
なるほど、前夜の準決勝が深夜まで及び、テレビ欄印刷の締め切り時間を過ぎてしまったために日本が勝った場合と敗れた場合の両構えの告知をしたのだ。「万が一」という文言が引っ掛かったが、読み進めると断り書きにはさらにこんな文言があった。「日本が決勝に進んでいることを願っています」
若い人たちにとっては何ていうことのないこのセリフ。またぞろ、そんなことに目くじら立てるなと言われそうだが、昭和のオヤジである筆者の心はざらついた。たかがスポーツといっても、スポーツ中継は紛れもなく報道の一つ。ましてや、痩せても枯れても天下のNHKである。いや、瘦せ我慢して「公正中立」というタテマエを堅持するのがNHKの存在意義ではなかったか。
そこまで考えて、NHKが半世紀前にしでかした類似の“事件”を思い出した。1972年に開かれた札幌冬季五輪、日本勢が金銀銅を独占したあの男子70メートル級ジャンプでのこと。日本勢は1回目のジャンプで上位を占めたが、外国勢もまだまだ不気味だった。子ども心に「いつ抜かれるか」とドキドキしながらテレビの前に座っていたことを覚えている。
2回目も後半に入り、いよいよ強豪の欧州勢が飛ぶ順番になった。と、そのときだ。たしかノルウェーの選手だったかが飛ぶ直前、NHKのアナウンサーがこう言った。「この人はだいじょうぶ」。過去の実績から日本勢を上回ることはないという“安心”を視聴者に伝えたのだ。
まだ中学生だった筆者は、この言葉がもたらした一瞬の安堵と「おいおい、そこまで言っていいのかよ」という違和感をいまだに忘れていない。
後に、このひと言をめぐってNHKにかなりの抗議電話があったと聞いた。局内でも「アナウンサーの本分を超えている」「いや、視聴者に寄り添った正しい姿勢だ」などの熱い議論があったという。その後の五輪や国際大会の中継では、ここまで露骨な身びいきは聞かれなくなった。当時は世の中もNHKも、むき出しのホンネが蔓延する時代の怖さを知っていたからだろう。
あれから半世紀。くだんの番組欄コメントには局内でどのような議論があったのか。おそらく、ためらいもなく掲載されたのではなかったか。いまやNHKは、そんなことより「視聴率」なのだ。
民放の情報番組では露骨に日本びいきの発言が繰り返され、解説陣は応援団さながらである。それが時流であり、でなければ視聴率がとれない。超然と孤塁を守ってきたNHKも近年はタテマエをかなぐり捨て、視聴率というホンネになびく。
かつてこの欄でも書いたが、タテマエとはもともと、人間の内に潜む煩悩や劣情の暴走を制御するために先人が生み出した智恵だった。そして、その体現者は報道を担う人や組織であったはずだ。くだんの一件は、たかが番組欄の戯れ言と笑えない怖さが潜む。
穏やかな社会というのはタテマエとホンネがうまく均衡した時代を言うのだろう。身もふたもないホンネが横行する時代、ブレーキ役を失ったこの国はどこへ向かうのか。