「どうしてあなたが私に指図するのですか? スタッフでもないのに」。
西田喜美さん(仮名84歳)は、やや感情的になってお隣の部屋の入居者におっしゃいました。
「入浴時間が変更になったので、間違ったらいけないと思って教えてあげているのですよ」と、お隣さん。
西田さんは物忘れがあるので、スタッフは入浴時間の変更を口頭で説明し、紙に書いて渡しましたが、そんなことを知らないお隣さんは、お節介を焼いていたのです。
西田さんは教育者だったこともあってか、人から教えられると機嫌が悪くなります。スタッフは何度もそんな場面に直面しました。
それだけではありません。
レクレーションにお誘いすると、「何の目的で行うのですか?」と、スタッフに説明を求められます。腑に落ちないことがあると、周りに迎合することはありません。
ところが、ある時から食事時間や自分のお部屋まで分からなくなって、しばしば「頭がおかしくなった」と、弱音を吐くようになりました。
そんな西田さんを心配して友人が一緒に病院受診をしてくださり、アルツハイマー型認知症と診断されました。
西田さんは独り身なので子どもはいません。親戚はいますが遠方なので、何かあればその友人がお世話をしてくださいました。
私たちはさぞかしショックを受けているのではないかと心配しましたが、驚いたことに「今の施設は自立の人ばかりなので、私が入所できる次の施設を探してください」と、おっしゃったのです。
しかし、この申し出を私たちはすぐに受け入れることができませんでした。
認知症の人が対象の施設が、どんな施設なのか知らないから、安易にそんな選択をしたのだと思ったのです。
認知症の人が対象のグループホームは、24時間スタッフが見守っているので安心ですが、西田さんのように他人から干渉されることを嫌う人にとっては、ストレスになることもあります。
それに、低下していますが理解力もあり日常的な会話もできるので、自分に相応しい話し相手が見つからず、孤独に陥るかもしれません。加えて、自分より重度の認知症の人のいるグループホームに入所すると、自尊心はずたずたになってしまうのではないかと懸念したのです。
そこで、まずは施設見学をお勧めしました。
見学後、西田さんは迷わずおっしゃいました。
「覚悟はできています。これからは皆さんのお世話になります。こう見えても昔寮生活をしていたので、集団生活には慣れていますから」
ところが、それでも私はその言葉を額面どおりに受けとめていなかったのです。でも、すぐに自分が間違っていたことに気付きました。
グループホームに入所されて少し経った頃、面会に行くと西田さんは他の入居者と仲良く並んでソファーに座っていたのです。それも手をつないで。
そして、私の顔を見るなり「お忙しいのに来てくれてありがとう。何のお役にも立ちませんが、皆さんに良くしてもらっています」と、和やかな表情で話されたのです。
目の前の西田さんは、ピンと張り詰めた糸がちょうど良い感じに弛んで、心の垣根が低くなったように思えました。
私はこれまで西田さんのどこを見ていたのかと愕然としました。一面だけを見て、プライドの高い理屈っぽい人だと決めつけていたのです。
本当は柔軟性もあり、人から教わることだって理にかなっていれば、むやみに拒否する人ではなかったのかもしれません。
私は「覚悟」の意味が少しだけ分かった気がしました。西田さんはだんだん分からなくなっていく自分から目を背けず、勇気を持って受容したのです。
いつかは誰かのお世話にならなくてはいけないと自覚し、過去の生き方にとらわれず、他者に委ねる覚悟をしたのでしょうか。西田さんは周りの利用者と協調して穏やかに暮らしました。
それどころか、重度の認知症の人の友となって。
(注)事例は個人が特定されないよう倫理的配慮をしています。
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【尊厳ある介護(112)】覚悟を固め認知症専門施設で穏やかな人生
公開日:
(ソサエティ)
CC BY /Real Cowboys Drive Cadillacs
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里村 佳子(社会福祉法人呉ハレルヤ会呉ベタニアホーム理事長)
法政大学大学院イノベーションマネジメント(MBA)卒業、広島国際大学臨床教授、前法政大学大学院客員教授、広島県認知症介護指導者、広島県精神医療審査会委員、呉市介護認定審査会委員。ケアハウス、デイサービス、サービス付高齢者住宅、小規模多機能ホーム、グループホーム、居宅介護事業所などの複数施設運営。2017年10月に東京都杉並区の荻窪で訪問看護ステーション「ユアネーム」を開設。2019年ニュースソクラのコラムを加筆・修正して「尊厳ある介護」を岩波書店より出版。
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