ゴルフシーズン終盤、賞金女王争いが佳境なのだそうだ。筆者はゴルフには縁がないが、この「賞金女王」という言葉には引っ掛かる。
ゴルフはなぜ獲得賞金でランク付けするのか。同じ思いの人も少なくないらしく、ネットで検索するともっともらしい答えが載っていた。
いわく「マッチプレーなどさまざまなトーナメントがあるのでスコアなどでのランク付けは難しい」「プロゴルフの試合に出場する目的の一番大きな目的が賞金なのでそれによってランク付けされることに違和感はない」などなど。
う~ん、それでもすっきりしない。試合形式が複数あるスポーツはあまたあるし、賞金獲得や年収増はすべてのプロスポーツ選手にとって大事な目標の一つである。
他のスポーツも年俸やファイトマネーが話題になることもあるが、それは副次的な話。野球、サッカーからボクシング、相撲まで選手の「格」を測るのはあくまで獲得したタイトルや優勝回数だ。
ネットでは「ビリヤード選手などにも賞金ランクがあり、海外では一般的」との指摘もあった。こちらが海外事情に疎いだけなのか。それでも、カネがあまりに前面に出すぎると、そのスポーツの魅力が半減してしまうのではないか…。
そんなことをつらつら考えていたら、ボクシングの村田諒太と井上尚弥の年末の試合がテレビの地上波でなくネットの有料配信になるというニュースが流れてきた。井上の試合は米国流のペイ・パー・ビュー(料金を払って視聴するシステム)らしい。
90年代にニューヨークにいた筆者は毎週29ドルなり39ドルなり(いつも半端な数字だった)を払ってマイク・タイソンらの試合を見ていた。
たしかにこのシステムでは100万~200万の視聴者が試合会場での入場料とほぼ同じ金額を払うのだから、選手のファイトマネーはけた違いに増える(タイソンの全盛期はたしか1試合30億円超)。
ついに日本のボクシング界にもその波が来たということだ。井上のファイトマネーはこれまで1億円前後だったらしいが、この方式が定着すればおそらく10億円近くまで増えるだろう。
ただここでも筆者には違和感がある。この方式は次世代の有望株に大いなる刺激を与える一方で、競技への参入間口を狭くする恐れがあるからだ。元世界王者の畑山隆則が競技を始めたきっかけは「テレビで何気なく見ていた辰吉丈一郎の試合」だった。
もし辰吉の試合が5000円のペイパー・ビューであったなら、彼はグローブを握らなかったはずだ。それは畑山のような成功者に限ったことではなく、あまたの入門者にも言えることだ。
ボクシングだけではない。サッカーW杯アジア予選もDAZNが独占契約しアウェーの試合は地上波で見られなくなった。「ドーハの悲劇」や「ジョホールバルの歓喜」といったサッカーファンを超えた“歴史の共有”は、これからはなくなるのだろう。
スポーツ界はたしかにカネがものを言う興行の世界だ。しかしそれだけでないことは皆知っている。「賞金女王」という言葉に付きまとう違和感は、カネを前面に押し出してはばからない無神経さにある。スポーツはもっと懐深いものであってほしい。
『賞金女王』 カネを前面に押し出す無神経さ |
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【現代「要」語の基礎知識(16)】刺激の一方で参入間口狭める危険も
あの岡本綾子も賞金女王は1回だけ=㏄by江戸村のとくぞう
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ゾルゲかわはら(コラムニスト)
現代社会を街場から観察するコラムニスト。金子ジムでプロボクサーを目指すも挫折。鮮魚卸売業、通信社記者、東大大学院講師を経て2019年からフリー
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