植村、櫻井氏、初の「ガチンコ」対決 |
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名誉毀損訴訟、札幌地裁第一回口頭弁論
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(ソサエティ)
櫻井よしこ氏=22日午後、札幌市内
元朝日新聞記者の植村隆氏が、25年前に書いた慰安婦問題の記事を「捏造」と決めつけられ名誉を傷つけられたとして、ジャーナリスト櫻井よしこ氏、週刊新潮、週刊ダイヤモンド、月刊「WiLL」の発行元3社に計1650万円の損害賠償と謝罪広告などを求めた名誉毀損訴訟の第1回口頭弁論が22日、札幌地裁で開かれた。
提訴から1年以上が経ってようやく始まった審理には、櫻井氏が自ら意見陳述に立ち、植村氏との「直接対決」を見に多くの市民が詰めかけた。
地裁最大の80席を有する805号法廷は、記者席(16席)、特別傍聴席(原告3、被告4の計7席)を除く一般傍聴57席に対し、198人が並び、抽選倍率は3・5倍に。植村氏が非常勤講師を務める北星学園(札幌市)に解雇を求める大学脅迫事件が起きた札幌ならではの、関心の高さを示した。
口頭弁論では、植村氏、櫻井氏の双方に20分ずつ意見陳述の時間が与えられた。
冒頭、意見陳述に立った植村氏は、当時高校生だった娘を名指しし「絶対に殺す」という脅迫状が北星学園大に届いた時の思いを「千枚通しで胸を刺されるような痛み」と表現。
櫻井氏による「朝日は脅迫も自己防衛に使うのか」(週刊新潮2014年10月23日号)、「社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起しているものがあるとすれば、それは朝日や植村氏の姿勢」(週刊文春2014年10月23日号)とした記事が植村氏や朝日新聞への憎悪を煽っていると指摘し、「言論の自由を尊ぶべきジャーナリストにもかかわらず、言葉による暴力をふるっているようだ」と訴えた。
その上で、植村氏は、91年に書いた2本の慰安婦問題に関する記事を、「捏造」と主張する櫻井氏自身が、間違えた記事を書き、事実誤認をしている、と主張した。
その第一が「訴状にないことを付け加えた」というもの。櫻井氏は2014年3月3日の産経新聞朝刊1面のコラムで、植村氏が証言を報じた韓国人元慰安婦の金学順氏の、日本政府に対する戦後補償請求訴訟について「訴状で、14歳で継父に40円で売られ、3年後、17歳のとき再び継父に売られたなどと書いている」と記述したが、植村氏は「訴状には、40円の話も、再び継父に売られたとも書かれていない」「慰安婦になった経緯を継父が売った人身売買であると決めつけて、読者の印象を操作した。ジャーナリストとして許されない」と批判した。
第二は、植村氏が91年8月11日の記事で「女子挺身隊の名で戦場に連行され」と書いたことが、慰安婦とは無関係の『女子挺身隊』を関連づけ、強制連行を印象づけた、とする櫻井氏の主張が「間違っている」という点。植村氏は、「当時、韓国では慰安婦のことを『女子挺身隊』と呼び、他の日本メディアも同様の表現をしていた」と指摘。82年3月1日の新聞各紙のテレビ欄に、櫻井氏が当時ニュースキャスターを務めていた日本テレビで「女子てい身隊という名の韓国人従軍慰安婦」というドキュメンタリーの放映予定の記述がある、と紹介した。
これに対し、櫻井氏は、植村氏の記事が、「旧日本軍が戦時中に朝鮮半島から女性たちを強制連行し、慰安婦という性奴隷にし」たという「濡れ衣」の原因を作った朝日新聞の中で、「重要な役割を担った」とする従来から記事などで書いている主張を述べ、全面対決の姿勢を示した。
櫻井氏は、元慰安婦が「貧しさ故に親にキーセン(韓国の芸妓)の検番に売られた事実」を植村氏が書かなかったのは、「キーセンに売られた経歴を書けば、植村氏が8月に書いた『女子挺身隊の名で戦場に連行』されたという記述と矛盾し、記事が間違いであることが判明するから」ではないか、と主張。
植村氏が91年12月の記事でも、この経歴に触れていないことから、「取材対象が語らなかったことを書き、語ったことを省いた。誤りであると判明したにもかかわらず、訂正しなかった。意図があると思うのは当然だ」として、「捏造記事」と書いた正当性を強調した。
さらに、植村氏の長女への脅迫については「同情の念を禁じ得ない」としながらも「私の記事ゆえであるとする植村氏の主張は受け入れられない。私は家族に対する暴言は許されないと言い続けてきた」と主張。植村氏の提訴を「極めて遺憾だ」「司法闘争に持ち込んだ手法は、むしろ言論・報道の自由を害するものであり、言論人の名に悖る行為ではないか」と批判した。
櫻井氏は、閉廷後の記者会見で、植村氏が意見陳述で指摘した「訴状にないことを付け加えた」という点については、複数の記者から繰り返し問われ、「訴状に書かれていなかったとすればあらためるが、40円の話は事実だ」と述べた。
この裁判は、植村氏が昨年2月10日、札幌地裁に訴えを起こしたが、櫻井氏側が「原告側は東京を拠点とし、札幌で審理すれば遅れが出る」などと東京地裁への移送を申し立て、札幌地裁がいったんは東京移送を決定。だが、札幌高裁は昨年8月31日、植村氏の主張を認めて、地裁決定を破棄し、札幌で裁判を行うよう決め、最高裁もこれを支持した。