2020年は新型コロナウイルスに翻弄された1年であったが、同時にこのパンデミックがなければ変わらなかった旧弊を一掃する効果もあった。別の言い方をすれば、コロナがポピュリズムの虚しさを明らかにした年であった。
その典型は、アメリカ大統領選におけるトランプ大統領の敗北である。4年前、トランプは「アメリカを再び偉大に(Make America great again.)」をスローガンに、内向きのアメリカ第一主義を掲げ、ラストベルトの白人労働者階級の支持を得てホワイトハウス入りした。
排外主義的な貿易政策によって、中国企業などに駆逐されていた国内産業を復活させ、再選はほぼ確実だと見られていた。
ところが、新型コロナウイルスの感染が世界中に拡大し、アメリカは世界最悪の感染状況に陥ってしまった。このウイルスの危険性を過小評価していたトランプ大統領は、十分な感染防止対策を講じず、マスクを拒否して自ら感染するという失態を演じてしまった。
その結果、支持率は低下し、大統領選でバイデンに負けたのである。
白人警官による黒人の射殺など少数派を苛立たせる事件も頻発し、それもトランプには逆風になった。しかし、何よりも、パンデミックが、トランプのポピュリズムは危機のときには奏功しないことを明らかにしたのである。
2016年にポピュリズムがもたらしたもう一つの「事件」は、Brexit(EU離脱)を決めたイギリスの国民投票である。その後の離脱交渉は困難を極め、メイ首相はこの交渉に失敗して辞任し、後任のジョンソン首相も出口を見いだせなかった。
しかし、年末になってロンドンでコロナの変異種が流行し、他国との往来が禁止されるなど、イギリスもEUも経済的な苦境が極まってしまった。そこで、12月24日、交渉期限の1週間前に双方が妥協して合意に漕ぎ着けたのである。まさに、コロナがもたらした合意である。
日本を見ても、アベノマスクに見られるように、安倍政権のコロナ対応は失政を重ねてきた。一種の「まぐれ」で感染者や死者数が低く抑えられてきたが、たとえば緊急事態宣言に至る経過を見ると、先行して手を打った北海道の鈴木知事を意識したポピュリズム的手法であった。
国民をウイルスからどう守るかという視点よりも、いかにすれば支持率を上げられるかという思惑が優先したのであった。
小池都知事に至っては、安倍首相に輪をかけたポピュリストのパフォーマンスを今も繰り返し続けている。
安倍首相が健康不安を訴えて辞任し、9月に菅義偉官房長官が政権に就いた。しかし、3ヶ月も経たないうちに、内閣支持率が急落し始めた。それは、コロナの感染が再拡大し、厳しい第三波となったからであり、日本が「まぐれ」の優等生だったことが暴露されたからである。
各種のGoToキャンペーンもまた感染再拡大の一つの原因であり、政策のタイミングを含めて、経済と感染防止のバランスの取り方に失敗したのである。支持率上昇だけを考えるポピュリストたちをあざ笑うかのように、ウイルスは猛威を振るっている。最悪のポピュリストである小池百合子が舵取りをする東京都で、コロナ感染が最悪であるのは当然である。
東京都は税収が豊かで金持ちであり、私が知事のときには約1兆円の蓄えがあったが、コロナ対策で小池都知事は使い切ってしっまた。これからは、支出の削減、つまり都民サービスの低下と増税が待っている。
クオモ知事が率いる米ニューヨーク州と比べれば、パフォーマンスだけの小池都知事の政策がいかに実効性のないものであるかがよく分かる。コロナは、ポピュリズムの危険性を誰にでも分かる形で示しているのかもしれない。
2021年、ワクチンが開発されたからといってパンデミックが終わる保証はない。しかし、ポピュリズムとは決別しなければ、民主主義そのものの基盤が揺るぐことになる。
2020年 コロナは、ポピュリズムの危険性を知らせた |
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【舛添要一が語る世界と日本(70)】ポピュリズムが民主主義を蝕んでいる
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舛添 要一(国際政治学者)
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