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学術会議問題に見える 日本の画一化の弊害

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【軍事の展望台】信玄の「家臣すべてを同じような者に、は誤り」を思う

公開日: 2020/10/30 (政治, ソサエティ)

東条英機=PD 東条英機=PD

田岡 俊次 (軍事評論家、元朝日新聞編集委員)

 日本学術会議が推薦した新会員候補のうち、6人の任命を政府が拒否した問題で、私は武田信玄が「家臣すべてを同じような者にしようとするのは誤りだ。庭に木を植えるときはさまざまな木を植えるだろう」と言ったと伝えられていることを思い出した。

 春は桜、夏は柳、秋は楓、冬は松など種々の木々があってこそ庭の風情が保たれる。家臣すべてを同じ気性にすることはできない、との画一化への戒めだ。

 武田信玄の重臣「武田四天王」の一人、馬場信春は長篠の戦いで自殺的な戦死をするまで、70回以上の合戦に出て手柄を重ねながら一度も負傷しなかったほど状況判断に秀でていた。

 山県昌影は武田軍の最強部隊「赤備え」を率いた猛将、内藤昌豊は他の武将達から勇将であるだけでなく「真の副将」と称された調整力があった。高坂弾正(春日虎綱)は慎重で困難な退却戦をまかされた智将、と評された。

 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に重用された武将達もそれぞれ戦闘だけでなく、情報収集・分析や調略(外交・工作)領地の行政などに手腕を発揮して認められた者が少なくなかった。

 もちろん、その時代には軍と政治が分化していなかったから、画一的な部隊指揮官では大名は務まらなかった。

 だが、近代になっても明治維新から日露戦争までの日本軍の指導者は陸軍士官学校、海軍兵学校、陸軍大学校や海軍大学校で画一的な教育を受けたわけではない。寺子屋、私塾、藩校で主として行政官としての教育を受け、戊辰戦争、西南戦争、日清戦争の体験と西洋の軍事書籍の自習によって戦術、戦略を学んだ。

 一部の士官は欧米各国の軍学校などに留学したが、東郷平八郎は英国の海軍兵学校が日本人の入学を認めなかったため商船学校に入学、卒業後英海軍で士官格の実習生となった。当時の日本士官の留学先は広範で、日露戦争で満州で戦う日本軍の総司令官となった大山巌は、スイスに留学した。

 こうした少年時代の武士としての基礎教育に加え、実戦の体験、国会開設などの日本社会の転換、外国留学などは軍指導者の視野を広げるのに有効だったろう。日露戦争時の軍、政治の首脳は「必勝の信念」といった教条主義に陥ることはなく、国力で10倍のロシアとの戦いが長期化すれば敗戦は免れない、と判断していた。

 大山巌元師は開戦から1年3ヵ月後の5月27日、日本海海戦で海軍が大勝したことを喜び、政府に対し「この機を逸せず講和すべきだ」と電報で進言、伊藤博文首相も海戦勝利の祝宴で「これで敗戦だけは免れました」と演説、同年9月5日講和条約調印に至った。

 陸軍士官学校が開校したのは明治7年(1874年)だから、そのとき大山厳は32歳。すでに戊辰戦争で薩摩藩兵の砲兵隊長として名を挙げ、スイスへの留学も終え帰国した後だから、士官学校へは入っていない。

 陸軍士官学校第一期生の首席は東條英教(英機の父)で、陸軍大学校も首席で卒業、高級将校養成の正規教育を最初に受けたトップだった。日露戦争では歩兵第3旅団長として満州に出征したが、夜襲の命令を受けても逡巡して行動せず、退却するロシア部隊を無傷で撤退させたなど、「消極的で部下の掌握もできない」としてすぐに解任され、日本に追い帰された。

 息子の東條英機は父親ほど陸軍士官学校、陸軍大学校での成績は良くなかったが、勤勉で丸暗記の能力は高く、軍官僚として出世した。

 陸軍は13歳から15歳の少年を入学させる幼年学校を設け、エスカレーター式に士官学校に進学し、陸軍の本流となるエリート将校を養成したため、視野が狭い将校が多くなったといわれる。

 海軍兵学校は16歳から19歳の中学4年生以上修了者を入れたため、陸軍にくらべ柔軟な将校が多かったと戦後評価される。だが、陸軍の一部が1936年に起こしたクーデター「2・26事件」より4年前の1932年に海軍士官が主導し、犬養毅首相を殺害した「5・15事件」が起きた際、海軍士官の多くはテロ行為を支持、減刑嘆願をしたため、海軍の軍法会議はこの反乱事件の首謀者たちを法律どおりに死刑にせず、最高で禁固15年の判決を出し、5年後に釈放している。

 対米戦争についても当時の海軍の主流は積極的だったから、陸軍と海軍の驕慢無能ぶりは大同小異だ。画一的教育で「似たような武士」を量産したのは武田信玄が言った通り誤りだった。

 軍隊は機械のような組織だから同じ教育・訓練を受け、意志の疎通が容易であるほうが効率的であるのは確かだが、指導層のすべてが共通の理念、固定観念にとらわれれば、誤った方向に一丸となって突進する危険も大きいことは第二次世界大戦への過程と結果が示している。

 日本学術会議の新会員105人のうち、6人が安全保障関係の法令に異論を唱えても、それが日本の防衛に重大な影響をもたらすことはありそうにない。科学技術の研究開発も民生用と軍用の区別はしにくく、学術会議がそれを阻止することも困難と思える。

 それよりは少しの異論も排除し、庭の植木を一種にしようとする姿勢の方が国の将来にとり危険ではないかと思われる。
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田岡 俊次(軍事評論家、元朝日新聞編集委員)
1941年、京都市生まれ。64年早稲田大学政経学部卒、朝日新聞社入社。68年から防衛庁担当、米ジョージタウン大戦略国際問題研究所主任研究員、同大学講師、編集委員(防衛担当)、ストックホルム国際平和問題研究所客員研究員、AERA副編集長、筑波大学客員教授などを歴任。82年新聞協会賞受賞。『Superpowers at Sea』(オクスフォード大・出版局)、『日本を囲む軍事力の構図』(中経出版)、『北朝鮮・中国はどれだけ恐いか』(朝日新聞)など著書多数。
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