「どうしても、長年過ごした地域に戻って暮らしたいのです」。
野高隆一さん(仮名82歳)は、施設の退所理由をそのように話されました。
2年前、野高さんは被災して、心の傷が癒えぬまま施設に入所されました。
ですが、身の回りのことはほとんど自立していたので、直ぐに新しい生活に適応し、表面的には問題なく過ごされていました。
なので、遠方にお住まいのご家族は、野高さんの決断に戸惑いを隠せませんでした。
実は私たちも野高さんの退所に、賛成できかねていました。
というのも、施設にいて食事や入浴のサービスを受けて自立していた野高さんが、果たしてそのサービスなしに、一人で暮らせるのか心配だったのです。
さらに、施設では24時間スタッフが在中しているので、体調が悪くなったり困りごとが生じたりしても安心でしたが、独居生活ではそのようにはいきません。
加えて、再び被災しないとも言えないのです。
だから、昔の生活に戻ることはかなり無理があると考えたのです。
けれども、野高さんの決意は固く、とうとうご家族は根負けをしました。
数日後、野高さんと同じように被災して施設に入所された数井芳子さん(仮名84歳)と、レストランの前でお会いしました。
その日は朝から大雨警報が発令されていたので、私は空を見上げ2年前の豪雨災害を思い出していました。
すると、数井さんは私の心を見透かしたかのように、「警報を聞く度に2年前のことが蘇り、精神的に不安定になります」と言って、近寄って来られました。
そして、「お蔭さまでここに住んでいるので心配はないのですが、自宅を失ってから根なし草になってしまいました」と、寂しそうにおっしゃいました。
数井さんは今でこそ新型コロナウイルスで外出を控えておられますが、それまでは積極的にお出かけをして、日々の生活を楽しんでいるようにお見受けしていました。
でも、本当は未だ悪夢から解放されていなかったのです。
「以前住んでいた所に帰りたいのですか」とお尋ねすると、「帰りたいけれど、この年ではね」と、言葉を濁されました。
お二人とも被災しなければ、施設に入所されることはなかったはずです。
おそらく余程のことがない限り、これまで過ごしていた地域で馴染みの人たちに囲まれて、暮らしていたのです。
その生活は災害で一変しました。
野高さんは空白の2年間を取り戻すがごとく、施設退所を決意されました。
たとえ、困難や孤独に見舞われたとしても。
一方、数井さんはますます老いていく自分を考え、止まることを選択されたのです。
どちらの選択が幸せなのか分かりませんが、分かったことはお二人とも心は以前の地域に残してきたことです。
今年も大雨警報や洪水警報が何度も発令されました。
きっと、これからも毎年どこかで災害は発生し、多くの被災者の涙が流されることでしょう。
だから、懸命に防災対策を行っていますが、従前と違うことは新たに新型コロナウイルス対策も並行して行わなければならないので、負担感が増したことです。
そこで、災害危険区域に住んでいる災害弱者である高齢者を、安全な地域に高齢者住宅などを作って住み替えてもらえば、被災リスクは減少するのではないかと短絡的に考えたくなります。
しかし、安全を確保したとしても、住み慣れた地域で暮らしている高齢者をそこから切り離してしまうと、今度は生き甲斐を失ったり、幸福度が低下したりすることが懸念されます。
それだけでなく、認知症や鬱状態になったりすることも否めません。
私たちが想像する以上に、高齢者の長年過ごした地域への拘りは強いようです。
なぜなら、その土地で根を張り、芽を出し、花を咲かせてきた高齢者にとって、根っこのない所で、花は咲かないと信じておられるからなのでしょうか。
(注)事例は個人が特定されないよう倫理的配慮をしています。
被災しても住み慣れた地域に戻って暮らしたい |
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【尊厳ある介護(105)】一人暮らしを心配する家族を振り切って
公開日:
(ソサエティ)
Reuters
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里村 佳子(社会福祉法人呉ハレルヤ会呉ベタニアホーム理事長)
法政大学大学院イノベーションマネジメント(MBA)卒業、広島国際大学臨床教授、前法政大学大学院客員教授、広島県認知症介護指導者、広島県精神医療審査会委員、呉市介護認定審査会委員。ケアハウス、デイサービス、サービス付高齢者住宅、小規模多機能ホーム、グループホーム、居宅介護事業所などの複数施設運営。2017年10月に東京都杉並区の荻窪で訪問看護ステーション「ユアネーム」を開設。2019年ニュースソクラのコラムを加筆・修正して「尊厳ある介護」を岩波書店より出版。
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