせば医療崩壊が現実だが
公開日:
(ソサエティ)
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山岡淳一郎(作家)
1959年愛媛県生まれ。作家。「人と時代」「21世紀の公と私」をテーマに近現代史、政治、経済、医療など旺盛に執筆。時事番組の司会、コメンテーターも務める。著書は、『後藤新平 日本の羅針盤となった男』『田中角栄の資源戦争』(草思社)、『気骨 経営者 土光敏夫の闘い』(平凡社)、『逆境を越えて 宅急便の父 小倉昌男伝』(KADOKAWA)、『原発と権力』『長生きしても報われない社会 在宅医療・介護の真実』(ちくま新書)、『勝海舟 歴史を動かす交渉力』(草思社)、『木下サーカス四代記』(東洋経済新報社)、『生きのびるマンション <二つの老い>をこえて』(岩波新書)。2020年1月に『ゴッドドクター 徳田虎雄』(小学館文庫)刊行。『ドキュメント 感染症利権』(ちくま新書)、『コロナ戦記 医療現場と政治の700日』(岩波書店)刊行。
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