シンポジウムなどのイベントを手掛ける仕事柄、設営業者から売り込みの電話をよく受ける。初見の業者の決まり文句は「一度プレゼンをさせてもらえませんか」。
申し訳ないが、すべてお断りする。「御社にお任せした場合のメリットや御社の強みを1~2枚にまとめたものをメールで送っていただければ検討します」と言って電話を切る。
かつて何度か経験したプレゼンなるものが、ほとんど時間の無駄だと知ったからだ。押しなべて共通するのは、映像を駆使した演出、プレゼンターの不自然な身振り手振り、そして真偽不明な顧客満足度のデータと反論不可能な他社との比較……。
たまたま連続して質の悪いプレゼンに遭ってしまったのかもしれないが、せんじ詰めれば紙1枚にまとめられる内容だ。小一時間も縛られるのではたまったものではない。
それでも世の中はプレゼンばやり。売り込む側も受ける側もなぜプレゼンを求めるのか。察するに、それは双方の「自信のなさ」の表れではないか。
商品やサービスの強みがはっきりしていれば、売り込む側も受ける側も話は早い。目を引く映像も、身振り手振りも必要ない。しかし他者に比べてどっこいどっこい、いや商品やサービスに劣る部分があるからこそ、それを埋め合わせるための“虚飾”が必要になってくる。
社風や担当者の人柄など文字で伝えるのは難しいものもあるだろうが、ほとんどのプレゼンは相手の感情に働き掛ける心理戦。言葉は悪いが、商品やサービスを実態以上に見せる“騙し”に近い。派手な映像や巧みな話術で商品やサービスの「劣位」を補っているのだ。
顧客側がプレゼンを求めるケースも少なくない。それは商品やサービスを担当者個人の眼力で見極める自信がないからだろう。たいていのプレゼンには部長、課長、スタッフがこぞって出席する。いわば同じ空間で“幻想”を共有するわけだ。
同じようなところで笑い、うなずき、そして同じような不満を持つケースが多い。業者が帰った後の事後感想会でも意見が分かれるのはまれ。たいてい似たような評価をし、安心感を持つ。だからたとえ選択をミスっても個人に責任が及ばない。
顧客にとっては「しっかりプレゼンをやらせましたよ、私だけでなく、みんなが聞いて選んだんですよ」というアリバイづくり。合意形成と責任回避のための社内手続きという側面が強いのだろう。
かくしてプレゼンは売り込む側、求める側の現場担当者双方の都合で重宝され、この十年余、現代ビジネス社会で存在感を増してきた。そしてプレゼンのコツを伝授するセミナーから3Dプロジェクターまで周辺産業も花盛りだ。
でも、そろそろ世の中もこの虚飾のセレモニーについて考え直していい時期ではないか。担当者個人がしっかり資料を読み込み、疑問点を個別に問いただし、他社と比較して確信をもって判断する。そして上司と協議する。そんな地道な作業がビジネスの王道というものだ。
かつて記者時代、下手な記事には形容詞や副詞、おおげさな表現や外来語が多いと諭されたことを思い出す。ダメな記者ほど口でいろいろ補うのだとも。デスクいわく「いい原稿というのはな、余計なことをそぎ落として本質だけをぎゅっと伝える。そういうもんだ」
そう、昭和のオヤジに言わせれば、自己主張の国、米国から直輸入されたプレゼンなる代物は、「簡にして要」を旨とするこの国のビジネス文化から外れた詐術である。商品やサービスの価値を伝えるのは紙1枚で十分だ。
『プレゼン』 業者・顧客双方の“都合”で大流行り |
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【現代「要」語の基礎知識】商品、眼力に自信がないから?
公開日:
(ソサエティ)
プレゼンテーション=ccbySouthgeist
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ゾルゲかわはら(コラムニスト)
現代社会を街場から観察するコラムニスト。金子ジムでプロボクサーを目指すも挫折。鮮魚卸売業、通信社記者、東大大学院講師を経て2019年からフリー
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