「〇〇新聞社・役員待遇論説委員長」「××株式会社総務部長(役員待遇)」…。
こうした名刺が目立つようになったのはいつ頃からだろうか。バブル崩壊後? いや、そんな昔ではない。せいぜいリーマンショックの後くらいか。いずれにせよ、企業が多くの役員を抱えていられなくなった日本経済下り坂の時代からだ。
十数年前だったか、最初にこの肩書を目にしたときは面食らった。
「役員待遇!? いやいや、わたしゃあなたの待遇にまでは立ち入ろうとは思いませんよ。それなのに初対面の私に自らそれをご教示いただくとは。こちらの名刺にも『ヒラ社員同等』もしくは『課長の一歩手前』くらい書き添えないと、釣り合いが取れないというか礼を失した気持ちになるじゃありませんか」
そんなこちらの動揺は一顧だにされず、同じ名刺を受け取った我が上司は何ごともなかったかのように時候の挨拶を交わしていた。そうか、いまやこれが当たり前なのか。以来、私が抱いた違和は生来のひねくれのなせる業だと思い、ひた隠しにしてきた。そして「役員待遇」と記された名刺は、その後大手を振って世間で行き交うようになる。
それでも私の違和はいまだ体内に宿り、当初の動揺は皮肉を含んだせせら笑いに変わって時折頭をもたげる。
いわく「待遇って、あんたそれは単に社内の処遇でしょ。正式な肩書かもしれないが、なぜ名詞に記すことを恥ずかしいと思わないんですか。だいいち、この国のサラリーマンは良くも悪くもカネより仕事そのものを矜持としてやってきたんじゃありませんか。それをなんですか、社外の人に向かってに『役員と同等の報酬をもらってます』って。はしたなくないですか」
これに対して私の中でかすかに残った“常識”はこう反論する。「ルース・ベネディクトの『恥の文化』はもはや賞味期限切れ。それより今の時代、単なる『部長』と『部長(役員待遇)』では1・5ゲームぐらいの差があるんだよ。その情報だけでも、ああこの人はあと一歩で役員なんだって分かるじゃないか」
違和は激してこう言う。「なんとさもしい。あと一歩で役員なんて、まるで『内縁の妻』みたいじゃないか。いや違う。内縁の妻は自分で『内縁の妻です』なんて言わない。問われても『結婚はしていませんが…』なんて頬を染める奥ゆかしさがある。それに引き換え『役員待遇』は、『私は内縁の妻です』と大声で叫ぶような厚顔ぶりじゃないか」
“常識”はあきれ顔で「そういう屁理屈ばかり言っているからみんなに敬遠されるんだよ、おまえさんは」と背を向ける。
私の中ではいまだ結論がでないが、最近は世渡りに邪魔になる違和をねじ伏せるためにこう思うようにしている。
この名刺を持つご本人は些細なことにはこだわらない豪胆さをお持ちなのかも。いや、少なくともこの肩書を会社の命に従って名刺に刷り込むことを容認する度量を持っているのだ、と。
『役員待遇』 社内の処遇がなぜ名刺に? |
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【現代「要」語の基礎知識(20)】「内縁の妻」の奥ゆかしさに学べ
公開日:
(ソサエティ)
撮影ソクラ
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ゾルゲかわはら(コラムニスト)
現代社会を街場から観察するコラムニスト。金子ジムでプロボクサーを目指すも挫折。鮮魚卸売業、通信社記者、東大大学院講師を経て2019年からフリー
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