「賃貸マンションの更新料って腹が立たない?」
「だってどこもそうじゃん」
「でも、何にコストがかかるんだ」
「それを込み込みで大家は採算が合うようにしているんじゃないか」
「それは不透明だ。その分家賃を上げて更新料は廃止すべきだ」
「入居者の入れ替えを促す面もある。俺は別にいいと思うよ」
「更新料に名を借りた追い出しじゃないか」「そういうグレーな部分は他の業界でもある。いちいち目くじら立てたらきりがない」
「それを許すから変な社会になるのでは。俺はそんな社会は嫌だ」
「おいおい、随分潔癖になったな。まあ考え方は人それぞれだ」
近年、酒場の会話でよく聞くフレーズが「人それぞれ」。当たり前の大前提をことさら持ち出すことによってヒートアップする議論を抑え、暗に“討論終了”を告げる決めゼリフだ。
昭和の時代、こんな言葉はついぞ聞かなかった。特に新宿ゴールデン街ではこのセリフはタブーだった。「臆せず語れ」がゴールデン街。いまや観光名所になり下がったが、往時は酒を飲む場というより議論の道場さながらだった。
夜が更けるにつれややこしいことを語るオヤジが現れ、それに意見する若者がいた。芸術論に異を唱えられ、ムキになって反論する劇団員がいた。激論の果てに両者リングアウトのような形で朝を迎えると、店の外には血だまりがあり、他でも似たような“格闘”があったことを示していた。
懐古趣味というなかれ。あの時代、みんな人生にもがいていた。政治の在り方や文学に託しておのれを語り、客同士が互いの意見を手掛かりに、明日の生き方を探っているようにみえた。暴力や怒鳴り合いは、それが全身全霊の行為だからこその余禄でもあったのだ。
現代にはそんな光景はどこにもない。「生き方」を問う時代も今は昔。酔っても出てくるのは誰も傷つけない無味無臭の戯言か、人を笑わせることだけを狙ったマシンガントークばかり。少しでも相手の陣地に踏み込んだ物言いをすると、必ず「人それぞれ」がお出ましになる。
たしかに今のご時世、熱い議論は流行らないし、なにより格好のいいものではない。酒がまずくなることも度々だし、その後の付き合いに影響することもある。しかし、その面倒くささを味わってきた世代と、そうでない連中とは、なにか人間の厚みが違うようにも思う。
今の世が薄っぺらに感じられるのは、「人それぞれ」で抑え込まれる議論の不在にあるのではないか-。てなことを、近所の酒場でのたもうたら常連のオヤジにこう返された。「『人それぞれ』ってよく言われるって? それは単にあんたの話がつまらないっちゅうだけの話だよ」
『人それぞれ』 討論終了告げる決めゼリフ |
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【現代要語の基礎知識】「生き方」問う時代、今は昔
公開日:
(ソサエティ)
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ゾルゲかわはら(コラムニスト)
現代社会を街場から観察するコラムニスト。金子ジムでプロボクサーを目指すも挫折。鮮魚卸売業、通信社記者、東大大学院講師を経て2019年からフリー
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