新型コロナウイルス対策である緊急事態宣言が解除されてから、国内での感染者が再び増加傾向にある。新型コロナウイルスの感染拡大が続く中で、経済活動を正常化するにはどうしたらよいのだろうか。
参考になるのは季節性インフルエンザである。本コラムではインフルエンザとの比較で新型コロナウイルスの問題について論じてみたい。
日本におけるインフルエンザ感染者数は年間約1000万人である。1日当たりの感染者数は約3万人であり、新型コロナウイルスの感染者数より2桁多い。2018年から2019年にかけての死者数は約3300人に上っている。しかし私たちが通常の生活を送ってこられたのは「インフルエンザに感染しても治療薬(抗ウイルス薬)があるから安心だ」という前提があったからである。
インフルエンザについてはタミフルなど体内でウイルスが増殖することを防ぐ抗ウイルス薬が複数存在し、一般の医療現場で処方されている。一方、新型コロナウイルスについては、米国で開発されたレムデシビルや日本で開発されたアビガンなどが存在しているが、抗ウイルス薬の効果についての評価は未確定のままである。
このような状況下の6月中旬、英オクスフォード大学の研究チームは「炎症を抑える作用のある既存の薬(デキサメタゾン)を投与した結果、最も重症化した患者の死亡数が35%減少した」と報告した。WHOは「最初の成功例」と素早く反応し、デキサメタゾンの増産を世界の関係者に呼びかけた。
デキサメタゾンは安価で広く入手可能なステロイド薬である。1957年に開発され、炎症の原因に関係なく、体内の免疫機能を抑制することでぜんそくなどアレルギー反応が引き起こす疾患の治療に用いられている。
新型コロナウイルスの場合、感染者の約5%が致死的な急性呼吸器不全症候群(ARDS)となると言われている。ARDSとは「サイレント肺炎」と呼ばれ、恐れられているが、その原因は既に明らかになっている。
「新型コロナウイルス感染症はサイトカインストーム症候群である」
このように主張するのは平野俊夫量子科学技術研究開発機構理事長(前大阪大学総長)である。サイトカインとは細胞から分泌される生理活性タンパク質の総称である。サイトカインは感染症への防御を担っているが、過剰に分泌されると多臓器不全などの原因となる。この状態がサイトカインストームであるが、デキサメタゾンは免疫機能全般を低下させることでサイトカインストームを抑制することに成功したと考えられる。
それではなぜ新型コロナウイルスはサイトカインストームを引き起こすのだろうか。
平野氏らの研究によれば、ARDSとなった患者の血液ではサイトカインの一種であるインターロイキン6(IL6)の濃度が上昇している。IL6は生体の恒常性維持に必要なサイトカインだが、炎症性を有することから、サイトカインストームを引き起こす際に中心的な役割を果たす。
体内にはIL6を大量に分泌するための増幅回路(IL6アンプ)があり、新型コロナウイルスが増殖する気管支や肺胞上皮にもIL6アンプが存在することがわかっている。平野氏らは「気管支や肺胞上皮に侵入した新型コロナウイルスがIL6アンプのスイッチをオンにすることでサイトカインストームが起きる」というメカニズムを解明したのである。
このことからわかるのは、サイトカインストームの原因となるIL6の暴走を抑えれば、新型コロナウイルスの致死性は格段に低下するということだが、これを実現する薬は既に存在する。薬の名前は「アクテムラ(トシリズマブ)」である。
アクテムラは、世界初のIL6阻害剤として大阪大学と中外製薬により共同開発された。トシリズマブの「トシ」はインターロイキン6の発見者である平野氏に由来する。国内では2005年に関節リウマチ(免疫の異常により手足の関節が腫れる病気)用として承認されており、治療費は1ヶ月当たり2~4万円程度と高価ではない。
アクテムラの新型コロナウイルスの治療薬としての有効性についての臨床試験は既に始まっている。
中外製薬の提携先であるスイス・ロシュは3月から米国・カナダ・欧州でなどで臨床試験を開始し、有効な治療薬であることが証明され(6月29日付日経バイオテク)、まもなく治験が終了する見通しである(7月2日付化学工業日報)。中外製薬も4月から臨床試験を始め、国内での早期承認を目指している。
アクテムラが新型コロナウイルス用に承認され、医療現場で広く投与されるようになれば、私たちは新型コロナウイルスの脅威に怯えることはなくなる。安心して元の生活に戻れることになるだろう。
サイトカインストームに加え、最近海外で実施された病理解剖により、新型コロナウイルスは好中球という免疫細胞の暴走(好中球細胞外トラップ)を引き起こすことがわかっている。ラクトフェリンと呼ばれる多機能生タンパク質が、好中球細胞外トラップの抑制に効果があることを慶応大学の研究チームが既に実証済みである。
サイトカインストームを始め免疫細胞の暴走を防ぐという研究分野で日本のレベルは非常に高いのである。日本の免疫学の優秀さを知悉している黒川清氏が7月1日、新型コロナウイルス対策の効果を検証する有識者会議の委員長に就任したことも朗報である。
新型コロナウイルスの病原性などがほとんどわからない状況下でのこれまでの対策は、数理モデルで感染拡大を予測する理論疫学や感染制御学の専門家が中心となって立案されてきた。今後、免疫学の専門家が加われば、「鬼に金棒」である。
私たちが新型コロナウイルスと共存できる日は近いのではないだろうか。
平野前阪大総長 新型コロナによる肺炎の原因を解明 |
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【藤和彦の眼】治療薬「アクテムラ」 すでに阪大と中外製薬が共同開発
新型コロナウイルス=NIAID(cropped)-Attribution
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藤 和彦(経済産業研究所コンサルテイング・フェロー)
1960年、愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。通商産業省(現・経済産業省)入省後、エネルギー・通商・中小企業振興政策など各分野に携わる。2003年に内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣参事官)。2016年から現職。著書に『原油暴落で変わる世界』『石油を読む』ほか多数。
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